2012年2月5日日曜日

アゴラ読書塾第5回「日本人とユダヤ人」山本七平著とNHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか」

いつもマインドマップで講義をメモしている。
。。。かなり時間を書けて書いたエントリーが消えてしまった。。。最後に画像を追記しようとiPhoneからアップしたのが事故の元。初期の状態に上書きされて、書いた文章が消えてる(;;)
 でも、これは何かの啓示だと思い直して構成を大幅に変更して再トライ!

今週の読書塾のお題は「日本人とユダヤ人」(山本七平著)。
イザヤ・ベンダサン名義の著作を何処かで見た記憶がある。発行された1970年に300万部を越すベストセラーとなったそうだ。今回は、アゴラ読書塾で取り上げた「日本人とユダヤ人」と今、NHKスペシャルで放映されている「ヒューマン なぜ人間になれたのか」シリーズの二つを関連付けて感想を書いてみたいと思う。

風変わりな著書
「日本人とユダヤ人」は先週の丸山眞男に比べたらとても読み易い本だった。ユダヤ人と日本人を、ユダヤ人の視線から記述するスタイルで、的確にその違いを描写している。ほんの一例を挙げれば、、、
  • 日本人は安全と水は只だと思っている、別荘育ちのお坊ちゃん。
  • 90日サイクルで季節が巡る気候条件だから、キャンペーン型農業にしないと稲作が成り立たず、一斉に皆が動くという訓練を1000年に渡って行って来た。(その間他民族の侵略を全く受けないという地理的条件にも恵まれた)
  • 遊牧(畜産)をした事が無いので「生殖と利殖」を日本人は結びつけて考えられない。遊牧民にとって家畜を増やすのは唯一の「生産手段」であり農民が畑を耕すのと同じ感覚で捉えている(人間奴隷に対しても考えは同じ)
といった所だろうか。ユダヤ教については非常に造詣が深く、日本をこれに対比させる事でそれまであまり考えられなかった事を浮かび上がらせているのだろう。恐らく、刊行された時はかなり話題になったと思う。
ただ、、改めて感想を書こうと思うと、どうも筆が進まない。たぶん、私が理解し切れていないのだろうが、一つ一つの記述が断片的で読み終わった後、目の前に砕けたツボのカケラが散らばっている印象なのだ。(ピースは渡した、後は自分で組み立てなさい、、と言われている感じ、、)
この印象に関しては後述したい。


宗教と暴力
アゴラ読書会では、この「日本人とユダヤ人」に端を発して、池田先生から深遠なテーマが提示された。
人はなぜ「信じ込みたい」という衝動に駆られるのだろうか?
これは強い本能に近いのではないか?
非常に示唆に富んでいる。私も気になっているテーマの一つだ。池田先生は自身が学生時代に経験した「内ゲバ」の体験談を例に挙げながら、社会学でも説明困難とされる、この難題についてレクチャーをして下さった。(詳細:池田信夫ブログ「宗教を生みだす本能」)

曰く、人類はその始まりからずっと戦争状態にあり、成人男子の25%の死亡原因が「殺人による」という調査結果も考古学ではあるらしい。
宗教という物を考える時、この「暴力」という補助線を入れる事で、その存在意義が浮き上がるのではないか。。というものだった。
人間は一人では生きて行く事が不可能で、「自分の身を守る為の集団」を作り、その集団を統率する為に「宗教」が生まれたのではないか。

というのが、池田先生がとっている説であろうと私は理解している。


NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか」
奇しくも、この一月からNHKスペシャルでこんなシリーズが特集されている。全4回のうち既に2回が放映されているが、この内容が、今回アゴラ塾で取り上げている内容と極めて近い所をレポートしているように思える。(今ならNHKオンデマンドで視聴可能です)
その内容をかいつまんで説明すると。。。

人類は20万年の進化の歴史の中で
  1. 血族を越えて協調し
  2. 道具を作り
  3. 農耕を発明し
  4. 都市を作って分業を発明した
というのが、このシリーズの大きな4つのテーマ。
そして、第1回と第2回の内容が、今回のアゴラ読書塾で語られた内容を、良く補完していると思える。
人類(ホモサピエンス)は二足歩行を選択した結果、他の動物よりも「難産」で「早産な子孫」が繁殖の基本になってしまった。(骨盤が狭くなって子どもが産道を通るギリギリの大きさで生まなければならないから)これは「協調」しなければ生存が難しい事を意味し、最初は血縁を基準としたグループで行動をするようになる。この時から「同じグループである」事を示す装身具や化粧道具が既に使われていた。
  これは、池田先生がアボリジニの通過儀礼を例にあげてた話と符合する。オーストラリアは地層では最も古い大陸でアボリジニは、太古の生活様式をそのまま残している種族だそうだ。子どもが成人する時の「通過儀礼」の為に、生きる事に直接関係無さそうな、「唄」「踊り」「演劇」等を4ヶ月近くも行って濃密な儀式を行っている。
宗教がそう言った「通過儀礼」的な芸能/芸術と無関係で無い事は周知の事である。

そして、食べる為に道具を発明し(投てき具/石の鏃を付けた槍を遠くまで飛ばす補助具)この道具の作り方を「共有」し始めたのが地球の気候が大きく変動し始めた氷河期からだそうだ。(このあたりから、池田先生が取る説と若干順序が違って来る)
獲物を獲る道具は、武器にもなり、最初はルールを守らない仲間を「懲らしめる」道具としても使われるようになり、そのうちグループ間での闘争にも使われ始める。
いわゆる「人類の戦争状態」の始まりと言っていいのかも知れないが、NHKスペシャルでは「協調し関係を持とうとるす基盤」が人類の最も底辺にあるのではないか、、、という説を取っている。この事を示す印象的なエピソードが番組では紹介されていた。
2003年、イラクに駐留していたアメリカ軍が、ナジャフという村に住む宗教指導者に和平交渉の仲介役をお願いしに向った時の事。街の住民達はアメリカ兵が宗教指導者を捕まえに来たと誤解し、彼らを取り囲んでしまった。殺気立つ空気、アメリカ側も武装しているので、危や一触即発の場面で、アメリカ側の司令官が「皆、笑え!」と命令を出す。膝を付き、銃口を下げ、歯を見せてにこやかに笑った瞬間、空気が一変して事態は沈静化された。この司令官は、世界80カ国以上の国に派遣された経験を持ち、これまで笑顔が通用しなかった事が無いと言う。「あの場合、笑顔しかない。」と咄嗟に判断したとか。。
グループ間の結束を保つのが「宗教」であるとするならば、異なるグループ間の果しない抗争を止める手段は、さらにその昔、
生き残る為に協調した、、という人類が最古に持つ仕組みに訴えかける
 というヒントを示しているのかも知れないと考えている。


バラバラのピース
随分、遠回りをしてしまったが、最初に書いた「読んだ感じが『バラバラのピース』に思えた」のその理由が少し見えて来た気がする。
 恐らく、山本七平が書いていた時代は「書き手がその責任において思う所を深く書く」だけで良かったのかも知れない。

山本七平は、太平洋戦争中に兵隊に取られ、フィリピンで悲惨な作戦を強いられ、最後は捕虜になるという体験をしている。私の敬愛する司馬遼太郎とも数回対談しているが、実戦経験のある山本七平にはどこか「徹底して社会を見据える冷たさ」があって、その肌合いが司馬さんとは随分違った、、と対談を担当した編集者が語っている。
もっと対談を重ねて、一冊の本を出したかったそうだが、司馬さん側が消極的で立ち消えになってしまったという。

山本七平の気持ちを思うと、随分辛かったろうと思う。冷たく突き放さなければとてもでは無いけれども、書き切れなかったのだろう、正に身を斬る思いで書くから、こんな風に「バラバラ」の感じなのだ、、とやっと思い至った。

後世に生きる人間が、それを慎重に統合してくれる事をきっと期待していたんだろう。
ふと、NHKスペシャルで見た考古学者達の姿を思い出す。素人には石の塊にしか見えない地層から、人間の営みを正確に読み解く姿は、表現力豊かでリアリズムの目を持った一流のストーリーテラーを彷彿とさせる。

そう言えば、幼い時、考古学者になりたいと思っていたのを思い出した。夢は叶わなかったが、市井の人間でもここまでの情報が得られるのだから、いい時代に生まれたなとも思う。

0 コメント:

コメントを投稿