2012年3月18日日曜日

アゴラ読書塾第11回「メルトダウン」大鹿靖明著 〜「失敗の本質」現代版〜

これまでのお題本とは一味違う。
東日本大震災から丸一年過ぎた。読書塾の終盤に読むに相応しい著作の登場である。
「いろいろ読んだ中で、一番バランスが取れて現時点で良く事実を述べていると思う。」
と池田先生のお墨付きである本書は、震災直後に発生した「福島第一原発事故」とその後の「東電救済」「エネルギー問題」を巡る「東電」「官邸」「省庁」の複雑に絡み合った関係を分かり易くドキュメントしている。

事故発生直後は、食い入るようにニュースを眺め、ネットの書き込みやブログを梯子して、喧々諤々の議論に「ニワカ論客」よろしく参加していたが、そのうち内容が複雑になり過ぎてついて行けなくなった(私を含む)----- そんな諸氏に本書はうってつけである。

125人に及ぶ、聞き取りやインタビューで浮かび上がった事実は、相変わらず日本組織にお馴染みの風景なのが、なんとも寂しく、空恐ろしくもある。

平時の組織
現役ジャーナリストの文章なので、詳細は是非本書を読む事をお勧めしたいが、第1部の原発事故を巡る事実レポートは、当時の記憶を思い起こして生々しい。
福島原発/東電本店/保安院/官邸、それぞれの連絡も噛み合なければ、各組織単位の中でも素早く伝達が行き渡らない。

「Aの回路が寸断されたら、B、それがダメだったらC、それもダメならD。。。」
「誰が方針を決めるのか、どこに最新状況が集約されるのか。」
「指示が来ない場合はどうすべきなのか。」

 矢継ぎ早に発生する、非常事態はまさしく「戦時」と考えて良い、、と池田先生は言う。
本書を読むと、管政権は精一杯頑張った事がよく分かる。でも、「頑張る」事と「適正な能力がある」かどうかは、全く関係無く、その点では「間の悪い時に間の悪い人々がリーダーの座に居た」事に危うさを禁じ得ない。
しかし、これは「東電」や「官邸」だけの話だろうかと思う。
規模を小さく、ミニュチュアに眺めてみれば、私が所属する会社も
「ひとの事は言えない。」
と嘆息してしまう。

「無能な将校、優秀な兵士」は日本組織を評した有名な言葉だが、優秀な兵士がステップアップして仮に「将校」になった時、果たして「優秀な将校」になりえるのだろうか、、というのが、最近持つ疑問である。
多分「必ずしもそうならないんだよね〜。」というのが真実だろう。

現場大好き!で、それなりの地位になったのに現場っ気が抜けなくて、いつまでも下が育たなかったり、迷惑したりする例は枚挙にいとまが無い。
それ相応のトレーニング(いわゆる「帝王学」ってやつでしょうか)をしなければならないのだろうが、難しいのが、「別枠」で鍛練育成されたリーダーがポッと出て、グループの長に据えられても、下が言うことをきかない。。。これが日本組織なので、ある程度の規模までは「現場叩き上げ」のリーダーの方が良く集団を統治出来るのだと思う。

今回の福島第一の吉田所長は正しく「現場叩き上げ」のリーダーで、日本にも数千人規模ならば、機敏に統治出来るリーダーは沢山居ると思う。(昔で言えば、戦艦艦長、今で言えば工場長、事業部長、統括スーパーバイザーとか、、)ただ、これが「優秀な兵士」の限界かなぁと感じる。

テンパってしまったトップの「トチ狂った命令」に上手い事合わせて、自分の部下を守るのは「優秀な現場リーダー」の得意技で、今回の事故も曲面、曲面で、きわどく回避している。又、日本の組織はそんな事が出来る人が「リーダーに相応しい」と評価され、担ぎ上げられる訳だが「でもな」と思わなくも無い。

例えば、奮興した管総理が無理矢理ヘリで福島第一へ乗り込んでしまった時、メディアも識者もこぞって
「何考えてんだ!」
と首相のテンパりぶりを嘲っていた(私もその通りだと思う)。
だが、吉田所長が首相の相手をした為に「指揮命令」がその間途絶してしまった、というのは、かなり辛い状況である。
「言い訳になるかもしれないけど、管総理が現場に来たことで、そちらにばかり目がいってしまい2時間ほど『ベント』などの指示が出せなかった。当時は、全てわたしが指示して動いていた。それが止まったことで、周りも動けなくなってしまった。」(吉田所長談:p83)
「なぜ、指揮権委譲が出来無いのか?」と考えずにはいられない。

例えば管さんが乗り込まず、吉田所長が突然倒れて指示命令が出せない状態になった時、どうするつもりだったのか?
形の上では、命令権委譲のルールは決まっているのかも知れないが
「吉田所長クラスの判断が出来る人材」
が常に数名居る体勢ならば、所長が総理の「お相手」をしている間も、必要な手立てを講じる事は出来たのではないか。。

「ベントで万一重大な事故が発生してしまった場合、首相が居てはアクティブな行動が取れない。結局、代理で命令系統が機能しても、結果は管さんが帰るまで変わらなかった。」

との意見もあるだろう(だから、管総理の興奮ぶりは考え無しと思う)だが、それを承知で乗り込んでいるのなら、あの場合

「首相が居るから、万一首相に何かあったらまずい、危険な措置は首相が帰ってから。」

と判断するのはたぶん最悪だ。何しろ、時間の方が優先なのは明らかで、首相ですら「変えが効く」のが「戦時の組織」なのではなかろうか。
つまり、「平時の組織」しか日本人は作った事が無く、「戦時の組織」の本質が身に染みて理解出来てないんだなぁ、、というのが、このエピソードからよく分かる。
「危機管理は政府の専権事項で、コアな仕事なのです。」
という池田先生の言葉は重い。

とは言うものの、ギリギリの現場を統率した吉田所長には本当に敬意を表するし、病を得て療養されている事を思うと、本復を心から願いたい。(何だかんだと、私も現場が大好きなので。)


分かりにくかった賠償スキームの顛末
第二部の「覇者(東電)の救済」は、とにかく知らない事だらけで、非常に勉強になった。日本の最高学府を卒業したエリート達の「紳士の喧嘩」(池田先生談)はそもそもが複雑で、生半可な知識で、書いて墓穴を掘るのは避けたいと思うが、、、
  1. 古賀ペーパー(東電を破綻処理、発電/送電分離会社、減資、債権放棄、相対的に国民負担減。積年の課題である「電力自由化/発送電分離」への道を開く。)
  2. 三井住友案(原発賠償機構を設立。東電に変わって賠償業務。機構への資金は「東電以外の電力会社に義務付けられた保険料」「政府保障付きで金融機関から調達する借入金」「東電の負担金(総額7000億円)」で賄われる。東電のメーンバンクである三井住友銀行にとって東電が引き続き社債を安定して発行出来る健全な経営体に留めておく事を狙った。)
  3. 財務省案(賠償保障の矢面に立つのはあくまで東電。但し、バックに「東電救済機構」を設けて都度賠償に必要な資金を機構から東電へ交付する。救済機構は各電力会社から特別負担金を集める他「交付国債」で賄われる。)
という主に3つの「東電救済スキーム」について描かれている。一番ラディカルな「古賀ペーパー案」は握りつぶされ、最も「八方上手く言いくるめられる」財務省案になりつつあって、このテクニックには舌を巻いてしまう。
だが結局、「将来への借金(国債)」と「電気料金値上げ(税金みたいなもんですね)」で賠償を賄うのだから、何だかズルズルとどこまでもお金を使えてしまう仕組みに見えて、嫌な予感がする。。

 さて、楽しかった読書塾も残すところ残り2回(ラストは特別セミナー)。来週は総仕上げとして池田先生の「日本的経営」をベースに「サンクコスト(埋没費用)」の事を話し合う。
今回の読書会でも少し触れられた「サンクコスト」。この言葉と意味を知って意識するだけでも、「ああ、一つ賢くなった。」と思えます。
さて、来週も楽しみ。

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