2011年12月31日土曜日

大掃除は心の棚卸しでもある? 〜2011年がもうすぐ終わる〜

たいしたエントリーを書く気力が無いんだけど、、何となく今年中に軽く総括を。あと、30分したら気力を再び振り絞って、海老天を揚げて、年越し蕎を茹でて、明日のお雑煮を仕込まなければならない。。主婦って本当に年中無休だ。

2011年は大変な年だった、、、と、きっと誰もが書くだろう。
  • 東日本大震災
  • 原発事故
  • 超円高
  • タイ洪水
  • ギリシャ危機
  • ビンラディン殺害
  • アラブの春
  • ジョブスの死
  • 金正日の死
どの年もそれなりに重大ニュースはあったと思うけど、やはり後から振り返った時
「あの年は大変な年だった」
と思うのではなかろうか。

震災当時、職場の机の下にもぐりながら(それまでは、多少揺れても、もぐった事は無かった)
「ああ、ひょっとしてこのまま建物に押しつぶされるのかな。これがこの世で見る最後の風景かな。」
と思っていた。つまらないスチールの袖机の側面で、何と殺風景な。。。と思った。たぶん、その少し前に起きたニュージーランドの地震が影響している。
結局、建物の倒壊被害よりも津波の被害が大きかったのは周知の通り。何だかんだと、日本の「耐震/耐火」設計のレベルは高いなと思った。職場で「耐震、耐震ってうるせーな。」と内心思っていた防災指導も功を奏した。妹は外資系企業に勤めているが、バインダーが全てウォールキャビネから降り落ちて来て怖かったと言う、キャビネに扉なんぞ(しかも耐震ロック機構付きで)付ける発想そのものが無いらしい。

今振り返ると、あの瞬間から、少しづつ自分の中で何か変化してきたように思える。

人生はいつ何時どうなるか判らない。ありきたりだけれど「今を生きなければ。」と思う。
考えたくは無いが、残念ながら突然人生を終えねばならない事態は、誰にでも起こりうる、、そんな事実をドンと突きつけられたのかも知れない。(メメントモリ)

これまで面倒だと思っていた、家の不用品をどんどん捨て始めたし、以前よりも「物事」の本質を少しでも掴めたら、、と及ばずながら、調べ、考える、努力をしようと思っている。
「いつかやれる、いつかやろう。」
と先延ばしにしてしまって、ある時とても後悔するかも知れない、、。

とは言うものの、人生は限られているし、人の持ち時間もバラバラだ。どう配分するかはその人の「生き様」そのもので、持ち時間の使い方を真剣に判断しなくちゃなと思う。

30代は子育て一色だった。それは仕方無い。それだけ時間と気力と労力を要する事業だったと思うし、今でもそれは続いている。さて、その後の40代、50代をどう過ごすか、、結構重要なポイントだと思う。

何だか、もっともらしい事しか結局書けなかったけれど。。来年はどんな年になるのか、、ともあれ、皆様よいお年を!

さて、ふんばって今年最後のご奉公。



2011年12月26日月曜日

ドラマ坂の上の雲「日本海海戦」〜司馬さんはなぜ映像化を拒否し続けたのか〜

連合艦隊解散の辞
3年に及ぶ「坂の上の雲」が終わった。
昨日の最終回「日本海海戦」は出色の出来だったと思うし、同時にとても考えさせられる構成だった。

今回のドラマは、今の時点で望みうる最高のリソースを投入して作られたと思うし、これ以上には出来無かったろうと思う。(脚本/予算/技術/演技陣全て)

VFXの技術は驚くべき水準で「作り物」と思わせない表現力で、日本海海戦を目の前に再現してくれた。
リアリストの司馬さんもきっと満足されているのではないか。

しかし、昨日の放映を見ながら
「ああ、司馬さんが映像化を避けたのはこれだからかな。」
とちらっと思った。
一緒に見ていた子ども達が、日本海海戦が終わった後、急に興味を失ってソワソワと動き出したからだ。
子どもはとても正直だ。まして歴史の基礎的知識がまだ無いから、プリミティブな反応を示す。

悲惨な旅順攻略や、パーフェクトゲームと称される日本海海戦は、下知識が無くても「血沸き肉躍る」内容に刺激されて、注目を集める。その事だけは凄く知りたがるが、本来、昨日の後半30分に込められた思いが重要で、そこを忘れてはいけない、、、と、静かに伝えられる大人が周囲にどれだけ居るか。。。等と考えてしまった。
(小三の息子は「なぜ、二○三高地が必要なの?」とか「T字戦法って何?」とか、やはり興味津々である。)

懸命な制作陣達の頑張り
「あれほど、映像化は司馬さんが嫌がったのに。」
という声を十分に意識しながら、制作に関わった人達は細心の注意を払った事がよく判る。
エンドロールの「原作」欄で「坂の上の雲」と並んで「雑貨屋の帝国主義」という文字が流れていたのに、お気づきの方は居るだろうか?
「この国のかたち」第一巻の三回目に出て来る随筆からも引用しているという意味なのだが、この回のみならず、シリーズを通して「坂の上の雲」以外からも、多く引用されていたのが今回のドラマだった。
原作に忠実に、そして、作者の本意を懸命に汲み取ろうとする制作陣の誠意を感じる。

ポーツマス条約に抗議して民衆が暴徒化した「日比谷焼き討ち事件」もきちんと時間を取っていた。通常の歴史の授業では、全く注目されていない(と思われる)事柄であるが、司馬さんは
「あの事件を起点にその後40年、日本は坂道を転がり落ちてしまった。」
と語る。実は小説を読んでいても注意しないと素通りしてしまう記述なのだが、
  • メディアが煽り
  • 実情(戦争が継続出来ない逼迫した状態)をつまびらかにしない政府
  • 熱狂的に一方に流れてしまう民衆
 という、「あれ?つい最近どっかでも聞いたよな。」と思いたくなる日本人の「癖」(と言っていいのかどうか)を冷徹に見つめて、何度も文章にしていたのが、司馬さんなのである。

成功体験からも失敗体験からも学べない日本人
「人間とは度し難いものだ。」
晩年の司馬さんは、よくカラリと語っておられる。
それを宮崎駿監督は「乾いたニヒリズム」と称して敬愛している。
「日本人には普遍的思想は生み出せない。普遍的思想が生まれるには地理的条件が必要で、広大な土地に、複数のグループがひしめき合い、時に血を流し合いながら摩擦を経なければ、そのグループの垣根を越える普遍的思想は生まれない。日本はそんな条件に無いし、又その事を必要以上に恥じる必要も無い。」(「この国のかたち」第一回目より意訳)
「雑貨屋の帝国主義」を読み返そうと思って、ふと目にした最初の章にこう書いてあった、読んでもすっかり忘れているんだから、本当になさけ無い。

必ずしも「普遍的思想に縛られている」事が良いわけでは無い、無いからかえって幸いする場合もある。。と司馬さんは言いたいのだと思う。(たぶん)

過敏に反応して、うわぁ〜〜〜っと興奮し、バタバタっと作ってしまえる強さもある一方、システマチックに系統だったログ(記録)を残さないで、その場その場で対処して、後は綺麗さっぱり都合の悪い事は忘れ、良い事だけを美化して、それに捕われてしまう。

昨夜、Twitterで與那覇先生(@jyonaha)ともやりとりさせて頂いたが
失敗したら学ぶ気が起きない。上手くいったら、もう学ぶ必要がない」が典型的日本人(@jyonaha)
という名台詞を頂いた。。。


苦しかった満州での力戦から何も学ばず、貧しい兵站、悲壮感漂う勇敢な現場に頼って、大量の餓死者を出した太平洋戦争の南進。

ヨチヨチ歩きの日本騎兵の実力を良く知った上で、機関銃を上手く手配し、「兵器の混成隊」という新しい発想を秋山支隊で好古が実行したのに、その優位性を理解せず、逆にロシアが数年後に「ノモンハン事変」で実現させてしまった皮肉。

自分達が真珠湾攻撃の時に飛行機を多用した癖に「日本海海戦」の成功体験が忘れられず、「艦隊決戦」思想が抜け切らないで、占領した島嶼を「航空拠点」に出来なかった(艦隊補給拠点としか考えて無かった)海軍。

「バカじゃねぇの。」
と懐手にせせら笑うのは簡単だが、じゃあ、我が身を振り返って、きちんと学んでいるのか?みんながうわぁ〜っと流れている時に、杭の様に進言出来る勇気があるか?と問い直すと、甚だ心もとない。
戦争こそしていないけれど、仕事上で思い当る事は沢山あると自省するばかりだ。

勝って兜の緒をしめよ
さて、最後にもう一度ドラマに戻ろう。
真之や、好古の最後まできっちり描いた所も好感が持てた。
特に兄弟で釣りをするシーンは「第1回少年の国」の子役が見せた素晴らしい演技(特に好古の子が良かった!)を何だか彷彿とさせて、阿部ちゃん、モッ君それそれの向こう側に、ありし日の少年達の姿が垣間見えて、「さすがドラマのNHK!テクニックが違う!」と思う。

そして、一番秀逸だったのは「連合艦隊解散の辞」
「ほれ、ここ大事だから聞いとき!」と唯一、子ども達に促した所で、渡哲也はやっぱりいいわぁ、、と思う。あの渋い声で読み上げる名文はたまりませんね。

「通るちゅうて、通る。」(ああ凄い!)
渡さん、寡黙な東郷を見事に演じてました。

ちなみに、東郷は昔は「おしゃべりが過ぎる」と称されている記録があって、決して寡黙な人物では無かった模様。
26歳で英国に留学した時の写真が最新の文藝春秋臨時号に掲載されているが、目のクリクリっとした利発そうな若者で、なかなかの美男子である。
本当なら英国海軍兵学校に留学したかったが、さすがに軍部の奥座敷には入れてもらえず、商船学校で18〜19歳の少年達と学んでいる。
街道ゆくの「アイルランド紀行」だったか、司馬さんはこの東郷が留学した商船学校を訪れて、東郷の学業成績も見ている。

薩摩の「兵子(へこ)教育」は「ウドさぁになる」と言われていて、意味は
「リーダーは意識して『ウドの大木』になって下に任せる胆力を養うべし。」
という事らしい。
有り余る才能を押し殺して「口は出さず、責任は取る」の姿勢を貫けるよう、訓練する。
陸軍の大山巌も、日露戦争後
「一番辛かったのは、知ってる事も知らないふりをする事だった。」
と語っている。本当は切れ者の実務者なのに、児玉達に預けきっていたわけである。

このドラマを見た人のうちの何割かが、興味や疑問を持ち、少しづつ自分達で考えたり調べたりし始めたら、、、悲しき日本人の「癖」がいくらかでも良い方向に向うだろうか。

さて、我が家もそろそろ年末の大掃除に取りかからなくてはならない。
振り返れば、優秀な現場である長女と次女が、昨日までのクリスマスツリーやら飾り付けを綺麗に片付けている。(ありがとう!)

さあ、Z旗を揚げようか。

「拙宅の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」

そうそう、打ち方止めの伝令が艦内を走った時の、兵士みんなの顔がホッと緩む所も非常に良かった。その点でも丁寧に作られたドラマだったと思う。

2011年12月20日火曜日

ドラマ坂の上の雲「二○三高地/敵艦見ゆ」〜司馬遼太郎の戦争体験〜

力戦の二○三高地

敵艦を最初に確認したのも二○三地点。歴史の不思議
ドラマ「坂の上の雲」が佳境に入っている。前回の二○三高地は二度観たが、最後の力押しの突撃には涙が出てしまう。スタッフが
「参謀本部だけの描写にしたく無かった、一人一人の兵士の群像として描きたかった。」
と制作ブログに書いていたが、その通り、見事に描けていたと思う。

あの山を取る為にどれだけの同胞が土に埋まったか、「戦(いくさ)」とは震えが来る程に怖くて寒くて、まさに「庶民にとって重たい国家」であった事が映像からリアルに伝わる。

司馬さんは、第二次大戦中、学徒出陣で兵隊に取られ、満州の士官候補生養成学校に入れられた事は有名である。折々、戦争体験に触れるが、まとまった形で著書にしていない。
先日読んだ対談集の中で大岡昇平さん(「レイテ戦記」の著者。レイテに出征して捕虜になる)との対談で
「語る程の話が無いのです。」
と言っておられた。別の所には
「自分なぞは、軍隊という真綿の中でぬくぬくと温存してもらった感があり、むしろ少し下の世代(昭和の皇国少年)の方が過激に傾倒してしまった先生達にいじめ抜かれて非常に気の毒な経験をさせてしまった。」
と気使っている。
「司馬遼太郎は、陸軍の陰湿で古色然とした石頭体質を嫌い抜き、スマートな海軍を「贔屓」した。」
と、よく言われるが、これは浅い見方だと思う。確かにその傾向はあったけれど、嫌い抜いた陸軍に「日本人」の拭い難い体質を見ているし、一見スマートな海軍にも、その後の体たらくーー「栄光の勝利者のイメージを捨て切れず、昭和では時代の趨勢を読み損ねて、長大な戦艦を持ち続けた。」と鋭く指摘している。
私が、読んだ範囲では陸軍に対する愛憎入り交じったものを感じられるし「経験した人は違うな。」と思えるドキリとする事をさらっと書かれる。「一言で片付けられる程、簡単なものじゃない。」と思うのだ。

「どんなに臆病な人でも、一年もしつこく『突撃』訓練を積むと、号令で身体が前へ出てしまう。」
「日本の兵隊さんは強いとよく言われたが、横の意識があって前で飛び出して行くのだ。横の意識とは、共に並んでいる仲間達の事だ。」
「農民をそのまま集めただけの兵隊は、いざ戦闘が始まると、怯えて散を乱して逃げてしまう。訓練で人間をいくらでも鋳型にはめる事が出来ると知った。」
対談をしていた大岡さんも
「捕虜に掴まった時、一人だったから抵抗しなかった。もし、もう一人でも同僚が隣に居たら、それは「隊」になるので、抵抗した挙げ句、死んでこの場に居なかったかも知れない。」
「捕虜になって数ヶ月すると栄養状態が良くなる。そこへジャングルで掴まったばかりのガリガリに痩せこけた同僚が新たに加わると、何となく奇異な目で見てしまう。」

あの時代を経験した世代は、くどくど言わずともすぐに判り合える共通認識があったのだろう。短いエピソードの集まりだが、その一つ一つの簡潔な話に「リアルな人生の息づかい」が感じられる。

実際に戦争へ行った世代は、もはや少なくなって知らない世代ばかりになってしまった。経験が生々し過ぎて、私の祖母などは話したがらなかったのを覚えている。強烈な経験をしてしまうと人間は反動で忘れたいと願うバイアス心理が働くのでは無いか。。

2011年3月に起こった東日本大震災も、少し遠い記憶に置きたい、、という心理が、今、感じられる。「物憂い」と言って良いのか。
記憶が新しく、人々がアドレナリンに翻弄されている渦中では、関心も高く一種の高揚感に包まれてしまうが、そんな状態は長く続けられない。
「何となく潮が引くような感じ」で収束して常態に戻したいと人は思うらしい。
「世の中そんなもんだ。」と認識しながらも、「次ぎ何かあった時に。」とそっと布石を打っておける人は、真に屹立していると思う。

司馬さんが「坂の上の雲」を書いたのは、後世に屹立した指標を残しておかねばと思ったからなのだろう。近年発見された新事実があったとしても、この小説に描かれた人間の集団の本質に対する鋭い洞察はいささかも衰えを見せていないと私は思う。むしろ、「国家」とそれを「構成する一員」という感覚が曖昧な現代において、自国と世界との関係をしばし熟考するきっかけを与えてくれているのではないか。40年近い歳月が経っても色あせない輝きがあるのだから、つくづく凄い才能の持ち主だったと思う。

さて、今週末はいよいよクライマックス最終回である。

2011年12月12日月曜日

女子の皆さんに聞いてみたい。どっちの男子を仲間に入れたい?

文藝春秋臨時増刊号をやっぱり買ってしまった。(磯田先生の原稿があったらそりゃ買うでしょう!)まぁ、もう知った内容ばかりかなと思っていたけど、意外に面白くてふとエントリーを書きたくなる。さて、唐突ですが女子に質問。

「自分が少女のつもりで、下記の二人の男子のうち、どちらを自分達の仲間にしたいと思いますか?(心の距離が近いでも可)」

N君
  • 自分が一番「格好いい」と見えるスタイルを知っている。(常に制服をカスタマイズし細かく丈やラインを直す)
  • 国語が意外に得意。韻を踏んだ詩とかサラサラ書いてしまう。
  • 喧嘩は下手。スポーツも一見上手そうに見えて、オフェンスもデォフェンスも今一つ上手く無い。
  • 何よりも「情」を重んじ、青臭い事をこっそり信条にしている。

K君
  • 自分が所属するスポーツチームのBクラスが下位クラスへ転落の危機。自身はAクラスだけど、志願してBクラスに降格して立て直しに奔走する。
  • 高尚な趣味は無い。服装もあまり構わない。
  • 人の懐にスルリと入り込む器用さがあって、いつの間にか周囲は協力してしまう。
  • 「○○なんだろう?」と人の気持ちを見透かしてズバリ言い当ててしまう。

、、、あまり上手く例えられなかったかな。これ私なりに
N君→乃木希典
K君→児玉源太郎

を噛み砕いて表現したつもりなんです。というのも、この文藝春秋に
乃木希典の「詩人力」
対談:茂木健一郎 X 鹿島茂(仏文学者)

という対談があって、「無能」と言われた乃木さんの違う側面「漢詩が抜群に上手い詩人としての資質」に関して語っています。この中で
乃木さんは女性票が集まりそうだ。
と、茂木さんと鹿島さんは語ります。。曰く、
女性は「直感で好き嫌い」が判断出来(これは確かに!異存ありません)自分達の仲間に入れるか否かで判断する。最近の日本は有能である事を求め過ぎていて、この理屈では無い「女性的感じ方における価値」にもっと重きを置くべきでは無いか。

とういう物なのですが、、途中まで、ほうほう!と読んでいたけれど結論に「コケ!」
、、、どうでしょう?私だったら、シンパシーを感じるのは、N君よりも断然K君の児玉源太郎君です。対談しているお二人は重要な事を忘れている。

乃木大将は軍神と崇められ、神社まである大変な「時代のアイコン」でした。一方、児玉源太郎は司馬さんが「坂の上の雲」で取り上げるまで、歴史に忘れられた人物。(早死にしてしまうし神社も無いし。)

乃木さんは、女性が放っておかないのでは無く、「男性が放っておけない」人だと私は思うのです。現に、坂の上ではこの「愚直で不器用でストイック」な乃木を児玉は放っておけません。乃木のメンツが潰れないよう腐心して、203高地を奪取した後の、凱旋視察には自分は加わらず、最後の花を友に持たせるのです。

。。。私は少し「衆道的」なものを感じます。(実際にそんな関係じゃないとしても)

女性なら(少なくとも私は)児玉の方にずっと、男らしさとシンパシーを感じます。直感の人々(仮にここでは女性陣としましょう)は直感力の優れた人を見ると、しかもそれが自分達とは違うグループに所属する人に対しては、鋭い嗅覚を持っています。そしてN君タイプにも違う意味で嗅覚が働きます。賢い女性ならN君には近づかない。ストイックに生きる人生に巻き込まれたら、自分の人生も棒に振ると野性の感で知っています。

ああ、茂木さんも鹿島さんも男性だなぁ。。。常に「戦闘態勢」を運命付けられている性別にとって、乃木的「間抜けながらも貫く人生」に、強く強く憧れる。実は身近にそんな例を多く見ているので、凄く判るなぁと思います。破滅的結果に向うと判っているのに「貫きたい」人って多いですからね。
(乃木さんが若い頃、花柳界に入りびたりだった事実がお二人の判断を曇らせたんでしょう、いくら花街で遊んでもそれがイコール女性にモテるとは限らない、、、)

司馬さんが、主人公を魅力的に描けるのは、女性が男性のどこに惚れるのか、よ〜〜〜く判っているからって事を、意外に男性は気が付かないのかも知れません。
そして、同じ本に載っている磯田先生の「私論 乃木希典」は本当に面白い!先生には是非深く掘り下げて頂きたいものです。(この件に関してはいずれ別に)

2011年12月9日金曜日

ドラマ 坂の上の雲 「旅順総攻撃」


好古@阿部ちゃん いよいよ奉天へ
真之@モッ君 知謀湧くが如し
本当に良く出来てるこのドラマ。惜しいなぁ。。やっぱり大河ドラマ枠で42回きっちり時間かけて放送すべきだったんじゃなかろうか。キャストの力量と使っている技術/演出を考えると。。もったいない。1回が90分放送とは言え、

・90分 X 13回 =1170分
・40分 X 42回=1680分(大河ドラマ)

その差510分。今回の90分枠だったら5.6回分、もう一年やるなら計算が合う。或は3年それぞれに振り分けた回を1~2回多くしていたら、丁度大河と同じかな。1年空いてしまうと話の流れを忘れちゃうしなぁ。「新シーズン直前再放送祭り」で二度美味しい!!も、うまい商売だけど。。(書店ではここ三年の年末は関連書籍がよく売れただろうなぁ。)

でも、やはり文庫で全8巻を13回に納めようと思うと内容がどうしても端折り気味になる感は否めない。「天地人」とか「江」とか同じ時代を隔年でやってもしかたないっしょ。一つにまとめて一年は「坂の上」に明け渡すべきだったんじゃないかと暴言を吐いてみる。日本人の「戦国好き」は多分に大河で放送し過ぎに責任があるんだから、もう少し選ぶ時代を考えた方が良いと思う。
しかし、今回はすごくいいんだけど、残念な点もいくつか。「萌え」ポイントと共につらつらと。


そりゃ無いでしょ、、「黄海海戦」
確かに原作を読むのはかなり根性がいる。「竜馬がゆく」に比べるとファンタジックな感じが少ないし、胸を熱くする活写も少ない。司馬さんって本気で書かせたら人の心を鷲掴みにする「超かっこいい」主人公が描けてしまう恐ろしい人なのですが、「坂の上」はその能力を封じ込めて、ストイックに史実を入念に調べて書き込んでいます。
脇道に逸れますが、私がもし司馬作品を一冊も読んだ事が無い人に薦めるとしたら迷わず「燃えよ剣」です。女子なら間違い無く主人公に惚れます。男子は完全に土方になりきるでしょう。(これまで薦めて一度も外した事無し!)数年前、山本耕二君が「新撰組!」で演じてくれたのは本当に幸甚でした。
軌道修正。
なので、かなり筋は複雑で、特に満州での陸軍の動きは1回読んでもよく頭に入りません。
今回のドラマでも、そこがどうしても判りにくい。あんなに略してしまうなら、せめて渡辺謙さんのナレーションをもっと丁寧に入れた方が、原作を読んでいない人にも流れが掴めるのではなかろうか。大事な事をさらっと台詞に織り交ぜると、きっと気が付かない人多数。
「あの『坂の上の雲』はよく判らない。」
と去年職場の同僚(原作は恐らく読んでいない)がボヤいていたのが凄く象徴的だった。
一番「そりゃないよ。」と思ったのが黄海海戦の略し方。さらっと海図一枚って、、、。あの黄海海戦の失敗がその後の日本海海戦に少なからず繋がるのになぁ。
「露探(ろたん:ロシア側のスパイという意味)」という言葉が当時言われて、海軍が全く業績を上げられない事に世論がこの言葉で突き上げる様が描かれている。
「重い重税で作った海軍なんだ、もっと働け!おまえら、本当はロシア側のスパイじゃないのか?」
と国民が(正確には新聞等のメディアが)海軍を突き上げて追い使う様子などは、その後の昭和前期とかなり違うのにな、、とか。
旅順港から、ソロリと顔を出してウラジオストックに逃げようとした旅順艦隊を、追いかけに追いかけ、最後は弾が尽きて「残弾無し」と白板に書かれたメッセージ(追撃中はとても声が通らないので、小さな黒板で連絡をやり取りしたらいしい。)を思わず艦長がバン!と投げつけて割る所は取り逃がした悔しさが滲み出ていて印象的なのに。
それが、全く、、、無いのが。。。


遼陽会戦の秋山支隊がかなり不明確
ここもかなり残念だったなぁ。原作でも好古がどう凄いのか、ぼんやり読んでいると今ひとつ掴めない。義経の鵯越えとか、木曾義仲の牛を使った戦法とか、三国志で言ったら諸葛孔明の奇策、、的な「劇画的」要素がある訳では無く、むしろ地味に
  • 情報収集(斥候を出す)
  • リソース手配(機関銃の配備)
  • 自軍の分析(騎馬隊の本質分析)
をヌカリ無くしっかりやった。が好古の凄い所で、私は二度目に読んでやっと理解出来た。一度目はただ字面を目で追って「読んだ」事にしてただけだったと猛省したので、ここの伝え方は難しいと思うけど、前回の放送では
「ぬ?何があった?何となく上手く行った?」
という印象ばかりだった。
確かにクロパトキンのベットを大山巌が使ったと記述されてるが、それほど尺を使うエピソードじゃないよねぇ。。


萌えましたねぇ
荒探しは本望では無いので、やっぱり萌えちゃったポイント

「おるもんは、おるんじゃ。」

いいよなぁ阿部ちゃん@好古。司馬さん存命中は、絶対に映像化を許さなかったこの小説。制作発表の時は賛否両論あったけれど、主役陣の配役を聞いてみんな黙ったのでは無かろうか。
「ああ、これなら絶対に大丈夫。」
この配役を考えた人と、オファーを取ったスタッフは本当に値千金だと思う。そうよね、この人達しかあり得ない。
阿部ちゃん本当にいい役者さんになったよなぁ。と夫と話すけど、彼が学生時代本屋でバイトをしていたら、その冬の手芸雑誌の表紙が全て阿部ちゃんだったそうだ。まだノンノモデルだった頃の話。バブル前夜で手作りセーターを意中の人に渡すのが女子達の共通目標だったなぁ。その象徴的存在が阿部ちゃんなわけ。男が見てもいい男だと思うそうです。
長身に長靴(ながぐつではなく、ちょうかと読んで頂きたい)乗馬服は彼でなければありえな~い。好古は当時でも大柄で長い脚を見込まれて騎兵科に配属されたんだから、この配役はばっちり。細かい事に見えるけど、そんな事実をキチンと積み上げないとリアリティは生まれない。
先に引用した短い台詞「おるものはおる。」は、好古のリアリズムを見事に体現していて、萌えましたね。
現実を見る、それがいかに自分にとって都合の悪い事でも事実として認識する姿勢。これは司馬さんがその生涯を通して、常に重きを置いていた人の生き方と言っていいと思う。
たぶん、後半の回に用意されている「松川@鶴見辰吾との対決」の伏線と思われますけどね。楽しみ、楽しみ。

「降ろせ!降ろさんか!大連まで行く。」

モッ君。本当に真之になってる。才気走って、きかん気が強く、表現力に富んだ末っ子気質。共演した香川さんが
「真之にしか見えない。」
と絶賛していたけど、私も完全同意。彼は司馬作品を演じる為に生まれて来たんじゃなかろうか。
ご記憶の方は少ないかも知れないけど、後の大器を思わせるきっかけが大河ドラマ「徳川慶喜」(司馬さん原作)で主役を務めた時。あれで慶喜のイメージはガラッと変わったし「元アイドルが」と誹る声を見事に覆したと思う。その後の活躍は周知の通り。年齢を感じさせない人だなぁと思うけど、今回はちゃんと歳とっているのがまたいい。
日本海海戦で「軍服にふんどし」の扮装はするのだろうか?


なぜ、サラリーマンがこれを読んだのか(読むのか)
この小説が書かれた高度経済成長期。「坂の上の雲」は連載最初はそんなに人気がなかったらしい。(「竜馬がゆく」も尻上がりに人気が出たとか)黒溝台会戦の章なぞは編集部に
「いつ終わるのか、日本海海戦はまだか?」
と苦情も入ったとか。
有名な「乃木無能論」が物議をかもし、今でも「あれは史実に反する」という反証本もある。今回のドラマでも旅順/二○三高地はきっと力を入れて描かれると思うけど、それが史実かどうか厳密に検証するのとは別に、この小説を通して描かれる、組織内の動き/力関係に、当時の(そして今の)サラリーマンは自分の身を重ね合わせて見てしまうのだ。
死山血海、数万の犠牲を払って繰り返される「思考停止状態」の作戦実行命令。効果が無いと判っているのに無策に繰り返され、血と鉄(兵と弾薬)を大本営に求める参謀達。
原作を読んだ人は知っていると思うが、司馬さんはそれを「執拗に描く自分が恥ずかしい。」と正直に書いておられる。
組織に属した事がある人なら、誰でも一度はこんな理不尽な目に遭った事があるだろう、児玉源太郎が来て胸のすくような「正義の英断」をしてくれないかと夢想した経験があるはずだ。だから、読み手は磁石に張り付く砂鉄のように、この物語に吸い寄せられる「そうだ、そうだ!」と心で野次を飛ばし、「いいぞ、ざまみろ。」と溜飲を下げる。
読み手がきっとそうなるのを司馬さんは十分に判っている。そして、そんなカタルシスの為に読まれるのを本望としていない。このアンビバレントな状況に、時折苦悩されているのを、他の著作を読むとチラチラと感じる。
「人間とは度し難いものだ。」
しょうもない愚かしさを、カラリと乾いたニヒリズムでスパッと表現する。グジグジといつまでも愚痴っているだけでいいのか?考えているか?っと常に問われているようで、そこが最大の魅力だと常に思う。


映像の力
まあ、いろいろ書きましたが、旅順攻撃のロケは圧巻。
「ああ、痛かったろうな。あの一つ一つが命だよな。」
と、思わずには見られない。
「ベトンで固めた堅牢な要塞の、表面に盛られている盛り土を弾き飛ばすだけ。」
がどんな状況だったのか、映像の力はその点凄いなとやっぱり感心する。
後年、この時の要塞攻めの話を聞いて育ち、詳細に絵を描いていた少年が、後に硫黄島守備隊隊長の栗林中将になる、、というのは「さかのぼり日本史」で知った事。
圧倒的な米軍の物量作戦に対して、一ヶ月も地下にもぐって粘り、散々に米軍を苦しめたのだが、日露戦争の旅順塹壕/要塞戦がモデルだったとは。。やはり、歴史は後世へ後世へと影響が渡って行く。

さて、残り3回どんな演出だろう。いろいろ楽しみである。
文庫版のイラストも凄く味があっていい。

2011年12月1日木曜日

新書の中の大河ドラマ「武士の家計簿」磯田道史著

この二人ゴールデンコンビかも
理系萌えの私が、なぜこの本を早く読まなかったんだろう。映画化されて「あ!面白そう主演、堺雅人だ!」と思ったし、何度か書店で見かけて気になったのに、いつの間にか忘れてしまう。多くの本はこんな感じの厳しい競争に晒されているんだなぁ。

さて、これはタイトルに書いた通り「新書の中の大河ドラマ」である。あまりに面白いので、本当に読んで欲しいから、あらましでは無く、著者や「はしがき」「あとがき」に焦点をあてて、読書感想なぞ。

平成の司馬遼太郎
ーーーAmazonの著者紹介より。司馬ファンとしては「ああ、才能が出たか!」って感じで小躍りするほど嬉しい。なぜ、急にこの本が読みたくなったかと言えば「さかのぼり日本史」で江戸期の回のゲストを務めたのが、著者「磯田道史(筑波大准教授)」だったからだ。でも、最初はこの少し甲高い声の若き先生が、あの「武士の家計簿」の作者と気付かなかった。

「江戸時代なんて、眠った250年面白く無いよ。」
と思い込んでいた私は、躍動感溢れる戦国や幕末/明治に比べたら、江戸期を担当する人は少し可哀想だな、などと思っていた。(凄く失礼である(~_~;)。。。
だから「さかのぼり」はずっと視聴していたけれど、幕末の回以降から特にエントリーを書かなかった。

しかし、この磯田先生は凄く印象に残った。戦中期担当の「加藤陽子先生」も同様だが、「話し言葉」と「書き言葉」は密接に関係していて「聴かせる話」が出来る人は、間違い無く文章も「読ませて」しまう。「もう少し、この人の話を聴いていたい。」と思わせる話術は一つの才能だ。

決して聞き易い声質では無いのに、相手の注意をグッと引き寄せる話しの組み立て方は、普段から人前で話をして来た人ならでわだ。しかも「相手の理解度を図りながら」話すという、教師には必須の資質がよく判る。
上手に記憶に残る話しを、コンパクトにバッケージ化して相手の頭にポンポンと放り込む印象だった。

その磯田先生を再びお見かけしたのが、BS歴史館(KARAの回のエントリーで書いた「李氏朝鮮の妃達の回」)の時。この放映で話しのついでに
「私は武士の家計簿を研究した事があるのですか、、。」
と一言語漏らした事で、やっと頭の中のジグソーパズルが組み合わさった!
こんな時の快感はたまらない。(ちきりんさん言う所の「思考の棚」か?)

「面白そうと興味をもった本」+「この人、気になると思った著者」

この二つの決定要因が重なった場合、私は何としてでも読もうと思ってしまう。
だから、、本を書いた方、特に「書かずにはいられない衝動に駆られて書いた」人は、もっと自分を宣伝すべきだと思う。顔と名前を晒して宣伝などしたら訳のわからない輩から批判を浴びる事もあるから、諸刃の剣かな…。

でも、書き手の人格が端的にわかる映像は、物凄くインパクトが強い。職務上の制約があるのかも知れないが、このIT時代ーー文字媒体と映像媒体を繋げるのは簡単なのだから、そんな作家や物語を持つ人がもっと増えて来ると思う。(磯田先生Twitterやらないかなぁ。。。)

神田神保町が持つステイタス
冒頭のはしがきで、磯田先生はこの著作のベースになった古文書の歴史的発見の経緯を語る。金沢からの出物を販売目録で目にした時、直感で「武士の家計簿だ」と感じて、大慌てで現金15万円をポケットにねじ込み、神田神保町で買ったそうだ。
商品として古文書が流通する事自体「へぇ!」と思うが、もっと驚いたのが神保町はまだそんな機能を持っているという事だ。

父の実家が文京区にあったので、子どもの頃から山手線の内側、それも中央線沿線には「学究的で知的な文化」を感じてしまう。今でも、大手出版社、製紙メーカー、出版関連の中小企業がひしめき合っている。神保町と言えば「本屋」の街だった。
「戦後、ものが無い時代だったから神保町を探しまわって英語の辞書を買ってもらったんだ。」
と父から繰り言のように聞かされた昔話が影響している。

でも、最近は大きくて綺麗な本屋が相次いで出来ている。Amazonの台頭で神田に行かなくても、本はどこでも手に入る。そのうちネットで検索すればあらゆる文献も電子化されるだろう、、。でも、少なくとも磯田先生が流通から救い上げた、平成十三年は神保町が「古書の滞留弁」の役割を果たしていた。
ここに辿り着いてきちんと価値が判る人物に渡った事は奇跡だけれど「一箱15万円」と値がついているんだから、世の中には目利きがいるんだと思う。
温州みかんの段ボール箱に入ったカビ臭い古書は一時は「資源ゴミ」として扱われたんじゃないか、価値の判らない持ち主から、まんまと稼いだ中継ぎ業者も居たんじゃないかしらん。。と、内容の面白さもさることながら、この貴重な記録一式が、その価値が判る磯田先生の手に渡るまでの物語も面白そうである。(何しろ、発行部数20万部のベストセラーに化けるんだから世の中判らない!)

「手に入ったのは偶然だった。」と語るけれど、永年追い求めて感度を磨いていたから、見つかるべくして見つかったのかも知れない。そして、この家計簿を綴った三代に渡る「加賀藩御算用者」の系譜に流れる「理系特有のファクトに忠実な姿勢」が、等の本人達が亡くなった後でも、何事か訴えかけていたのでは無いか。
価値の分からない人間に「捨て!」と決断させない「積み上げの迫力」があったのかも知れない。そんな両者が結び付いただけで、浪漫を感じてしまう。

歴史は過去とのキャッチボール
あとがきに、さらっと書かれたこの言葉も気が利いている。磯田先生が学生時代に聞いて感銘した言葉だそうだ。

この本の主人公達(祖父:信之、父:直之、息子:成之)は、歴史に埋れた人々であったが、賢明な判断力で動乱の時代を生き抜いている。

祖父は計算能力を買われて、猪山家(この物語の家)に養子に入り、御算用者としての出世を果たした。そして、後継ぎには一番計算能力の高い四男に継がせた(父:直之)。
この息子が大英断をする。映画で堺雅人が演じたのはこの直之らしい。武家には欠かせない交際に必用な経費が家計を圧迫し、収入の倍の支出を続けている。借財が膨らむ一方の家計の立て直しを断行するのだ。(ここが最初の山場)
直之に子どもが生まれ、その子:成之が成人するあたりから、時代が幕末の動乱を迎える。この祖父から孫へと伝わる「算用」の才能が時代の流れに徐々にマッチしてスケールが大きくなるあたり、本当に一気に読ませてしまう。

いやぁ、数字に強い男はやはりカッコイイ!(理系萌え)しかし、磯田先生のあとがきの決め台詞もカッコイイ。
激動を生きたこの家族の物語を書き終え、人にも自分にも、このことだけは確信をもってしずかに言える。恐れず、まっとうなことをすれば、よいのである。

【後記】
先日読んだ「中国化する日本」(與那覇先生)の本、この磯田先生の本、どちらにも巻末に「○○研究補助金」のおかげで研究/出版出来たーーー。という趣旨の謝辞が書いてある。その一文が何だか、暖かく私の心に残る。。上手く表現出来ないが、両氏の真摯さを感じたのだ。