夫の郷里は九州の片田舎である。結婚する前からよく言っていたのは
「こんな誰も使わない所に、道路や立派な建物を作っても仕方無い。首都圏がこんだけ不便なのに、都心の人はそれをよく我慢している。投下された税金をいくらかでも都市のインフラ整備に回した方が、恩恵を受ける人の数が違う。」郷里に有利な政策や補助金が投下されるのを、苦々しい思いで見つめていたのだろう。(竹下政権での「ふるさと創成一億円事業」も典型的バラマキと言って鼻で笑っていた。)今回のお題本は戦後「奇跡」と言われた高度経済成長がなぜ止まってしまったのかを大胆に論じる内容だった。
主犯は「田中角栄」説
池田先生は「この増田説はちょっと乱暴である。」とおっしゃっていたが、本書の内容を簡単に言えば。。
- 角栄がぶち上げた「列島改造論」は都市に集中している経済成長の要因を強引に地方に振り分けようとした、ある種「社会主義的」な富の再分配行為だった。(本人は非常に無邪気に行っているが)
- 都市への人口流入が止まり(多くの公共事業/補助金政策で地方でも暮らしが成り立つようになったから)それが高度経済成長の息の根を止めてしまった。(悪平等の弊害)
- これに加担したのが、左寄りの文化知識人だったり、「弱者」の味方を標榜する人々で、角栄失脚後も流れが止まらなかった原因はこれにある。(弱者は弱者のままでいて)
- もっと都市にインフラを集中させ、人が集まる「高密度都市」に整備すべきだし、世界的に見て潜在能力の半分しか生かせていない、女性の就労率をもっとあげるべきだ。
「マジでヤバいんじゃない。」
の気持ちで読むと、本書に書かれた事のいくつかは、「理想論」では無く、早く実現しないと、、と思う。
幻想を捨て切れない人々
昨夜の池田先生の見立ては以下の通りだ
- 高度経済成長の要因 「生産性の高い場(都市)」に「安い働き手(田舎の次三男)」が集中出来た事の、相乗効果によるだろう。
- 70年代に入って成長が落ち込んだ理由 「優生保護法」などの整備から出生数を意図的に押さえる方向に世の中が既に変わっていたから。
- 自民党の主流派は真の保守派では無い 「皆が平等に仲良く暮らしたい」事を目指している人が多く、薄く広くHappyにする政策を捨て切れない。
「今、一番注目すべきは、『人口減少』の現実で、就労可能な年齢が年1%づつ減っている現実をもっと認識すべきである。その為には女性の就労率をもっとあげる方向に、男性中心の理論を改めなければならない。少子化対策と言っても効果はすぐに現れない。」
この言葉には、本当に勇気づけられる。
思い切って、最初に質問の口火を切らせて頂いた。質問の内容は
「男性中心の理論で、人事査定をしてしまう今の50代後半の『人事裁量権』を持つ人々の意識は変わる可能性はあるのでしょうか?それとも、年齢による退場を待つしか方法は無いのでしょうか?」だった。
この質問の背景は、私自身の経験に基づいているのだが、いつまでも男性の「育児参加率」が上がらない元凶はここにあると、常日頃思っているからだ。
妻にばかり不利な状態を押し付けているのを、今の夫達は「当然」とは思っておらず、何とかしたいと考えている。(良識あるきちんと考えている男性達は)
しかし、「育休を取ります。」「残業せずに帰ります。」と言って、その行為が全く査定に響かないかと言えば現実はそうでは無い。(特に「転勤辞令」で昨夜は盛り上がりました)
「同じ働きをしている人が並んだら、それは制度を利用した方に不利な査定を付けざる終えない。」
と決まり文句が返って来るのだが、池田先生は
「それが幻想である。」
と鋭く説く。つまり
- 人はいくらでも変えがある(人は沢山居る)
- 土地は少なくて大切にしなければならない(日本は狭い)
「折角高い教育を受けた人々(女性)を家庭にだけ閉じ込めてしまうのは、社会的損失と考えていい、キチンと社会に出て働き動き回る人々が、経済を牽引する要因になるのだ。60歳を過ぎた人ばかり再雇用を繰り返しても、それは将来には繋がらない。」
との言葉に深い共感を覚えた。
地域のPTAや、お母さん達の集まりに出てつくづく思うのが、
「環境にきちんと身を起き続けて能力を磨けば、もっと可能性があったろうに。」
と思える女性達によく出会うからだ。
限られた範囲に10年以上も閉じこもってしまったら、それなりのサラリーをもらえる能力を身につけるのは簡単では無い。ガラケーのメールを打つまでが精一杯で、しかも若い時に修練しておけば飛躍的に吸収出来る事も、年齢と共に衰える学習能力が追い打ちを掛け簡単に追いつけない悪循環に陥ってしまう。
女性のキャリアパスと、出産可能時期との兼ね合いをもっと真剣に考えるべき時に来ているとつくづく考える夜だった。
新しきコミュニティー
この読書会では、「日本人とは」という視点でずっと考察を深めて来たので、
「閉じた『タコツボ』社会を簡単に壊す事は出来無い。」
という認識は非常に深まった。一方、このままではどうにもならず、集団の単位がどんどん小さくなって最後は「家族」か「個人」という所まで行き着くだろうという認識も共有している。
「村」から出発して、それがそっくり「会社」に移植され、その会社が怪しくなった先に何があるのか。。。
居場所を失うとは、自分を失う事と同じ意味である。池田先生の言葉は深い。
恐らく、ネット上のそこここに、小さくコミュニティーが出来て行くのだろう、、、という予測は、何だかとても明るかった。
この「アゴラ読書塾」も池田先生がネットで一言呼びかけて集まったメンバーで構成され
「社会に出てから、もう一度『真剣に何か考えて学びたい』と思う人々に場を提供する働きかけ。」な訳である。(やる気の無い大学生に講義するより、遥かに実りがあるとか。。)
仕事と家事子育てで精一杯だった私でも、何とか参加出来たのだから、こんな試みがいろいろ形を工夫しながら、発展していきそうな予感がする。
とにかく資源が無い国で、人も減り始めている事実を考えると、人々の交流による『化学反応』を促進するしか、生き残る道は無いよなぁと考えを新たにした。
さて、来週はレポーターという大役で、今からビビリ気味。。
しっかり仕込みをしたいと思います。
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