2012年6月10日日曜日

アゴラ読書塾Part2第9回「悪と徳と 岸信介と未完の日本」福田和也著 〜悪徳輝く大政治家〜

巣鴨プリズンから釈放され首相まで昇りつめる
 石原莞爾に続いて福田和也氏の著作は読書塾で二度目である。
「この本はベストでは無い。」
という池田信夫氏の但し書き付きであるが、前回の「地ひらく」よりは文体がこなれて読み易い。

岸信介を中心に激動の昭和史を俯瞰出来るので、分けて考えがちな「戦前/戦後」を一つの地続きで捉えるにはうってつけである。
石原莞爾/東条英機とほぼ同時代を生きながら終戦で潰されず、戦後にまで名を馳せた人物はまさに「悪徳輝く」である。吉田茂では無く、岸信介を題材に選んだ理由を
この岸が戦後レジュームを作り、今でもその影響が日本に残っているからだ。」
と池田信夫氏は語る。


岸信介という悪党
赤と黒をぶつけた印象的な装丁
偶然にも私は去年、御殿場の「旧岸邸」を訪ねた事がある。仕事で同僚数人と訪れたのだが「岸信介」が誰なのか全員ピンと来ていないようだった。(多分全く知らないって輩も数名含まれていたと思う。)
私も「昔の日本の首相だったな。」レベルの認識で、正直どんな人物で何をした人なのか、しっかり理解していなかった。
こんな事を告白すると、団塊の世代は嘆くだろう。でも、悲しいかな戦後教育の賜物はこんな程度なのだ。
記憶にある首相は、大平正芳あたりからで、下手をすれば最近の子どもは「首相は毎年交代する」と思っているかも知れない。(いや、そもそも首相って誰?レベルかも(^_^;)

政治に対して「無関心」と言われて久しいが、吉田茂や岸信介の時代は「政治が熱かった」事がよく分かる。「岸って誰?」な方の為にざっとアウトラインを書き出してみる。
  • 一級のエリートなのに軍人を選ばず、官僚となっても「大蔵省/内務省」の表街道ではなく、三流官庁とされた「農商務省」を選ぶ。
  • 満州の「二キ三スケ(東条英機/星野直樹/鮎川義介/松岡洋右/岸信介」の1人に数えられた実力者。
  • 軍需省創設の立役者
  • サイパン陥落後、東条内閣にさっさと見切りを付けて反旗をひるがえす。(後のA級戦犯不起訴にこれが影響した?)
  • 吉田茂内閣倒閣後、上世代の有力者の死が重なって首相の座に着く。
  • 「安保改正反対」の学生運動で批判の的となる。
池田信夫氏が、この著作を評価しない点は、岸とCIAとの関係に全く触れていないからだと言う。情報公開が進んでいる米国ではCIAの記録が公開されているらしく(誰でも閲覧可能な表層レイヤーでなく、もう少し限定された範囲での公開)そこに岸や、弟の佐藤栄作らの名前が出ているという。(池田信夫blog:CIA秘録

自国の情報を売る売国奴が首相であるとは由々しき事態であるが、岸が「大物」と言えるのは心底「国粋主義」であり、石原莞爾や北一輝に通底する「強い目的意識の為に手段を選ばない剛直さ」にあると言える。反米思想でありながら、状況によってはどんな手段でも(親米と取られる行動でも)取る、色々な意味で「クレバー」な人物で「妖怪」とはよく言ったものである。
「岸を総括して言えば『悪党』で『信念の面では国にとって正しい事をし』『経済は下手くそ』ですね。」(by池田信夫)
と、いつもながらの鋭い分析である。


60年安保闘争
御殿場の「旧岸邸」の庭。非常に手入れが行き届いてる。
本書の冒頭に「安保闘争」の場面が描かれている。興奮した学生達が国会議事堂構内に雪崩れ込み「安保改正が自然成立」するのを阻止しようと警官隊と衝突する。岸は泰然と首相官邸で過ごしながら、その成立を待つーー。その様子が「もっとも岸らしい」と著者は考える。

現在では、この「安保改正」はサンフランシスコ条約締結時(1951年)に同時に交わされた「安全保障条約」よりも日本にとって不平等でない内容へ改正するものであるという解釈で、学生運動は条約改正の内容を冷静に読み込んだ論争(、、を越えてもはや闘争ですが)では無かったと聞く。
「学生運動って、アメリカを排除して日本は独立するんだって学生達が決起したもの?」
程度の認識だった私は、苦笑したい気分だ。
「綺麗事だけじゃ世の中治まらんし、事態は前に進まない。」
と岸は思っていたのだろう。その後、新条約批准手続きを終えた後、岸内閣は総辞職。この間、暴漢に襲われて、岸は重症を負うのだが、まだまだ戦争の記憶が生々しく、世相の空気が可燃性を帯びた危険なものだったと、認識を新たにする。

因に、偶然訪れた先の「岸邸」では、特別展示として「吉田茂と岸信夫の往復書簡」が展示されていた。
「もともと吉田首相は書簡戦術が得意であった。微妙な局面に直面すると、読み方によってはどうにでもとれるような、思わせぶりの文章で相手を撹乱し、何とか切り抜けてきたことがしばしばであった。鳩山氏も重光氏も吉田氏のこの手に引っ掛かったことは一度や二度でなかった。巻き紙に達筆で書かれてあるので、判読できない箇所も時々あった。豊富な漢籍の素養に加え、長年の外交官生活による習性があのような文章をかかせるのかもしれない。『岸信介回想録』(本文p342)
という一文があって「あ、あの展示の手紙か。」と今頃合点がいった。
書簡はこの「安保改正」に関する内容のもので、解説文も展示されていたのに、ちらっと眺めただけで流してしまった。今だったら、もっと興味深く読む事が出来たろうに、惜しい事をした。
確かに、吉田茂の手紙は本当に達筆で、対する岸の手紙もこれまた達筆。。。
「この時代のインテリの素養は、この程度が当たり前とされたんですね。」
説明について下さった方からこう聞いた。「大人の政治家」が居たんだなぁ、、などと言ったら、はしゃぎ過ぎだろうか。


開発独裁は「止められない麻薬」
池田氏の言う「岸は経済は下手くそ。」の経済政策であるが、彼は満州時代から「官主導型」で政府が産業を保護育成するという方針である。日本産業の鮎川義介を口説き落として、満州に法人を発足させたあたりが、その絶頂かも知れない。池田氏は
「開発独裁はある時期までは必要で効果的なんです。問題は、それを『卒業出来ない』ってところ!」
なるほど。。国が弱く産業の揺籃期には、弱小企業があまたあっても仕方無いので、官が牽引をした方が良さそう、、に思えるが、世界的な産業構造が変わり、競争にさらされながら素早く対応を組み替えなければ生き残れない時代に、、
「官が指導して上手くいった産業政策なんて皆無に等しいんです。唯一の成功例が『超LSI技術研究組合』のプロジェクトくらいですね。」
と語る。この部分の考察は、池田信夫氏による「よみがえる産業政策の亡霊」(PDF形式でネット上に載ってます。)が詳しくとても参考になる。
 かの、官営富岡製糸工場も、民間に払い下げた後に利益を生むようになったそうだから、ある程度力を付けて来たら「邪魔をしない(規制緩和)」が最も効果的な「官」のあるべき姿なのだが、それが出来れば苦労は無い。。
 因に、前述した鮎川は芝浦製作所(現:東芝)で一職工として鋳物を学び、鋳物工場を起こしたベンチャー経営者である。不勉強で知らなかったのだが、この「日本産業」が現在の、日産自動車や日立製作所、ジャパンエナジーなどの前身母体となる企業だったとは恐れ入る。

「開発独裁」と言えば中国などは上手く行っているんじゃないかと思いがちであるが、実情は彼の国でも「ベンチャー系」企業の方が成長しているそうだ。古くから(それこそ宗代から「経済の自由はあるけど、言論の自由は無い」中国は商売にかけては世界一賢い民族とも言え、現在の元気の良さは当然の結果と言える。(このくだりの話はとても面白かったので、また別の機会に!)


岸邸が伝える「家主の信条」
最後に、御殿場の岸邸を訪れた時の写真を紹介したい。本書の中に、かつて岸の部下だった武藤富男が岸を評したこんな一節がある。
僕は何事についても財政のほうから考えるように頭が仕組まれている。これは大蔵省で働いてきたためであろう。それに比べると商工省出身の岸さんは『物』についての知識が実に豊かである。例えば、自動車の話になると材料や、機械や、部品や、メーカーや、原価なども、たなごころをさすように語る。ここにある家具についても、産地、製作費、材料、原価、売値など小さなことまで正確に知っているには驚く。(『私と満州国』武藤富雄 本文p176)
御殿場にある「旧岸邸」今は御殿場市が管理している。

この証言を岸邸は存分に語っている。派手な建築(例えば鳩山邸とか)では無いが質実剛健で「パブリック・スペース」と「プライベート・スペース」にキッチリ分かれている所が、公職から退いてなお、政府要人が何時、何人訪ねて来ても応対出来るよう、設計されたのだと言う。(設計は吉田五十八:東山岸邸サイト

元岸邸の敷地だった所に「とらや工房」が隣接。
一番驚いたのが、プライベートスペースの「床の間のある和室」でここの畳の縁は通常の物よりもやけに「細い」
説明員の方曰く「周囲の障子の枠の幅と畳の幅がきっちり合うよう作られた特注品で、障子を閉めると畳の縁と障子の枠がピタッと同じ幅になってつながる。」そうである。
ひやぁ、、恐れ入りました。施主と設計者の気持ちが合わさった合作なのだろう。

車回しからの庭の眺め!
まだ未読だが、御厨貴著「権力の館を歩く」にもこの岸邸が取り上げられているらしいので、是非読んでみたいと思う。
昭和生まれの癖に、昭和の事を殆ど知らないんだなぁと、岸信介を調べて改めて思う。

畳の縁と障子の枠が同じ幅の和室!!
パブリック・スペースの応接間

12人掛けのダイニング


当時のままの照明器具。全て特注品。

常時お手伝いさんが3名で回していたという厨房。今でも使えそう。 

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