「これは『この国のかたち』を読んでいないとまるで面白く無い本だ。」と悟った。
この度、文庫版「この国のかたち」(全6巻)を読み終わって、早速読んだが。。。もの凄く面白かった。そして、この本に沿って、もう一度「この国のかたち」を再読したくなった。
この本には、十年に渡って文芸春秋の歴代編集長宛に、司馬さんから送られた私信が、年代順にしかも時事と絡めてよく分かる構成で綴られている。巻頭エッセイとして執筆された「この国のかたち」の原稿が送られて来る時に添えられた、書簡である。
今でこそ「メイキング」は当たり前で、創作の「裏側」も意識的に記録されているが、この当時(1986年)はそんな事は考無かったろう。司馬さんの人柄が滲み出る物で、さすが「書き言葉」の人だと思わせる。短い文章に相手を気遣ったり、時事を鋭く評する言葉が並んで興味深い。
そして、それに負けていないのが関川氏の、探偵ばりとも言える丹念な「裏取り」作業による事実の積み上げだ。書簡は原稿と綺麗にセットになって保管されていた訳では無いのだろう。日付と掲載された原稿の順番とを照らし合わせて「第○○話「○○」に同封か」と推定された箇所が幾つもある。そして、当事者しか分からない「昨夜は多いに愉快でした。」と言った内容は何の事だったのか、関係者に裏を取って解説をしている。この丹念な仕事で、読む側もまるで編集部に潜り込んだ様な、司馬さんを囲む歓談の輪に交じっている様な、リアリズムを体験出来る。
関川氏は、直接司馬さんと交流を持った事は無かった。であるが、この仕事ぶりはリアリズムを追求した司馬さんの業績を語るに相応しい。本当によく構成されているのである。
「あの当時(90年代初頭)メディアは『困った時の司馬さん頼み』だった。」
地価沸騰、冷戦終結、バブル崩壊、住専問題、、、皆、何が起きてどうしていいのか判らず、こぞってコメントを受けたがった。それまで『自分の領分で無い事には出しゃばらない』と身を律し、政治的コメントは極力避けて来た司馬氏の態度に、やや変化が現れて来た、、と関川氏も語るが、「この国のかたち」だけを読んでいると、うっかり「歴史的教養を教えてくれているのかなぁ。」と漫然と読み下してしまう。今から10年以上も前の連載だから、時事との関連に気付きにくいし、高等な隠喩だったりするので、昨今、私を含めた「学力低下組」にはガイド無しには、この滋味深い文章の真髄がなかなか理解出来ない。
驚くべき事に、司馬さんは亡くなる前日に最後の「この国のかたち」を書き上げて編集部に送っている。いつも、用意周到で進行する事態に遅れを取るのを、極端に嫌がったそうだが、それは、氏の「清々しく凛としてカッコイイ」主人公達に共通する素地だ。やはり、作家はその写し身を小説に表すのか。。
「この国のかたち」自体はとても読み易く、面白い随筆集だ。そして、注意深く読むと大胆で「蒙を開かれる」記述が、さらりと書いてあったりして、まだまだ自分のなかでは未消化だ。未消化ながら、その一旦をご紹介すると。。
軍事とは、一般教養なのです。一般教養として身に付けておくべき科目なのに、極端に忌み嫌ってしまったらどのような事になるか、、
自動操縦のまま、ずっと日本は来てしまいましたな。そしてこれからどうなってしまうのか、、
文明とは、誰もが参加出来る所まで便利な道具立てが揃った事を言うのです。「最近の文章はどれも同じに見える。」と同僚が言った言葉に「ついにそこまで来たか!」と嬉しく思いました。言語は誰もが参加出来る所まで錬磨されて初めて文明の道具足り得るのです。
本当は正確に引用しなければならないけれど、ここでは印象に残った言葉を思い出す形にサボってしまう。(司馬さんごめんなさい)
、、、というのも「ああ、もっと教えてもらいたかった。」と嘆く私の目の前に、50代前後の諸先輩方の著作が最近気になるのである。この関川氏もそうだし、加藤陽子氏も面白い。この本に触発されて、読みたくなった書籍もまた「積ん読」に加わってしまったので、先を急ぐ事にしたいと思う。
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