2012年2月25日土曜日

アゴラ読書塾第8回「安心社会から信頼社会へ」山岸俊男著

「安心と信頼の○○」大昔、こんなキャッチコピーのCMがあった。(多分金融系、、)メーカーの宣伝文句でも、この二つの単語は同義語として扱われている。私も、この違いなんて、気にした事が無かったが、本書の冒頭「この二つは違う」と定義している。
  • 安心は「意図」に対する期待
  • 信頼は「能力」に対する期待
 これだけ書くと、何だか分かる様な分からないような、、要は
  • 閉ざされた社会空間(マフィアとか、村社会とか、日本組織とか、、)で 集団を乱す行為(裏切り、盗み、怠け)をした時に、見せしめに罰する「鉄の掟」がある場合、社会的不確実性が排除されるので、「掟」を守っていれば安泰。→安心社会
  • 見知らぬ人同士(オープンな状態)で、基本的には「契約」をベースに相手の「能力」を信じて何かを取引する社会。→信頼社会
という事らしい。作者はこの区別がはっきりしていかなったので、これまで「信頼」に関する議論が混乱して来たと述べている。

真面目に「給湯室」の噂話を実証した研究書
読みたい本だけ読んで来た私の読解力では、それほど厚い本では無いのに苦戦した。多分、実験の経緯や結果を、文章だけで表現するとこんな感じになってしまうのだろう。
それはさておき、読んだ感想は
「これまで、給湯室や居酒屋で語られた来た『ヨタ話』を真面目に研究したんだ!」
と思ったのが一番大きい。
著者が多くの実験を経て導きだした二つの社会を構成する人々は
社内の人間関係には非常に敏感で、「誰と誰は仲が良い/悪い」とか「あの人はこんな癖がある」とか見知った同士の事は良くわかる(身内の視線にびくびくしている)のに、「よそ者」の能力や人間性を見抜く能力は著しく低く、対外的な関係を結ぶ時に相手の能力や人間性を正確に見極めて判断できない。(安心社会を構成する人々)※社内=村と置き換えも可
社内の人間関係にあまり関心が無く、多少のリスクを取りながら対外的な関係を結び、 時に失敗をしながらも、他者の人間性や能力を見抜く力(社会的知性)を身に付けて来た人々。(信頼社会を構成する人々)

という事らしい。
前者はトイレとか給湯室とか(或は喫煙所とか) でしきりに「吹聴」する事情通がこの社会を代表的に体現しているし、後者は伝統的な「ハリウッド映画」の主人公の特性だと思う。(噂好きのヒーロー/ヒロインなんて見た事無いし。。。)

日本人なら、うんざりする光景だろう。好むと好まざるとに関わらず、「吹聴」する人に上手く調子を合わせておかないと、自分にしっぺ返しが来るので「掟」に従ったふりをするのは、必要な「日本流社会的知性」だったりする。(著者の言う「信頼社会に必要な社会的知性」では無く)
しかし、この「安心社会」はもうまもなく崩れるだろう、、というのが、著者或はこの読書会メンバーの一致した意見である。

安心が揺らいだ時
「安心社会」に住む「低信頼者(人をみたら泥棒と思う人)」はひとたび「掟」が崩れ「社会的不確実性」が顕在化すると、一気に「不安」の海に投げ出され「利己的な行動」に走り易いとも、本書では指摘している。

すぐさま思いついたのが、昨年の震災直後の光景だ。
店頭から水とか乾燥食品、トイレットペーパー、紙オムツ、がきれいに消えてしまった。何も無くなってしまうならまだしも、生鮮食料品(調理が必要だったり保存の効かない食材)はあるのに、買いだめの効く物を必要以上に溜め込む行動に駆り立てた動機は
「入手出来なくなったら困る。誰も助けてくれない。」
と強く思い込んでいるからだろう。

どんなに酷い目にあっても、辛抱強く列を作って配給を待つ姿が、世界に「美談」として語られる反面、店頭では我れ先にと買い占めに走る。

恐らく、前者は「面が割れている地域の人達の中」で行動しなければならないから「並ぶもんだ」という掟に従ったのであり、後者は「顔の知られていない一人の買い物客」として匿名性の高い中で行動するから「利己的」に生きる本能に従って行動したのかも知れない。
池田先生の言う「偏狭な利他主義(安心社会)」と「寛容な利己主義(信頼社会)」はその本質を的確に言い表している。

日本は「信頼社会」へ変わってゆけるのか?
読書会の最後は、やはりこのテーマに行き着いた。
恐らく、これまでの「安心社会」は早晩崩れてしまい、「信頼社会」へ移行せざる終えなくなるだろう、というのが出席者の大方の見方である。
ただ、信頼社会の先駆者である欧米が、必ずしも BESTとは言えず、昨今の事情を考えても日本がそのまま「欧米型の信頼社会」になるとは、なかなか考えにくい。
「信頼社会」は高度な制度設計(司法その他)とセットにしないと、上手く運用出来ず、またそのコストも非常にかかる。
「安心社会」は人を何かに(それは土地だったり組織だったり)固定する単純な構造であるが故に、信頼社会よりも低コストで早く完成する。(池田先生が言う所の「主権国家は究極の『ムラ社会』」 )
下手に、日本的な「安心社会」と欧米型の「信頼社会」をハイブリットして「ブロン現象」に陥らないとも限らないので、なかなか頭の痛い話でもある。
與那覇先生の「中国化する日本」より→良いとこ取りしたつもりが、悪いとこ取りの最悪の結果の意:メロン程の大きな実がブドウの様に沢山成るつもりが、ブドウの様に小さな実がメロン程度の数しか成らない、星新一の短編小説より引用。

東洋的「勤勉革命」とジョブスが語った「三万人の熟練エンジニア」構想
読書会の最終盤。手元にしっかりメモしておかなかったので、どうしてこんな話になったのか記憶が定かで無いのだが、、、

人本主義(資源が無く居るのは人ばかり)で問題解決に「人」をどんどん投入する東洋的やり方と、そもそも人が少なく「物」と「金」で問題解決しようとする、西洋的資本主義、、という話の流れで、ジョブスとオバマ大統領がシリコンバレーで会談した時に出た話題を池田先生が提供された。詳しくは「スティーブ・ジョブスII」に書いてあるが
Appleは最早、米国内の雇用創出の役には立てない。(規制が厳し過ぎて米国内に工場はとても建てられないし、、)しかし、中国の工場で70万人の工員が製品を生産する為に、3万人の熟練エンジニアが必要で、そのエンジニアを米国内で育成する方法は無いのか。と大統領に問うた。「何も全員博士号を持つ必要は無い、ミドルクラスの学士レベルで十分であり、専門学校やコミュニティカレッジで十分育成出来る。」とジョブスは語った。オバマ大統領はこの話がとても印象に残ったらしい。
 この話で、ピンと気が付いた事がある。以前「配電盤の漏電」というタイトルでブログを書いた事があるが、東京理科大は東大OBが全面的にバックアップして「中間エンジニア」を大量に育成する為に設立された大学らしい。
Appleが欲しがっている「熟練エンジニア」の何割かは日本で賄えるのではないだろうか。明治の昔から
「理論と精緻な設計図だけでは、物の製造は出来無い。」
とかつて「世界の工場」だった日本企業は知っているわけだから、日本から排出するのはお手の物だろう。

今朝の日経にも「画面を見て手術する医師」(大圃研氏 37歳)という企画記事が出ていた。日本は内視鏡での術例も技術も世界一だから、もっと後進を育てて、世界にもこの術法を広めたいという。(37歳の若さで!!)
ご存知の通り、日本生まれの内視鏡は世界シェアを日本企業が独占している。(昨今問題のオリンパスはシェア70%以上)内視鏡手技は器用さを要求されるし、必要な消耗材もえらく高い!!!何だかここに「革新」のネタがありそうな気がしてならない訳だけど、キーワードは
  • 天然資源なし
  • 人はとにかく居る(少子化で減ってるけどまあ、世界的にまだ人口は多い方)
  • 平均して手先が器用
  • マニアックに作り込む
この資質を徹底活用出来る、「信頼社会」ばりの「戦略眼」があれば、生き残りのオプションが見えて来るんじゃなかろうかと思った次第。
【独り言】全国学力テストと並んで「全国手先器用さテスト」を文科省は本気でやった方がいいんじゃなかろうか。マジで。。「自分は手先が器用である。」と小さい頃から自覚してくれると日本の宝になります、きっと。

0 コメント:

コメントを投稿