2012年5月20日日曜日

アゴラ読書塾Part2第6回「森のバロック」中沢新一著 〜南方熊楠 博覧強記異色の天才〜

24歳渡米した時のポートレートを元に作画。驚く程イケメン! 
毎回「噛みごたえ」たっぷりのお題本な読書塾であるが今回も、ひえぇの本である。池田信夫氏曰く
「そんなに難しいかなぁ、この文体は格好付けてるだけですよ。」
とサラリ言ってしまうのがさすがである。

著者の中沢新一氏は「チベットのモーツアルト」を1983年に発表して、メディアからは「ニュー・アカデミズム・ブーム」ともてはやされたらしい。
「チベットのモーツアルト」というタイトルを何処かで見たなと思ったら、うちの書棚に昔からあった本だ。夫の学生時代の荷物にあったもので「内容を覚えてる?」と聞いたら、
「全く覚えて無い。何が書いてあるのかさっぱりわからんかった。当時はあれでも読まないとインテリとは認められないから、格好付けてみた。でも、挑戦しただけエラいだろ。」
とのたまったので、なぁーんだみんな同じジャン!とホッとする。
色々な意味で80年代っぽい感じの書物だ。(「みんな、当然こんな単語知ってるよね。」の前提でバンバン学術用語が説明無しに続くので、辞書をひかないと文意をあっという間に掴み損ねる。)

とにかく根性で読通した感想は、文字だけで表現するとわかりにくいもの(例えばビジュアルとかミュージックとか)を無理に文字で表現していると感じた。なので、今日のエントリーは出来るだけビジュアルを沢山援用しようと思う。


南方熊楠の不思議
2012.05.18Google Top ページより。熊楠生誕145周年
熊楠(くまぐす)をどこで知ったのか、何かを読んだ時だったと思うのに、それが見つけられずちょっと気持ち悪い感じである。この「いつの間にか知っていた。」というのは熊楠らしい。読書会をした日が生誕145周年というのは恐るべき偶然だ。
彼の人となりを、池田信夫氏のブログが端的に語っているので、詳細はそちらに譲るとして、この「森のバロック」から受けた印象をいくつか述べたい。


大樹の子 熊楠
熊楠は、慶応三年(1867)江戸末期に生まれ、昭和16年(1941)日米開戦の年に亡くなっている。命日が12月29日なので真珠湾攻撃の報を聞きながら亡くなったのだろう。見事に時代の節目から節目へと生きた生涯だった。それなのに、この時代の王道とされた「末は博士か大臣か」のエリートコースからは早々に見切りを付けてドロップアウトしている。
大学予備門に合格し、同期生には正岡子規や夏目漱石らが居て、それだけでもとんでもない事なのだが、学校が大嫌いで二年後には中退してしまう。
父親に懇願して、私費でアメリカ留学をしたのを皮切りに、キューバからロンドンへ渡る。途中、恐慌のあおりを受けて実家からの送金が滞り、時にジプシーと一緒に放浪したりもしたそうだ。語学のセンスが良かったのか、先々の言葉を会得して18〜19カ国語も操れたというのだから、恐るべき頭脳の持ち主だ。雑誌ネイチャーへの論文掲載(池田氏によれば『コラム的』性格の論文だったらしいが)記録はいまでも破られていないらしい。
NHK「日本人は何を考えてきたのか」より
丁度、今年の一月に「日本人は何を考えてきたのか」という地味ながら興味深い番組が放映されていた。その中で熊楠が取り上げられている。(左図)
 田中正造と合わせた扱いだったので、内容はやや薄めになってしまうものの、熊楠が終世暮らした和歌山県田辺の映像もあり、直筆の書簡が紹介されたりもして、熊楠入門にはうってつけだ。
熊楠は「エコロジー」という言葉を初めて日本に紹介した人物とされているが、彼の言うエコロジーとは
「自然と人類は一帯のシステムである。」
というものだ。ともすると「守らねばならないひ弱な自然」と思いがちな昨今のエコロジー感とは随分と違う。本書「森のバロック」の冒頭に印象的なエピソードが紹介されている。
「(熊楠が)四歳で重病の時、家人に負われて父に伴われ、未明から楠神へ詣ったのをありありと今も眼前に見る。また楠の木を見るごとに口に言うべからざる特殊の感じを発する」(「南紀特有の人名」)
モチーフが宮崎アニメを彷彿させた
熊楠が生まれた南紀州の故郷では、楠の巨木をご神体に祀った神社があり、重篤な病を患った熊楠が、巨木に平癒してもらおうと、願掛けに連れて行かれた時の様子である。かれの「熊楠」という名前も、この御神木から付けられている。この話を聞いてすぐに思い出したのが、数年前に話題になった、映画「アバター」である。
「樹木に平癒してもらう。」
というモチーフは、映画後半のクライマックスに出るシーンだし、さらに踏み込むならばこの映画全体が、日本の「宮崎アニメ」の影響を色濃く受けていると感じた人は多いだろう。
(Googleで「アバター/宮崎アニメ」と検索するとわんさか記事が出て来る)



大地と人間は決して切り離せない、聖なるものも、俗なるものも、それは全てが渾然と一体化している。。
と熊楠は言いたかったのかと思うが、そもそも、陳腐な言葉の羅列ではとても太刀打ち出来ないのが、自然なのである、、と感じた。


南方曼荼羅
熊楠が記した「科学的方法論の曼荼羅図」
この、書き損じのような「ぐちゃぐちゃ」っとした図が「南方曼荼羅」と言われているものだ。何だかさっぱりわからないというのが、本音であるが、本書の中で熊楠が唯一「まともに結論まで書いた論文」として紹介されている「燕(つばめ)石考」の解説と合わせるとやや理解出来る。(第三章:燕石の神話論理)
この部分だけは、他の章よりも読み易く面白かったので、おすすめである。

南方曼荼羅は、多数のコード軸(思考の軸のようなもの?)を複雑に組み合わせて、その間に生ずる「類推(アナロジー)」を使って大きな変換体系を作ろうと試みたらしい。

「燕石」という燕が巣の中に持ち込む石に関する、言い伝えや神話/伝説とそれに関係しそうなエピソードを組み合わせて、次々と話が縦横無尽に展開して行く。
  1. 燕がある特定の石を海辺から運んで、その中にしまっておく。
  2. その燕石は、ひな鳥の目の病気を直す力を持っている。
  3. 燕石を身につけた女性は、安全に子どもを出産出来る。ほかにもこの石にはいろいろな医療効果をもつ。
  4. 燕は「燕草(草の王:セランダイン)」と呼ばれる植物を使って、子燕の眼病を治す。
  5. それとは別に「石燕」と呼ばれる民間医療用の石がある。これは実際にはスピリフェル種の腕足類の化石で、その形は燕の飛ぶ姿に似ている。この石は酸性の液体に入れると、生き物のように動きだし、まるで両性が愛の交歓を行っているようにみえる。
  6. 「眼石」と呼ばれる、眼の病気を治すための民間医療用の石がある。これは貝類の「へた」にほかならず、「石燕」と同じように、酸性液の中でエロティックな運動をする。
  7. 燕石は、鷲がその巣の中に大切にしているという「鷲石」とも深い関係がある。この鷲石も女性の出産を助ける魔力を持つと言われている。またヨーロッパの伝承世界の中では、鷲と燕は深い関係をもっていると考えられていた。
何だか、ちょっとづつは関係ありそうだけど、明確に因果関係があるとは言いがたい要素である。でも、それぞれが「おや?」と興味をひく「地下的な魅力」に富んでいないだろうか。(この話がどう展開していったのは、とても語り切れないのでごめんなさい。)

熊楠は、後に民俗学の権威とされる柳田国男とも、往復書簡で激しく議論をしている。
著者一流の小難しい言い回しで、かなり理解しずらいが、乱暴を承知で噛み砕いてみると、柳田は「民俗学の中から『制度』をあぶり出したい」と願い、「俗なもの(エロス)」を見ようとしなかった。熊楠は「それは違う。」と言い、むしろ「それが(エロスが)主たるものである」と言いたかったらしい。
彼の残した膨大な書き付けは、余白までびっしりと言葉や図で書き尽くされ、話は猥談をしていたかと思えば、いきなり難しい論文調のものになりと、脈絡無く続くと言われている。その有様こそ「自然なのだ」と彼は言いたかったのかも知れない。


誰も注目しなかった粘菌
熊楠が生涯をかけて研究を重ねた粘菌
そして、熊楠が生涯をかけて研究していたのが、粘菌である。(変換すると先に「年金」と出てしまうのが昨今の悲しさ。)
何と、昭和天皇もこのマイナーな生物「粘菌」の研究者で、熊楠が晩年、若き昭和天皇にご進講をした事は有名なエピソードである。(うる覚えだが、天皇の事を「おいおまえ」と呼び捨てにしたとかしないとか。。)
キャラメル箱に入れた粘菌の採取サンプルを110個献上し、周囲は「キャラメルの箱なぞ!」といきり立ったが、昭和天皇は「このままで良い」と不問にしたのもなかなか面白い。
本書では一部カラーページになって、粘菌の事が紹介されていたが、最近はもっと凄い図鑑があるのを発見!
表紙の絵を見ただけでもゾワッと来てしまうが、カラフルで様々な形態をしたこの生き物は、摩訶不思議である。
図鑑の中身はもっと凄いらしく、見た人は日本人ならば、知らない人は居ない、有名な作品を思い出すだろう。


風の谷のナウシカ(原作版)
熊楠を知ってもう一度読みたくなる。
本書を読んでいる途中から「これは風の谷のナウシカだ。」と直感した。映画版では無く膨大な時間を使って描かれた、漫画原作版の方だ。
特に、ナウシカで描かれた「腐海(ふかい)」はその描写が限りなく「粘菌」の様に近く、原作版では「腐海」は意志を持っているというような描かれ方をしている。
最近の研究でも、粘菌が迷路を最短ルートを使って餌に辿り着く実験がされたりして、なかなか興味深い)

映画では、尺の関係からその部分の描き方が弱く、「善悪の単純な二項対立」のように見えてしまうが、原作はもっと複雑で、物語の結果も深い。
(宮崎監督は映画版が非常に不満で、鈴木プロデューサーの目の前で分厚い台本を引き破ったそうだ)
借りて読んだので、手元に無くうる覚えであるが、クライマックスのエピソードは、熊楠が言う所の「エコロジー」とは何かを、真摯に捉えようとして、宮崎氏の筆が苦悩しているようにも思えた。
網野善彦の時も感じたが、この「メインじゃないグループ」(※)が持つパワーは、日本のサブカルチャーに多大な影響を及ぼしているとつくづく思う。

池田信夫氏も「熊楠とアートは親和性が高い。」とコメントされ、日本人のポテンシャルと言っていいのかも知れない。(構造的に弱い弱点はあるものの)
この不思議な、超人の事はまた考える機会がありそうだ。

※本郷和人先生(@diamondfloor41)曰く、網野善彦は中世学のマイナーどころか、最早メジャーだそうですが。。

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