2011年10月6日木曜日

スティーブ・ジョブスがいつも背中を押してくれた

四歳の娘が、iPad2で映画を観ている。ドックに挿したiPhone3GSからiTunesで買った曲が流れている。そして今日のエントリーも iMacで書いている。今日という日にこのエントリーは書かねばなるまい。

スティーブ・ジョブスの早過ぎる急逝に、世界が泣いている。そして、自分でもびっくりするぐらい、ショックを受けている。会った事も無いし、名物の基調講演も熱心に聞く程「信者」では無いけれど、成人として世間に出る頃から、ジョブスの生み出す製品に恩恵を受けてここまで来たと、認識を新たにしている。

グラフィック・デザイン界にMacが無かったら、、、恐らく、私は身体を壊して一線を退いていただろう。大袈裟でなく、結婚も、出産して子どもを産む事も、叶わなかったかも知れない。それほど、グラフィックデザインの末端現場はキツく、3 K職場であった。(まあ、今でもその傾向はあるが)Macの登場とその内容と質の高さは衝撃的だった。
「版下の誤植をこれで切り貼りしなくていい!」喉から手が出る程、みんな欲しがった。今や業界の伝説である。

「Macはセンスがある。」デザイナーでは無く、エンジニアである夫はこう言った。さして共通の趣味が無い私たちが、もう十年以上夫婦で居られるのも、Macの先進性と、とてつもない凄さを一発で理解し合えているからだと思う。結婚以来、我が家の敷居をWindowsマシンが跨いだ事は無い。

「Apple倒産するかも知れないな。」
夫がこう言ったのは、確か1998年頃だったと思う。仕事に欠かせないMacが無くなったらどうしようと戦慄したからよく覚えている。

奇妙な事に、私はNeXT版のIllustraterを使った事もある。これはかなり希少な経験者では無いだろうか。1995年頃だから、まだジョブスはAppleに復帰していない。NeXT STEPは今のMacOSXの原型であるという話は有名だが、才気走ったアイデアを具現化するハードが追いついていないというのがNeXT STEPだった。そして、あの当時のAppleは迷走していた。

「Appleはジョブスを迎えて、『AppleはやはりAppleらしく先進的であろう』を合い言葉に再生します。」

とAppleジャパンの黒いTシャツを着たプレゼンテータが、何かのカンファレンスで話した事も妙に覚えている、あれは長女が既にお腹に居た時だから1998年の秋だったのではないか。それまで操業の象徴だった、虹色のリンゴマークを単色のリンゴに変えた頃である。まだiMacは出ておらず、しばらくして、あの鮮烈なCMを観た時
「ああ、この事だったか。」と合点が行った。

今日のTwitterで良いエントリーを見つけた
「まつひろのガレージライフ」
ここに書かれているジョブスの凄みは、経営者としてのジョブスの姿を表しているが
「やっぱり、独裁者で無いと良いものは作れないんだな。」
と読んでしまうのは、理解が浅い。彼は決して自分の欲望の為に「独裁者」になった訳では無い、その証拠は生み出した製品が雄弁に物語っている。私欲を満たしただけでは、これほど世に愛される訳が無いからだ。

曲がりなりにも、メーカーに務めていると、Appleは羨ましてく仕方無い会社だけれど、理想を具現化するには、技術、デザイン、交渉力、マーケティング全てに「スマートさ」と「諦めない強靭さ」が無ければ、多くの共感は得られないのだと思う。

「みんな不正がしたくて、している訳じゃない。正当な手段があればきちんと対価を払って買いたいはずだ、その方が便利だし楽しいから。」

とは、iTunesStoreを開く為に、大手音楽レーベルを口説き落した時の台詞だそうだ。Napstarをはじめとした、音楽デジタルソースの違法コピーが横行して、訴訟が起きていた当時、今思えばよくこれだけの交渉をまとめたと思う。

iPodの登場で、仕事に欠かせないメーカーから、生活に欠かせないパートナーになった。時間が極端に少ないWorkingMotherにとって、全ての楽曲を持ち歩ける魔法の箱は、片道2時間の新幹線通勤をどれだけ支えてくれたか知れない。

思い返すと、人生の節目、節目で「怯んでしまいそうだ」とか「諦めよう」とか、困難に出くわした時、楽しげに解決策を目の前に見せてくれたのが、Appleでありそれはスティーブ・ジョブスだった。

偉大なビジョナリーの命を奪った病は、癌だった。
これは勝手な私の思い込みだが、癌とストレスには因果関係があると聞いた事がある。ステーブ・ジョブスは、人々がどうしたら喜ぶのか、それを察知する感度が異常に高いのだと思う。ビル・ゲイツは
「ジョブスのセンスを買う事が出来るのなら、いくらでも出す。」
と言ったそうだ。
感度の高いセンスは、ストレスとの背中合わせだ。

操業したAppleを建て直すと決心した時から、彼は身を削って来たのかも知れない。そして、その意思とセンスは、誰かにそっくり受け継がれる事は無いけれど、少しづつ、彼と彼の製品を愛した人達の中に、根付いていると信じている。

心からご冥福を祈ると共に、感謝の念と、大事なバトンを受け取ったつもりで、微力ながら己を精進したいと思う。

Stay hungry stay foolish



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