- 福沢諭吉
- 北一輝
- 石原莞爾
- 東條英機
- 南方熊楠
- 高橋是清
- 柳田国男
- 廣松渉
「うわぁ!どんな人だったんだろう!」
と思う人名ばかり。私も、もの凄く行きたいのだが、これに行ってしまうと、子ども達の夕飯を実母にお願いし続ける事になってしまう。。実の親とは言え「仏の顔も三度まで」の通り、好意に甘え続けるのは気が引ける。(、、それに、長期的関係にも悪影響を及ぼすしwww)
学校の窓の外、ねんねこ半纏で子守りをしながら、授業を聴く「おしん」の心境(古!)ながら、泣く泣くパート2は「ひとり自習参加」予定。
テキストだけでも読もうかと思う。(でもやっぱり、ライブが一番です!)
テキストだけでも読もうかと思う。(でもやっぱり、ライブが一番です!)
パート1は「日本人とは何か」を大きな枠をなぞる方法で、理解を進め、全て終わってみるとポイントを押さえた著書がセレクトされていたんだと、改めて池田先生の構成力に感服する。
パート2が視点を変えて「人物」に焦点を当てているのも、非常に意味ある事だと分かる。
評価され過ぎた日本的経営
最終回は「日本的経営」の正体を、これまで読み重ねた本の内容を「元肥(地味を蓄える目的で事前に撒かれる肥料)」に考察を深めていった。
産業の大きな流れから見ると、「2.5次産業(自動車・マイクロエレクトロニクス:生産する時に擦り合わせが必要)」時代に
時流にのった主要産業で勝つのは誰か
今回の「ああ、そういう事だったのか!」を下図にまとめてみた。これが理解出来ただけでも、本当にめっけものである。
実は「垂直統合型」と「水平分業型」は構造は同じで、使い方が違うだけだという指摘にも唸らされた。ここまで見通した見解を、私はこれまで聴いた事が無い。
日本が生き残るには
読書会で通底していたテーマである。
「難しいよね。」
というのはよく分かった。
少なくとも、実態をしっかり理解して、下手な幻想を抱かないだけの認識は持てたかなと思う。それなりに覚悟しながら、それでも考え続けるのが及ばずながら使命と思うし、何より若い世代に申し訳無いと思うのだ(自分の子ども達も含め)。
会の最後にフラッシュ的に出て来たアイデアや予測を、簡単に列挙したいと思う。
「毎週一冊読むってキツイっすよね。しかも自分では絶対読まない本だったし。」
と皆さん口々に言うものの、読まないで臨んだ人は恐らく一人も居なかったろう。レベルが高くて、質問が途切れる事も無い。最後の打ち上げたるや、あちこちで喧々諤々のクロストーク。談論風発とはこの事だなと思う。
毎回、帰りの電車である事に気が付いた。
いつも電車では本を読む習慣なのだが、読書会の帰りだけは、気が付くとボーッと同じ箇所を凝視していて、読書が中々進まない。2時間の読書会の内容について考え事をしてしまうのだ。
「脳が反芻したがってるんだな。」
と思って無理に読むのを止め、出来るだけぼーっと取り留めも無く過ごす事にしている。
拙いながらもブログに書き落とす事で「アウトプット」らきしものを自分に課してみた。インプットだけでは、この歳になると、そのままどこかへ雲散霧消してしまうからだ。
覚えておく自信も無いから、ノートにマインドマップで書き取ったりもしていたら、それを注目して下さったりと、感度も意識も高いグループなのだ。
本当にいい経験だったと思う。
我がままを受け入れてくれた家族に感謝しつつ。おしんはしばらく子守りに専念して、また ほとぼりが冷めた頃に、お邪魔しようと決意するのである。
(>池田先生 是非続けていて下さい。)
パート2が視点を変えて「人物」に焦点を当てているのも、非常に意味ある事だと分かる。
評価され過ぎた日本的経営
最終回は「日本的経営」の正体を、これまで読み重ねた本の内容を「元肥(地味を蓄える目的で事前に撒かれる肥料)」に考察を深めていった。
「80年代に日本的経営は凄くもてはやされた。でも90年にバブルが崩壊し、暴きだされた いい加減な実態に、『これは根深い何かがある』と思った。」と池田先生は語る。
産業の大きな流れから見ると、「2.5次産業(自動車・マイクロエレクトロニクス:生産する時に擦り合わせが必要)」時代に
- 戦後の高度経済成長 →低賃金労働力と米国のデッドコピーで優位性を確保。(今の中国と同じ)
- 70年のオイルショックからの一早い立ち直り →資源が乏しいが故に「省エネで動かす」という目的に、各自一斉に少しずつ工夫調整を重ねて総使用量を下げるという、「お得意のお家芸」が優位に働いた。
時流にのった主要産業で勝つのは誰か
今回の「ああ、そういう事だったのか!」を下図にまとめてみた。これが理解出来ただけでも、本当にめっけものである。
- 食品・石油化学が強かった時代は、垂直統合型企業が強く、今でも欧米企業が世界的に強い。
- 自動車・電気精密は当初「擦り合わせ技術」を設計/生産現場で、多く必要とし細かい作業と局地戦が得意な日本企業が一時的に席巻した。
- ところが、情報通信革命が起き、IT産業が隆盛を極めると「人海戦術」では対応不能なまでに複雑化し、モジュール化とそれを「使うルール」を定めたプラットフォーム設計が得意(戦略思考に練達)な米国企業の独壇場である。
実は「垂直統合型」と「水平分業型」は構造は同じで、使い方が違うだけだという指摘にも唸らされた。ここまで見通した見解を、私はこれまで聴いた事が無い。
「今の所、勝ち残るには二つの道しか無い、モジュール屋としてそればっかり作るに徹する(サムスンとか)か、プラットフォームを決めて独占しちゃう(シリコンバレー型) かである。」確かに、この戦略を取っている所ばかりが、今の所景気がいいのは周知の通りだ。
日本が生き残るには
読書会で通底していたテーマである。
「難しいよね。」
というのはよく分かった。
少なくとも、実態をしっかり理解して、下手な幻想を抱かないだけの認識は持てたかなと思う。それなりに覚悟しながら、それでも考え続けるのが及ばずながら使命と思うし、何より若い世代に申し訳無いと思うのだ(自分の子ども達も含め)。
会の最後にフラッシュ的に出て来たアイデアや予測を、簡単に列挙したいと思う。
- 日本が得意な「ルールがありそうで無い、ぐちゃっとした細かい局地戦」が世界中から求められた時、日本にアドバンテージがあるかも知れない。(それが何かは未だ明確にはわからないが、、、)
- 娯楽や遊びといった極端に「ドメスティック」な世界では爛熟と言える程、基礎財産を持っている。上手くそれをロジカルに説明できたら、グローバルに売り出せるかも知れない。(ソーシャルゲームとか?)
- 結局「大博打」を打たなければ活路は見いだせない。それが打てるリーダーが出れば大きな戦いが出来るのに。
- ネットは本質的に「チャージフリー」が根付いてしまったから、マネタイズが難しい。利益を出すには、相当巧妙に考えなければならない。
- 否が応でも日本は「個人」へと分解せざる終えないだろう。大陸法(成文主義)的現在の法律を、何とか状況へ合わせて行くという道を辿るのが現実的ではないか。英米法(コモンロー:習慣法→訴訟中心主義)を採用していた方が、日本人には合っていたのになぁ。。(池田先生談)
「毎週一冊読むってキツイっすよね。しかも自分では絶対読まない本だったし。」
と皆さん口々に言うものの、読まないで臨んだ人は恐らく一人も居なかったろう。レベルが高くて、質問が途切れる事も無い。最後の打ち上げたるや、あちこちで喧々諤々のクロストーク。談論風発とはこの事だなと思う。
毎回、帰りの電車である事に気が付いた。
いつも電車では本を読む習慣なのだが、読書会の帰りだけは、気が付くとボーッと同じ箇所を凝視していて、読書が中々進まない。2時間の読書会の内容について考え事をしてしまうのだ。
「脳が反芻したがってるんだな。」
と思って無理に読むのを止め、出来るだけぼーっと取り留めも無く過ごす事にしている。
拙いながらもブログに書き落とす事で「アウトプット」らきしものを自分に課してみた。インプットだけでは、この歳になると、そのままどこかへ雲散霧消してしまうからだ。
覚えておく自信も無いから、ノートにマインドマップで書き取ったりもしていたら、それを注目して下さったりと、感度も意識も高いグループなのだ。
本当にいい経験だったと思う。
我がままを受け入れてくれた家族に感謝しつつ。おしんはしばらく子守りに専念して、また ほとぼりが冷めた頃に、お邪魔しようと決意するのである。
(>池田先生 是非続けていて下さい。)
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