2011年11月27日日曜日

知らなかったベトナム〜「人間の集団について」司馬遼太郎

これは、先々月に読んだ「『司馬遼太郎』のかたち」(関川夏央著)の中で取り上げられていた一冊。曰く、
しかしこの大胆な、本質をひと刺しでえぐり出すような見方と考え方の本は話題にならなかった。意図して黙殺されたようでもあった。その文庫版が出たとき解説を担当した桑原武夫はそれを怪しみ、「私はつねづね日本に政治史や政治学説史の研究は盛んだが、現実の政治評論は乏しいのではないかと思っていたが、この名著がいまに至るまで一度も正面から取り上げて論評されたことがないのを見て、その感をいよいよ深くする」としるした。具眼の士は少なくともここにひとりいた。 (「司馬遼太郎のかたち」より)
確かに、これまで聞いた事の無い題名だったし、地味な題、地味な装丁でこの紹介文に出会わなければ、絶対に読む事はなかったろう。本との縁は面白い。

しかも、解説者の「桑原武夫」が目を引いた。父の書棚でよく目にした名前だからだ(その癖、一冊たりとも読んだ事が無いんだから親子とは不思議だ)。

横道に逸れるけど書棚に並ぶ本の背表紙は、たとえそれを手に取らなくても、何かメッセージを発しているように思う。「本を読め」と一度も父から強制された事は無いけれど、本を読む習慣を持つ人が身近にいると、知らず知らずに子どもにも伝染すると思う。母も本好きで
「わからない言葉や漢字があっても、それにメゲナイで飛ばしてでも読み進めてごらん、そのうち大体の意味が掴めるようになるから。」
と言われた事を今でも教訓にしている。この一言で「この文章レベルなら読めるかな」という弱気フィルターを外す事が出来たと思うからだ。

閑話休題。

この地味な著書だが桑原氏が絶賛するように、 司馬さんの脂がのった時代の本当に鋭い洞察と豊かな表現力でもって、1973年アメリカ軍が撤退した後のベトナムを描いている。冒頭いきなり「泥沼化したベトナム戦争」をこんな表現で斬る。
独自の文化のなかに閉じこもってきた一民族が、世界史的な潮流の中で自立しようとするとき、からなず普遍性へのあこがれがある。
(ベトナムの場合)ひきがね一つで相手を殺傷できる兵器のほうがはるかに普遍性を戦慄的に体感でき、それも万人が体験できるという点でこれほど直截な思想はなかった。
じぶんで作った兵器で戦っているかぎりはかならずその戦争に終末期がくる。しかしながらベトナム人のばかばかしさは、それをもつことなく敵味方とも他国から、それも無料で際限もなく送られてくる兵器で戦ってきたということなのである。この驚嘆すべき機会的運動を代理戦争などという簡単な表現ですませるべきものではない。敗けることさえできないという機械的運動をやってしまっているこの人間の環境をどう理解すべきなのであろう。(「人間の集団について」より)

関川氏は「1973年当時は、ベトナム戦争は民族解放の戦いと捉える見方が一般的だったから、このようなアプローチはまさに衝撃的であった。」と賞している。
筆致は非常に軽やかで、サラサラと随筆のように書かれているが、読む側をあっという間にインドシナ半島のベトナムという国に連れて行ってしまう。ほぼ同時に連載が始まる「街道をゆく」のスタイルがここに既に芽生えている。

大国中国に鷲掴みにされた半島達
街道をゆくでもそうだが、司馬さんは訪れた土地の地理を大づかみに的確な言葉で表現する。ベトナムのあるインドシナ半島と朝鮮半島を「たがいにその歴史も地理的環境も酷似している。似ているというより、ある面で瓜二つと言っていい。」と描写する。
大国中国に地続きで首根っこを抑えられ「鷲が両足で半島を掴んで羽を広げた状態だ」と書かれたひには、「そんな事考えた事もなかった!」と膝を打つ思いがした。
ベトナムとは「越南(えつなん)」が語源で「越」の南と表現しているのだから、中華文明に洗われている。ベトナム(特に北部)は常に中華文明との関係を強いられて来た、、という感覚は、これを読むまで私には無かった。
同じインドシナ半島にあるラオス、カンボジア、タイは、「インド文明に洗われているから諦観主義なのだ」とする。そうか、だから同じ半島に住んでいても、かなり民族の性格が違うのはこれだったのか。。。

民族を鍛えたもの
司馬さんが表現する「ベトナム人」はこれまで私が安易に思い込んでいた人々とどうやら違う。
北部のソンコイ川流域の王朝が、南部のメコン・デルタに住む人々を征服した歴史があるが、ソンコイ川は雲南省に水源を発し高い山が多く、ひとたび雨が増えるとすぐに激流となってトンキン平野を襲ったという。この厳しく、御するのが難しい川によって民族が鍛えられたという。(水との闘いが、賢く、勇敢にし、努力好きにした。)一方、南部のメコン・デルタは天然の調整池を持つ「人に優しい河」で殆ど氾濫する事も無く、田畑を増やしてゆこうという発想を促さない。
土地の利用法をよりすくなくしか知らない民族は、それを豊富に知っている民族のために苦もなく追われるのである。 (「人間の集団について」より)

ベトナムはどうなって行くのか
ベトナム人は狡っ辛く商売が上手い。。とどこかで聞いた事があるが、この著書が書かれた1974年から37年あまり経って、ベトナムはどうなったのかなと改めて考えてみた。
率直に言うと「あれ?陰が薄いかな?」という印象である。司馬さんはこの著書のあとがきに
「ベトナム、朝鮮、日本は随・唐の時代を迎えて当時で言う「近代化」を果たした三国だった。」と書く「儒教システムを取り入れた国」という意味だと思う。 その後それぞれ独自の歴史を辿る訳だが、今日の状況を考えると
  • 落日の日本
  • 決死の韓国
  • 陰が薄いベトナム
という感じだろうか。1986年にドイモイ政策を発表して、中国の「改革開放」路線に追従したのかな?ベトナムの時代が来るのかな?と思った記憶があるのだが、その後どうなったのか。。。
お隣のタイは洪水で世界のメーカーが大打撃を受けているが、 このタイに比べると今ひとつ「世界の工場」という印象が薄い(トップはもちろん中国)身の回りにあるものを見回しても「ベトナム製だよね」という物を即座に思い出せず、「手にしてる物はきっとみんな中国製」という状態と比べると、おや?と思えて来る。
簡単に調べた範囲だが、まだまだ2011年時点でも国内のインフラ(電力供給/輸送網)が整備されず、汚職が蔓延しているそうだ。これでは投下したお金がまともに使われないのではないか、、という懸念を持ってしまう。

「人間の集団について」全編を通し、司馬さんがベトナムを見るまなざしは暖かい。「自分はベトナムと上手く距離感が持てない」と語るように、大国の影響下にあった辺境国に対して司馬さんはずっと興味を持っていたそうだ。

アジアと一括りに言ってもいろいろなんだ、ろくに知らなかったな。。と遅まきながら興味を持ち始めた自分は反省しきりである。

0 コメント:

コメントを投稿