2011年11月29日火曜日

ちきりん著「ゆるく考えよう」「自分のアタマで考えよう」

ずっと、読まなくちゃと思って「積ん読」状態だった「ゆるく考えよう」を、新刊「自分のアタマで考えよう」が出たのをキッカケにまとめて読了。
いやぁ、さすがちきりん女史(@InsideCHIKIRIN)!冴えてます。毎回楽しくブログを拝読してますが、相当に訓練を積んだデキる人、、羨ましい洞察力です。(おちゃらけ〜と言ってゆるい雰囲気を醸し出していらっしゃいますが、、どうしてどうして!)
以下、簡単に読書感想なぞ。

自分のアタマで考えよう
処女作「ゆるく〜」が発売された時と比べたら、隔世の感あり!地元のジュンク堂、有隣堂、共に店頭平置きでした!前書は、自己啓発系のコーナーにあって、わが街の本屋ではちょっと探しまわらないと無かったのに(日頃は「良く生きる」とか「歴史探訪」みたいな、明らかに悠々自適リタイア層がお客様のそれ系本が店頭を飾る)、、、ネットの伝搬力恐るべし。
内容は、昔読んだ勝間さんの本とダブる部分があるなという印象。でも、もっとピンポイントで「要するにここよ!」と指摘しているので頭に残り易い。これは、永くチームを率いる立場に居たであろう人が持つ「要約術」なんでしょう。(恐らく!経験値が違う感じ)
「地アタマ」が多少弱くても「この伝え方なら間違い無い!」という勘どころが分かってる人なんだぁ、と感服しました。
一番タメになったのが「判断基準を先に設定せよ」。
冒頭のとある社内を活写した例え話は笑うに笑えませんでした。(ちきりんさん、どっかで見てたでしょ!って感じ)
弊社の幹部会に来て薫陶して頂きたい。(ヤダよ!と言われそう)全員とは言いませんが、「判断基準」も「思考の棚」も全く持っていない「自滅型機械運動的思考停止野郎」が、権限の座に居座ってしまって始末に終えないです。
これを読んで「どよーん」と暗く思ってしまったのが、紹介されている思考方法を全員でなかなか共有出来ないという点です。
ロジカルシンキングとか、「モレ無く、ダブり無く」とか、「ゼロベース」とか、、それなりの研修をほぼ全員が受けているにもかかわらず、日常業務の場でチョイチョイと使いこなせない…。。使えなきゃ意味が無いのですが、
「舶来もんの浅知恵振り回しやがって」と、
何と無く抵抗されたり、折角習っても右から左へ抜けて忘れちゃったり、、いろんな意味で外資系企業の「生き馬の目を抜くスマートさ」がそこはかとなく香るなぁと、羨ましいやら、情けないやら。(「よく考えろ」何てアドバイスしてくれる先輩が居る事自体凄い。「考えるな、生意気言うな」がデフォルトですからね。)

話のレベル(本書p134〜)が違って日常噛みあわない事多々です。ちきりんさんのエントリーでも一番好きな「なんで全員にリーダーシップを求めるの?」を思い起こさずにはいられませんでした。
外資系は、全員がリーダーとして苦労した経験があるドリームチームだらけなのかしら、、と夢想したり。

だから「今更親父世代に言っても埒あかない、若者よ心せよ」というメッセージがこの本には込められていそうです。
あれですかね。。化石化した古生代的考え方から抜け出せない固執「逃げ切り」世代が、順送りで出て行くまで待つしかないのでしょうか。。(それまでに沈没したら元も子も無いけど)

ゆるく考えよう
実は「積ん読」期間が長かったこっちの方が面白かった。ブログ愛読者ですが、とても膨大な「chikirinの日記」のエントリーを全て読む時間は無く、これはエッセンスが凝縮されていて発見も多いです。
膝を打ち過ぎて痛くなってしまったのが「仕事」についての話。

単位面積当りの収穫高を上げようと考えないブラジルの焼き畑農業
↓(同義)
働く時間を延々と伸ばす長時間労働

に喩えたのは絶品!
働く母親は、どうしても時間の制約があるので限られた時間の中で効率良く収穫高を上げなければならない。評価を下げられたり、昇級の候補から外されないよう、嫌でも無い知恵を絞り、自分で努力出来る所は何でも努力するのが「習い性」になってしまっている。
「見えない天井」でも「やっぱり長時間労働した人しか評価されないんだ」とか、口を尖らして批判してもいいけど(子どもが小さかった時は被害者意識が多かった、、)最近は、「もっと視点を遠くに設定しないとな」と思う。ちきりんさんも

「自分に近過ぎる存在は思い入れが強いので、少し遠くに視点を設定した方が良い。」

と書かれていて、さすがである。

実は、数年来ずっと悩んで来たある仕事の、企画書らしきものがこの本を読んだ事で書けそうである。そう、まさに

「インプットも大事だけど、アウトプットはもっと大事だ」

と語るは金言。「入れたら出す」は基本ですね。出してみて初めて血肉になると私も思う。
終章は人生観を感じられて、なかなかいいです。

洒脱な語り口でサラサラと読めるこの本。活字を読むのが苦手、長文を読むのも苦手、な人にも、とても取っ付き易いのでおすすめです。

2011年11月27日日曜日

知らなかったベトナム〜「人間の集団について」司馬遼太郎

これは、先々月に読んだ「『司馬遼太郎』のかたち」(関川夏央著)の中で取り上げられていた一冊。曰く、
しかしこの大胆な、本質をひと刺しでえぐり出すような見方と考え方の本は話題にならなかった。意図して黙殺されたようでもあった。その文庫版が出たとき解説を担当した桑原武夫はそれを怪しみ、「私はつねづね日本に政治史や政治学説史の研究は盛んだが、現実の政治評論は乏しいのではないかと思っていたが、この名著がいまに至るまで一度も正面から取り上げて論評されたことがないのを見て、その感をいよいよ深くする」としるした。具眼の士は少なくともここにひとりいた。 (「司馬遼太郎のかたち」より)
確かに、これまで聞いた事の無い題名だったし、地味な題、地味な装丁でこの紹介文に出会わなければ、絶対に読む事はなかったろう。本との縁は面白い。

しかも、解説者の「桑原武夫」が目を引いた。父の書棚でよく目にした名前だからだ(その癖、一冊たりとも読んだ事が無いんだから親子とは不思議だ)。

横道に逸れるけど書棚に並ぶ本の背表紙は、たとえそれを手に取らなくても、何かメッセージを発しているように思う。「本を読め」と一度も父から強制された事は無いけれど、本を読む習慣を持つ人が身近にいると、知らず知らずに子どもにも伝染すると思う。母も本好きで
「わからない言葉や漢字があっても、それにメゲナイで飛ばしてでも読み進めてごらん、そのうち大体の意味が掴めるようになるから。」
と言われた事を今でも教訓にしている。この一言で「この文章レベルなら読めるかな」という弱気フィルターを外す事が出来たと思うからだ。

閑話休題。

この地味な著書だが桑原氏が絶賛するように、 司馬さんの脂がのった時代の本当に鋭い洞察と豊かな表現力でもって、1973年アメリカ軍が撤退した後のベトナムを描いている。冒頭いきなり「泥沼化したベトナム戦争」をこんな表現で斬る。
独自の文化のなかに閉じこもってきた一民族が、世界史的な潮流の中で自立しようとするとき、からなず普遍性へのあこがれがある。
(ベトナムの場合)ひきがね一つで相手を殺傷できる兵器のほうがはるかに普遍性を戦慄的に体感でき、それも万人が体験できるという点でこれほど直截な思想はなかった。
じぶんで作った兵器で戦っているかぎりはかならずその戦争に終末期がくる。しかしながらベトナム人のばかばかしさは、それをもつことなく敵味方とも他国から、それも無料で際限もなく送られてくる兵器で戦ってきたということなのである。この驚嘆すべき機会的運動を代理戦争などという簡単な表現ですませるべきものではない。敗けることさえできないという機械的運動をやってしまっているこの人間の環境をどう理解すべきなのであろう。(「人間の集団について」より)

関川氏は「1973年当時は、ベトナム戦争は民族解放の戦いと捉える見方が一般的だったから、このようなアプローチはまさに衝撃的であった。」と賞している。
筆致は非常に軽やかで、サラサラと随筆のように書かれているが、読む側をあっという間にインドシナ半島のベトナムという国に連れて行ってしまう。ほぼ同時に連載が始まる「街道をゆく」のスタイルがここに既に芽生えている。

大国中国に鷲掴みにされた半島達
街道をゆくでもそうだが、司馬さんは訪れた土地の地理を大づかみに的確な言葉で表現する。ベトナムのあるインドシナ半島と朝鮮半島を「たがいにその歴史も地理的環境も酷似している。似ているというより、ある面で瓜二つと言っていい。」と描写する。
大国中国に地続きで首根っこを抑えられ「鷲が両足で半島を掴んで羽を広げた状態だ」と書かれたひには、「そんな事考えた事もなかった!」と膝を打つ思いがした。
ベトナムとは「越南(えつなん)」が語源で「越」の南と表現しているのだから、中華文明に洗われている。ベトナム(特に北部)は常に中華文明との関係を強いられて来た、、という感覚は、これを読むまで私には無かった。
同じインドシナ半島にあるラオス、カンボジア、タイは、「インド文明に洗われているから諦観主義なのだ」とする。そうか、だから同じ半島に住んでいても、かなり民族の性格が違うのはこれだったのか。。。

民族を鍛えたもの
司馬さんが表現する「ベトナム人」はこれまで私が安易に思い込んでいた人々とどうやら違う。
北部のソンコイ川流域の王朝が、南部のメコン・デルタに住む人々を征服した歴史があるが、ソンコイ川は雲南省に水源を発し高い山が多く、ひとたび雨が増えるとすぐに激流となってトンキン平野を襲ったという。この厳しく、御するのが難しい川によって民族が鍛えられたという。(水との闘いが、賢く、勇敢にし、努力好きにした。)一方、南部のメコン・デルタは天然の調整池を持つ「人に優しい河」で殆ど氾濫する事も無く、田畑を増やしてゆこうという発想を促さない。
土地の利用法をよりすくなくしか知らない民族は、それを豊富に知っている民族のために苦もなく追われるのである。 (「人間の集団について」より)

ベトナムはどうなって行くのか
ベトナム人は狡っ辛く商売が上手い。。とどこかで聞いた事があるが、この著書が書かれた1974年から37年あまり経って、ベトナムはどうなったのかなと改めて考えてみた。
率直に言うと「あれ?陰が薄いかな?」という印象である。司馬さんはこの著書のあとがきに
「ベトナム、朝鮮、日本は随・唐の時代を迎えて当時で言う「近代化」を果たした三国だった。」と書く「儒教システムを取り入れた国」という意味だと思う。 その後それぞれ独自の歴史を辿る訳だが、今日の状況を考えると
  • 落日の日本
  • 決死の韓国
  • 陰が薄いベトナム
という感じだろうか。1986年にドイモイ政策を発表して、中国の「改革開放」路線に追従したのかな?ベトナムの時代が来るのかな?と思った記憶があるのだが、その後どうなったのか。。。
お隣のタイは洪水で世界のメーカーが大打撃を受けているが、 このタイに比べると今ひとつ「世界の工場」という印象が薄い(トップはもちろん中国)身の回りにあるものを見回しても「ベトナム製だよね」という物を即座に思い出せず、「手にしてる物はきっとみんな中国製」という状態と比べると、おや?と思えて来る。
簡単に調べた範囲だが、まだまだ2011年時点でも国内のインフラ(電力供給/輸送網)が整備されず、汚職が蔓延しているそうだ。これでは投下したお金がまともに使われないのではないか、、という懸念を持ってしまう。

「人間の集団について」全編を通し、司馬さんがベトナムを見るまなざしは暖かい。「自分はベトナムと上手く距離感が持てない」と語るように、大国の影響下にあった辺境国に対して司馬さんはずっと興味を持っていたそうだ。

アジアと一括りに言ってもいろいろなんだ、ろくに知らなかったな。。と遅まきながら興味を持ち始めた自分は反省しきりである。

2011年11月26日土曜日

KARAとAKB48とBS歴史館と、、

今回のエントリーは、超いい加減。裏を取らずに感覚的にサラサラと書いてしまうので、予めご容赦を。。。

昨日、たまたまKARAなる韓流ポップアイドルのムービーを観る機会があった。お酢のコマーシャルで知っていたから
「とっても美人なお姉さんグループ」
程度の認識だったけれど、改めてしげしげと映像(音が無かったので映像だけ)を観て、何か心に引っかかる物があった。今朝それが何なのか、「ああそうか!」と気が付く。

「あれは女性特殊部隊だ。」

凄く誤解を生む言い方なので、少し説明すると、大変に苛烈な競争と修練を重ねた結晶が彼女達な訳で、その成り立ちは軍隊のエリートと言われる「特殊部隊」だなと直感的に思ったのだ。
そもそも、あそこまで身長、スタイルが揃っているのは、揃っているのでは無く「揃えた」と思って間違い無い。つまり多くの志願者の中から選抜する訳で、その候補生になる為に相当小さい時から、美の鍛錬を重ねて来たんじゃなかろうか。(いや、KARAの来歴を詳しく調べた訳じゃないので、いい加減です。)
スタイルは、生まれながらに依存するが、身のこなしや歌唱力は、器用さという才能を磨き上げないとある程度のレベルには達しない。美容に至っては如何に「マメ」であるかが勝敗を分ける事を考えると、「全身で戦う女性達」という言葉が浮かんだ。(東方神起のドキュメンタリーをチラっと観た時に同じ事を感じたんだよね。。)

引き合いに出す程詳しく無いが、我らがAKB48は、似た年頃の女子集団ではあるものの、そもそもの成り立ちが随分違うと感じる。これまた乱暴な言い方をすれば
秋元康が「セレクトショップ」を開いているように思える。大きく引いて観ると「似た集団」だが、詳細に一人一人を観ると個性がある。その僅かに違う「個性」を男子達は大喜びしているのかも知れない。(たぶん)一人一人「同じ」では AKB48では無いのだ。(恐るべし秋元康!)

チラッと観ただけだから本当にいい加減だし、韓流にも乗り損ねて「冬ソナ」も「チャングム」も最終回+数回だけ観て、後はあらすじ読んでざっと理解した程度の、ハンパなオバさんが言っている事なので、本当はもっと深い理由があるかも知れない。

またまた話が飛躍してしまうが、今読んでいるちきりんさんの「自分のあたまでかんがえよう」に、WHOの自殺率の統計が出ていた(人口10万人当りの自殺者数)日本がその中で第三位な事は憂慮すべき点であるが、第一位が何と韓国。。(二位ロシア、中国はデータが無くカウントされていない)日本も深刻であるが、韓国は劣らずに深刻なんだと思うと、彼の国の必死さを感じてしまう。90年代後半に経済破綻をしてIMFの管理下に入るという辛い時代から、今は奇跡の回復を遂げたと言われているけれど、それはさらに苛烈な競争社会の上に成り立っているんだと、改めて思う。

先日観た「BS歴史館」で歴代李氏朝鮮王朝の女性達の特集をやっていた。(正確な番組名が検索出来なかった、、)ガチガチに儒教で固められた王妃達の実情が赤裸々に描かれていて興味深かった。世界中どの王朝の後宮でも、女性は熾烈/苛烈を極める競争(男子の世継ぎを産む)を強いられている訳だが、個々のエピソードを知ると歴代の女性達が気の毒になってしまう。夫である王から自殺を命じられたり、追い落とされる時が悲惨なのだ。。
日本にもそんな面が無いでは無いが、あそこまでギリギリと追い込む感じが無いのは、南方文化の
「この子の父親は、本当は村の別の男の種なんだけど、みんなそれは黙って言わない。」
的、おおらかな性のモラルが影響してるんじゃないかなぁ、、などと夢想してしまう。

歴史上、養子を取る事に日本は寛容だったけど、家族の系譜がしっかり管理されている韓国ではアリエナイ事を考えあわせると、、、
「御台所は世継ぎを生まなくてもいいです別に、、だれか側室が産むでしょうそれでOK!」

「何としてでも世継ぎを産んで国母になってもらわないと、それに連なる一族の覇権争いに影響するんだ(妃の実家の男性達の事ですね)」
と追い立てられる立場では、美に対してだって苛烈に成らざる終えない伝統があるんじゃないかしら、、とかね。

KARAの見事なダンスを観ながら、つまらぬ事を考える週末でした。

2011年11月23日水曜日

「中国化する日本」のジェットコースター感

「中国化する日本」與那覇潤著

まるで1000年の時空をジェットコースターで駆け抜けるような、読書体験である。これは基本的に大学の授業を文章化した物だそうで、こんな授業が受けられる大学生は本当に幸せだ。(愛知県立大学生よ心せよ!)
それにしても、著者である與那覇先生(@jyonaha)は弱冠32歳!凄い32歳が居たものである。
私が32歳の時は、、、と思い返すと、二人目を産むにはどうすれば良いか、仕事と子育てを両立するにはどうしたらいいのか、目の前の事に汲々としていて、これほどリッチで遠大な視点は持ちえ無かった。でも、それは著者が言う所の「一人中国化」状態で、生きのびる為に使えるものは何でも使っていたのかも知れない。

與那覇先生は中国化を
「可能な限り固定した集団を作らず、資本や人員の流動性を最大限に高める一方で、普遍主義的な理念に則った政治の道徳化と行政権力の一元化によって、システムの暴走をコントロールしようとする社会」
と定義している。なるほど、そんな風に考えた事も無かった!
「この本は高校の歴史教育と、大学の歴史教育を繋ぐ役割であれば良い。」
とtwitterでつぶやいておられるが、例えば私が高校生だった遥か24年前にこの本を読んでも、恐らく1割も内容は判らなかったろう。当時は受験戦争の雰囲気がまだ濃く、共通一次からセンター試験に移行した時代。歴史の先生は日本史/世界史各2人=4人も居て、授業時間はそれなりに多かったけれど、それでも「学び足りない」不足感を持ちながら、専門的な勉強(実技系)の道に進んでしまった。
成人して、それもしばらく経って(子育ての暴風雨が薙いだ頃)コツコツと読んだ物から得た知識にで、何とか理解出来たかなと思う。
グダグダと何が言いたいのかと言えば、ハイティーンにだけ読ませていてはもったいないと言っているのである。以下、思いつくままに感想など。

平家・海軍・国際派
twitterでもどなたか指摘していたが、この本を貫くテーマである「中国化(オープンシステム)」「江戸化(クローズドシステム)」をキーワードに歴史の事象を切り分ける様を見て、すぐに思い出したのが「平家・海軍・国際派」の言葉である。これは、司馬さんが、大前研一さんと対談した時に
「昔から、日本では平家、海軍、国際派はどうしても主流になれない。」
と話していた。「ああ、そうかも。日本ってそうよね。」と妙に納得した。
なぜ勝てないのか、與那覇氏は「みんなの大好きな江戸」という言葉で表現している。

イネ(稲)とイエ(家)で構成された集団単位に、それぞれ「家職/家産」を担わせる方法しか日本は取りようが無かった。律令国家までは、中国からの先端事物をずっと輸入して来たが、宋の時代(960年 - 1279年)に中間支配層である「貴族」を彼の国は滅ぼして、皇帝直轄の「官僚機構(科挙によって選出)=群県制」を作ってしまい、1000年世界に先駆け自国内に「ミニグローバル化市場」を確立させた。が、、日本はそこまで行き渡るだけのメディアが発達していなかった。具体的には印刷技術や言語教育といった基本的な知的インフラが無かった事が影響しているらしい。

司馬さんは対談の席で、しばしば(あ、だじゃれ)
「日本史は鎌倉以降から始まる。」
と断言するが、與那覇氏も同じ事を、違う視点で見ておられる。
「既得権益勢力(貴族や寺社)と国際競争に適した主要産品がなく、没落必至の坂東武者が、宋朝の仕組みを取り入れようとした平家一門を瀬戸内海に追い落とした。」(與那覇氏談)
。。。鎌倉で青春期を過ごした私としては、司馬さん的解釈の
「己が耕した土地は自分の物と言って何が悪い。荘園主など一度も顔を見た事が無いではないか。鎌倉らしいリアリズム。地方農園地主が都から落ちて来た貴種である頼朝を担いで平家を追い落とした。」
、、と表現する方が心情的に合うのだけれど、やはり、物はリアルに見なければならない。
数年前の大河ドラマ「義経」(タッキー主演)でも、清盛の貿易に対する考え方が描かれていて新鮮に映った(描き方が弱かったけれど)。来年の大河ドラマは奇しくも「平清盛」またどんな描かれ方をするだろうか?

明治維新は中国化のさきがけ?
明治維新の解釈も面白い。曰く
日本だけが中国や韓国に先駆けて西洋化した、、、というよりも、そもそも先延ばししていた「中国化」がいよいよ保たなくなって「西洋化」と看板を挿げ替えただけ。中国/朝鮮にとってはそれほど西洋化は魅力的では無かった。
と説く。ほほ〜。これもなかなか新鮮な視点だ。
私は、生半可な知識しか無いが、
儒教の「身体を動かす事を蔑む」傾向が少なからず影響したと考える司馬さんの解釈にも、一定の共感を持っている。
士大夫たるもの身体運動を要するものは、下僕にさせる。。江戸時代に毎年訪れていた朝鮮通信使は
「武士等と言っておるが、あれは「兵士」だ。」
と蔑むような滞在日記を残していたり、韓流ブームのドラマ「チャングム」では医術を学ぶ女性達が
「看護婦なのに売春婦的な事までさせられるのが嫌だ。」
と苦情を訴える台詞がある。
日本は「技巧の練達」をむしろ尊ぶ所があって、鍛錬を要する事に熱中する気質があるのではないか、、と司馬さんは言う。

黒船に他国の脅威を覚えたのとは別に、目の前に現れた「メカニカル」な造形物に、それまで押さえ込まれていた「エンジニアリング」の好奇心が一気に噴出したのではないか。。。これは学術的に照明された訳では無いけれど、寡黙なエンジニアを沢山抱えたメーカーに勤めているから、多分に身贔屓で考えてしまう、、(あ!これが江戸化か!)そう、実感としてそれはあったろうと思えるのだ。歴史的に見ても、何でも国産化にこだわる所も、気質かと…。だから、オープンシステムに負ける時もあるのよね。。

やっと掴めた「陽明学」
本書を読んで一番理解しやすかったのが、陽明学の思い切った説明!下手な事を言って妙な議論に巻き込まれるのを嫌がる為か、これまで、陽明学を端的に説明してくれる文書に出会った事が無かったが、これは凄い。
「結果オーライならぬ、動機オーライ」
純粋で高邁ピュアな動機に基づいていれば、結果が破滅的でもオッケー‼
こんな説明、多分與那覇先生しか出来ない!どーも、司馬さんが吉田松陰について語る時に、ぼんやりとしか理解出来なかったのだが、大雑把な陽明学の本質を私が掴み損ねていたかららしい。いるよねぇ、、こういう人。妙に透明な眼差しで思い込んでしまう、、な人。

女性の存在を忘れていない
さすが、若い方である。後半につれて、社会における女性の立場とその影響についてもしっかり言及している。この視点が、今の40代後半以上の世代にはスッポリ無い(キッパリ断言!)学究的な大学の職場は、ジェンダー差別なんて遠い昔の話だろうが、民間はまだまだ、既得権益者がウヨウヨ居るので、表だって失言しないだけ、一皮むけば「江戸よ再び」と夢見ている。
「ああ野麦峠」に描かれた民間製糸工場の苛烈な能力主義(上手に紡げない女工は徹底して給与を差っ引かれる)と、それでも家に居るよりずっとマシだったという女工達の証言は、同性として深く共感してしまう。
誰が、洗濯機も、炊飯器も、湯沸かしも、冷蔵庫も無い農家の生活をしたいと思うだろうか。宮尾登美子氏の小説だけで沢山だと思うのがホンネである。

今の中国を知りたければ、、
「今の中国を知りたければ、日本び明治を調べろ。(その逆も真)」
いやぁ、この事を知りたかったビジネスマンは沢山いるだろう。とにかく、数字は正直だ。購買力をつけ始めた中国市場を証明する数字に
「とにかく、乗り遅れてはならない。」
と焦るビジネス界。でもその付き合い方がわからなくて(気持ち的にも障壁があって)グズグズと立ち止まっているのが実態ではなかろうか。
表面的な事象を説明するレポートはいくらでもあるが、根本的な成り立ちを全く知らず、理解もしていない不安を、巨大な隣国に感じていると思う(私も含め)。

政治ってそういう物なのね
今に限らず、日本人って政治とか外交とか「下手だなぁ」と薄々気が付き始めていたが、、
曰く
本来、西欧近世の身分制議会というのは、もともと貴族が既得権保護のために王様と話し合うための場所です。したがって、近代西洋産の政治学で考えても、アクターがそれぞれに利権を持っているのは最初から前提で、政治とはそれらをネゴシエートするためのプロセス、という事になる。ところがこれが今日の日本では通用しない。「こいつらこんなに汚く儲けている。」と清廉潔白の士が汚職を徹底追及するワンサイド・ゲームの方がウケる。。

には本当に「目から座布団が落ちる」思い。いい歳してよく判らなかったのだから、自分でもナサケナイ。。本当に「床屋政談」してる場合じゃないし「戦国だけファン」とか寝とぼけた言ってる場合では無いなぁと痛感。

しかし、巻末の文章はさすが若々しくて良かった。こんな頼もしい次世代がやって来ているのだから、多少なりとも我が子らも後に続いて欲しいなと思うばかりである。(とやや過大な期待)

2011年11月17日木曜日

ものみな”男性論”で計算せよ 〜司馬遼太郎対談選集3「歴史を動かす力」より〜

21世紀の現代で「男性論で計算せよ」とはなかなか言えない。言葉尻を捉えて
「女性が計算出来ないって事か!」とか
「時代錯誤の男尊女卑だ!」と
あっという間に袋だたきだろう。女性の私だから大胆にも引用しまうが、もし男性だったら、不要な火種を起こしたく無いから絶対に書かないな。。。
でも、どうにも惹きつけられた内容だったので、備忘録として引用。 
今読んでいる「歴史を動かす力」(司馬遼太郎対談選集3」の中「織田信長・勝海舟・田中角栄」と言うタイトルで、江藤淳氏と司馬さんが対談している。対談時は1971年田中角栄が首相となり「列島改造論」がベストセラーとなる時期だ。私はまだ3歳にもなっていない。
以下、対談の一部を引用
司馬 政治の上で侮という字が出て来る関係はまずいですね。侮米であれ侮中であれ侮ソであれ、まったく意味なき感覚です。
江藤 今は極端な拝中侮台ですね。かつて台湾というところへどんなゴムひも屋が躍ったかどうかは別として(筆者註:ここで言う「ゴムひも屋」とはこの前段で「表玄関から堂々と入らず、小商人が勝手口からコソコソとゴムひもを買ってくれというような外交をしていてはダメだ。」と喩えた事を引いている。)あそこにもやはり人間の心を持った千四百万の民衆が居る。蒋介石政権が堕落しているかどうかは別として、この民衆を忘れたら大問題ですよ。
司馬 それは大問題です。しかし、何と言ってもアメリカの問題を考えるうえで、もし侮米という気持ちがおこるとしたら、アメリカと戦争できるかどうかをまず考えてみなければいけません。これは男子の論理です。男子たるもの、相手をばかにしようとするのなら、まず計算して、戦って勝つという成算を得たときばかにすればいい。ばかにしたければ、ですよ。それにきひかえ、戦争しても負けるくせに侮るというのは、女ですよ。日本人の外交感覚というのは、多分に女性的です。野党も与党も女です。

司馬さん、、女だってそのくらいの計算出来ますよ。。と、思う訳だが、このスパッと言い切る鋭さに、今、私は憧れて仕方無い。
なぜ憧れるのか。。。それは、、、仕事をしている上で「侮り」の計算の上に積み上げられて行く話があまりに多いからだ。
  • たいした事無いよ、こんな物
  • きっとこんな物、市場ではウケないよ
競合と言われる商品を見る時、自分達が優位であると思い込みたいが為に、今そこにあるファクトを見ようとしない。「王様は裸だ」と言おうものなら、そっと粛正されてしまう。またその真逆もある。
  • 大変だ大変だ、こんな○○な物が出た
  • 他社は××な事をやっている
視野が狭くなっているが故に、針小棒大に事を捉えてセンシティブになりたがる。
どちらも同じに思えてならない。
司馬さんと江藤さんは、喩えとして「男子の計算」と言っているだけで、日本民族みなそれが出来ていないと、一刀両断している。敗戦の記憶がまだ生々しい70年代「女々しい計算の結果が太平洋戦争」という重い記憶があるのだろう。江藤氏は石原慎太郎と同世代の作家で、残念ながら同氏の書き物は読んだ事が無いが、99年、先立たれた妻への鎮魂記を書いた後、自ら命を絶っている。(この事件をご記憶の方も多いと思う。)そんな人だから、司馬さんに劣らず苛烈な内容で、対談なのに「あれ?これはどっちの発言だ?」と思うほど、ズバズバ斬り込む論旨はどこか司馬さんに似ている。
引用した箇所は、勝海舟に関する物で
「勝だけが、男子の計算をしていた。世界情勢を瞬時に理解して計算している、そこが、福沢諭吉と違う。」
と語る。

地勢学的に、アメリカ、中国、ソ連(ロシア)と、素肌で対峙しなければならない日本は、西欧諸国とはそもそも外交的負荷が違う。ヨーロッパは18〜19世紀に苦労して鍛錬した結果、今は大学院生が幼稚園の問題を解く様に易しいが、日本はまるで滝壺で滝に打たれるように、モロにこれらの国と対峙しなければならない。なのにその事を自覚している人間は僅かで、大半はおくるみに包まれて眠る赤子のようだ。(江藤氏談)うーん。これ71年の話しだよね、、TPPの話題じゃありません。。念のため。
ヨーロッパも大変だけど(ウッカリ、只飯ばかり食らう食客を招き入れて四苦八苦)ギリギリで転覆しないのは、血で血を洗う勉強代を払ったからなのか、、。

司馬さんがストレートに世情を語る記録はあまり見かけない。晩年は非常に高度な喩えで、一見気付きにくくなっている。

詳しくは、機会があればご一読、、と言う感じだが、
「男子の計算せんといかんなぁ。」
と、心に一匹の狼を飼う女子も思う訳である。

2011年11月13日日曜日

テラスモール湘南に見た日本市場いろいろ

地元の民として、5年位前から待ち望んでいたショッピングモールがいつの間にかオープンしていた。(散々この中吊り広告を電車で見ていたのに、これがあの開発計画の一部とは気が付かなかった!ぱっと見綺麗なビジュアルだけど、モールの宣伝とは思わないよね。。)
そして、出来心でオープン翌日の土曜日(実質的オープン初日)にうっかり出掛けてしまった。夕方18時を過ぎたら、もう混雑も一段落かと思ったら、甘かった。。。同じ事を考えている人間は多いもので、周囲の道路が一度に大量の車を裁き切れず、結局駐車場に入るのに一時間かかってしまった。

藤沢にも郊外型ショッピングモールが増えて来た
手前味噌になって恐縮だが、ずっと藤沢で育った私から見ても、藤沢はそれなりに文化都市だと思う。少なくともそうなりたいと意識している住民は多いと思う。(最近そうでも無いかも知れないが)
気候が温暖で、都心への通勤が可能。古くからベットタウンと地方中核都市の二つの性格を持つ存在だった。都市部への通勤者も多いが、近郊の生産拠点としてメーカーの工場も多く存在していた。ここ数年、その工場跡地が次々と、マンションやショッピングモールに変わっている。海外に生産拠点を移すメーカーが多く、ご多分に漏れず、藤沢からもかなりの工場が撤退してしまった。気が付けば、工場の周りに住宅が密集する程、人が増えていたので広い敷地が空いても使い道に困らないのが現状だ。(戦後、一貫して市内の人口は徐々に増えている。これは喜ばしい事かも知れない。)もはや、工業地帯としての役目は終わったのかも知れないが、日本のあちこちで、この現象が起きているとしたら、どうなるのかなと、少し心配になる。買い物に来てくれるだけの人が居なければ、こんな商業施設も成り立たないだろう。

目の肥えた人々
オープンというご祝儀相場なので、もう数ヶ月すれば人出も落ち着くと思うが、開いたからには軌道に乗って成功して欲しい。私個人としてはシネコンがやっと出来たかと、感無量である。昔は、藤沢に映画館が多くあったが、近年のシネコンに押されて全て「パチンコ屋」になるという悲惨な有様である。映画を観たいと思ったら、一番近くても車で一時間はかかる所にしか無かったのだ。(~~;)それも、ジャスコとかマイカルとか、イマイチ「普段使い」の品揃えばかりのちょっと「あか抜けない商業施設」と抱き合わさっている所ばかりで映画以外の用事をついでに済ませたいと思わせるには、今ひとつ物足りなかった。
今回のテラスモールは、飛ぶ鳥の勢いのテナントが多く、藤沢市民には垂涎ものだ。

「まるで、横浜あたりに居るのかと、錯覚するよな。」

と人混みの中で、ご夫婦らしきカップルの男性が、奥さんに向って話していた。そうなのだ。ここいらの住人は横浜まで遠征していた人達で、シャレた物が欲しいと思ったら時間とコストをずっと掛けて来た人達なのだ。だから「目だけは肥えている」

「ユニクロの方が綺麗だよな。H&Mはもうぐちゃぐちゃなんだよ。」

これも、人混みの中でとある男性がつぶやいた言葉。確かに、聞きしに勝るユニクロの社員教育は徹底していて、オープン当初という過酷な人出であるにも関わらず、ハイエナに荒らされるが如くの商品棚が、数分すると整然と整頓されている。強化されたスタッフが片っ端から乱れを直して行くのだ。恐るべしジャパン・クオリティ。H&Mへは見に行く時間が無かったのだが、恐らく、かの男性の証言は正しいのだろう。(海外企業ではそんな事に人手を割くなんて考えられないのだろう。)

企画立案書を一度見てみたい
ららぽーと横浜や、プレミアムアウトレットで有名な「三井」はこの手のモール立ち上げはお得意で、ここも三井かなと思いきや、住友系の会社だった。しかし、当る商業施設にするために、どんな調査や企画を練ったのだろうと、この手のモールに行く度に思う。
ただ、今回は自分の生活圏内にあるモールなので、しげしげと各店舗を見渡して、よくリサーチして選んでいるなと感心した。
少なくとも、我が家のような家族構成には、かなり魅力的である。家族の誰もが行きたいと思うお店があるのだ。

夫→自転車ショップ、家電量販店、文具店
私→本屋、手芸(ユザワヤ)、コスメ、服飾
長女→本屋、画材、服
長男→スポーツショップ
次女→赤ちゃん本舗、おもちゃ

実はすぐ近所にも、似た様なモールがある。もうオープンして5年以上経っているが、そこは一度行って「まぁ、また何かのついででいいか。」と思ってしまった。なぜそう思うのか、明確に言えないのだが、強いて言うなら
「時間を使ってまで行かなくてもいい。」と思ってしまったのだ。一見綺麗なお店が並んでいるのだが、よく見ると内容が平凡で、印象にあまり残らなかった。
こう考えると、お店を出すというのは難しい。オープンするのも大変だろうが、売り上げが成り立つには厳しい現実があるんだなとつくづく思う。

まだ、トコトン利用した訳では無いので、期待値だけの記事になってしまったが、もう少し落ち着いたら、じっくり利用してみたいと思う。

2011年11月6日日曜日

「スティーブ・ジョブスⅡ」読書感想〜無限の彼方へ〜


iPad2の電子書籍版と書籍版を並べてみた。。
週末一気に読んでしまって、少し脱力。。でも、噛み応え充分の本書は、2000年代にパソコンとIT業界で何が起こって来たのか、そして、これからの未来がどうなるのか、考えるに充分な内容になっている。いつか、読む事をオススメ。(今日の読書感想は、ややネタバレでないと、どうも書けない気がするので、これから読まれる方は要注意。)

オープン vs クローズド
パソコン黎明期を体験して来た世代には、懐かしい言葉だ。デジタル情報をずっとキャッチアップして来た人には、聞き飽きたテーマだろうが、これは延々と繰り替えず「あざなえる縄」の様だ。
マイクロソフトが、プラットフォームであるOSをオープンにした事で、市場を席巻し、ジョブスのAppleは完全に負けた。本書は浪人中のNeXT時代から記述が始まるが、ハードとソフトの垂直統合にこだわったジョブスが、iPod/iTunesで業界にイノベーションを起こしたあたりの快進撃は一番読ませる。必要な物全て持っていたにも関わらず、業界を変革出来なかったソニー(池田信夫さんも鋭く分析しておられる)の下りは、同じ日本人としてやや悲しく情けないが、、他山の石とは思えず、思わず背筋が寒くなる。
ソースは常に公開され、広く多くの人々によって玉石混合で作って行こうじゃないかという考え方(オープン派)と、いやいや、それじゃ結局グダグダで、判りにくく使いにくい物が山の様に出来上がるだけだという考え方(クローズド派)、どちらも一理あって、時勢によって交互に優勢になっているのが、2000年代であるらしい。
iTunes/Appstoreまでは、クローズド派が先行優勢だったが、Androidの登場でまた「オープン」の時代が来るのではと囁かれている。(我が家の夫などはこっち派)
この状況下でのジョブスの死は、凄く痛いんじゃなかろうか、、と思えてしまうが、本書を読んで少し印象が変わった。

Appleの人々
ジョブスのプレゼンテーションが強烈なので、Appleは「ジョブス帝国」という印象を持ってしまうが、本書は2000年になってからのAppleを支えた人々の記述も多い。特にデザイン部門を統括する「ジョニー・アイブ」は度々登場して、後任CEOを務める「トム・クック」よりも印象が強い。
1967年生まれ(!!ほぼ同世代だ!!)のアイブは、イングランド出身で銀細工場に務める父を持つ工業デザイナーである。ジョブスが「心友」と称する間柄で、ジョブス復帰後に生み出されるAppleの製品デザインを全て統括して来た。(もちろん、彼の下のチームがアイデアを出しているのだろうが)
このアイブが、よく悲しくなったのが、自分や自分のチームの仲間がスケッチしたり作ったアイデアを、ジョブスは初見で「くだらん!」とけなした癖に、しばらくすると、さも自分が考えたかの様に他で言って回ってしまう姿だったそうだ。(究極は製品プレゼンの時)デザインに限らず、昔からしばしばジョブスにはこの癖があって、却下した癖に、後日「いい事を思いついた。」とその却下した内容を進言した当人に、滔々と述べたりしたそうだ。(言われた本人も「それは、私が先日申し上げた内容ですが。」ときっちりやり返したらしい)
そんな「無茶苦茶CEO」ではあるが、アイブはジョブスを信奉している。慕っているからこそ、何故そんな無体な事をするのかと悩むらしい。アイブが工業デザイナーらしい鋭さで、プロダクトを磨き上げるセンスを、ジョブスも買っていたし、彼の考え方は非常に含蓄があって、畑違いであるが同じデザインを志す身として、学ぶ所が多い。
又、クールで有能なトム・クックは、彼だからジョブスの代役が務まると思える人物で、アクの強いメンバーをソフトに統括しているらしい。しばらくは、Appleも今の勢いで成長して行けるだろうが、問題は飛躍しなければならない時に、どのように判断するかではないだろうか。
こうして読むと、昨今飛ばしているAppleのクールなアイデアは、一つ一つをジョブスが考えた訳では無く、周囲が懸命に進言したり、ブラッシュアップした物が殆どである事だ。そして、それはジョブスが目指した究極の姿でもある。

永く続く会社を作りたい
本書を読んで目を開かされる思いだったのが、ジョブスのこの言葉だ
僕は、いつまでも続く会社を作る事に情熱を燃やして来た。すごい製品をつくりたいと社員が猛烈に頑張る会社を。それ以外は全て副次的だ。もちろん、利益を上げるのも凄い事だよ?利益があればこそ、凄い商品を作っていられるのだから。でも、原動力は製品であって利益じゃない。スカリーはこれをひっくり返して、金儲けを目的にしてしまった。殆ど違わないというくらいの小さな違いだけど、これが全てを変えてしまうんだ。ーー誰を雇うのか、誰を昇進させるのか、会議で何をはなしあうのか、などをね。(スティーブ・ジョブスⅡより)
上巻から下巻まで、時折「HPの様に永く続く会社を作りたい。」と彼は語る。そしてその「すごい製品」とは、人々の生活が豊かで創造性に溢れ、喜びに満ちた物になる事を手助けする製品であって欲しい、、渇望に近いまでの情熱を持って取り組んで来た事は、言うまでも無い事実である。

約一月前に訃報を聞いてから、この本が出るまでの間に、iPhone4Sに機種変更をして、iCloudを介したストリーム時代を体験している。アップグレードでデータが消えてしまったり、それを復元するのに丸一日使ったりと、それなりに四苦八苦したけれど、配線をつながなくても、自動で同期が取れる環境に改めて感動を覚える。
4歳の娘はiPad2がお気に入りで、動く絵本や種々様々なお絵描きソフトを、勝手に使って楽しんでいる。完璧なデジタルガジェットエイジだ。本書でもジョブスが
「字も読めない田舎の子がiPad2でゲームを勝手に始めた。」というエピソードを聞いて喜んだとある。世界中のそこここで、この現象は起きているだろう。
彼はこのiPad2をテコに、教育界も改革したかったらしい。本当に残念な事だ。我が家にも三人の未成年が居るが、この子達の時代はどんな世の中になっているのか、ジョブスの伝記を読みながらそんな事に思いを馳せる。
ジョブス程の事は何も出来ないが、少なくとも Cクラスの頭脳でも、考えないよりはずっといいだろうと自分に言い聞かせたりもしている。

さて、何となく追悼気分だったのを、そろそろここいらで終わらせたいと思う。
最後にとても心に残るスピーチを紹介しているMACLALALA2さんのブログを紹介して終わりにしたい。英文と翻訳の対になっていて非常に良いです。

「ジョニー・アイブの追悼スピーチ 」
「血を分けた兄の死(1)〜(4)」実妹モナ・シンプソンのスピーチ

2011年11月2日水曜日

「ステーブ・ジョブス I」読書感想〜審美眼を持った男〜

今日、下巻が発売だから、明日か明後日にはAmazonから届くだろう。上巻を読んだ感想を軽く、、。

大変な男
知ってはいたけれど、ジョブスという人は知れば知る程、大変な人であった。身近に居たらこちらが潰れちゃうだろう。が、部分的に「誰々に似てるな。」と思える所もある。総じて、イロイロ魅力的であるのは確かだ。

著者アイザックソン氏の力量が非常にいい。丁寧な関係者への聴き取りで構成された内容は、ジョブスの生涯を通して、一時代を築いたシリコンバレーの歴史も知る事が出来る。あの時代は何だったのかと、振り返るにも良い書だ。
執筆はジョブスからのラブコールで実現した。彼はこのアイザックソン氏の著書を読んだ形跡も無く「キチンと書いてくれそうだから。」という理由で指名したらしい。
「君は自伝を書くにはまだ若い。」
と一度は断るが、ジョブスの妻から
「書くなら今しか無い。」と耳打ちされる。
死期を悟ったからだろう、最終原稿のチェックも自分はする必要無いと宣言したそうだ。

本書を読むと「ジョブスの慧眼ここにもあり。」と思わざる終えない。
この執筆依頼の一事を取っても、彼の物事を見抜く目の確かさの証明になっている。それだけ、この著書はプロの仕事に徹している。

泣いてしまったピクサーの下り
ネタバレになるので著書内のエピソードをクドクド書くのは控えるが、時系列に並んだ内容を読むと、直ぐ近くでジョブスの人生を追体験している錯覚に囚われる。
正直、若い頃の彼は「嫌な奴」で傍若無人。人を人とも思わない「共感力0人間」にしか見え無い。何と言うか「格好良く」は無いのだ。(若きアントプレナーとして、とてもモテてるのが実際なんだけど)
有名なApple失脚の下りは、読みながら「仕方ないかもなぁ。」と一瞬思てしまう。
だが、ほぼ同時期に彼はピクサーを買っている。(株の70%を取得)

上巻の最後はピクサーにまつわる話なのだが、私は
「ピクサーに関して、ジョブスはうるさく干渉しなかった。それが功を奏した。」
と言われていた噂をそのまま信じていた。

ところが、本書を読むとそれどころの話では無い。

赤字続きでお荷物だったピクサーを、一時は売ろうとも思うし、オーナーとして厳しい経費削減も断行する。最初はハードやソフトを売る部門も持っていて、ここから収益を上げたいと目論むが結果はさっぱりだった。
それでも、ラセター率いるアニメーション部門には制作費を出し続けた。
「いい作品を作ってくれ。」
とだけ言って、なけなしの経費から小切手を切る。
アカデミー短編部門で、ラセター達がCGアニメで初のオスカーを獲得した時の下りは泣かせる。

一度はお払い箱にしたディズニーが、ラセターのオスカー獲得を知って寄りを戻したがったが、ラセターは、ジョブスとピクサーへの恩義から首を立てに振らない。
名作「トイ・ストーリー」をディズニーの出資によって作り始めるのだが、この時のジョブスの活躍は目覚ましい。
あのディズニーからダブルネームでの興行権を勝ち取るし、ディズニーの口出しで余りに酷い仕上がりになってしまったトイ・ストーリーを、再作成する制作費交渉でも辣腕振りを発揮する。この時、とにかく資金力を付けなければどうにもならないと痛感したジョブスは、大勝負に出る。

何と、まだ一作しか作っていない無名に等しいピクサーの株をIPO(株式公開)すると決断する。しかも、トイ・ストーリー公開と同時にだ。
ラセターは、もう数作作ってからと進言するが、それはディズニーへの危うい隷属を予感させた。
蓋を開けると、公開と同時に株価は急騰。ジョブスは賭けに勝った訳だが、彼は「金儲けに興味は無い。」と言う。
ピクサーが、それまでのアニメーション界を変えると読んでいたのかも知れないし、純粋に彼らが生み出す作品には極上の価値があると確信していたからかも知れない。
私は、後者なのだと思う。何故か、このピクサーのジョブスに私はとても惹かれた。それまでは「自分が世界を、宇宙を変える。」と公言してはばからなかった彼が、とても利他的にその能力を発揮していたからだ。
誰もが知る、Apple復帰後の快進撃の布石が、ここにあったのでは無いかとさえ思う。

審美眼≒目利き
ジョブスはよくビジョナリーと賞された。確かにそうかも知れないが、私はむしろ、とてつもない審美眼の持ち主なのだと悟った。
よくよく注意して読むと、彼は自ら手を動かして何かを作った事は少ない。(初期のMacに15年入っていた電卓のルックスくらいか!(^^)

作る人と言うより、見抜く人なのだ。実の妹のモナ・シンプソンが弔辞で述べた様に、ジョブスは近所の自転車屋に入って一瞥しただけで、最もいい品を言い当てるのを得意としていた。
ビル・ゲイツは「当たる技術に対して、恐ろしい程に鼻が効いた。」と賞する。

透き通った眼差しで、本質の結晶を見抜く才能は、芸術を生み出す才能と同等に得難い。或は、それ以上に貴重な存在だ。見いだしてくれる力が無ければ、才能も芸術も朽ちて行くだけだからだ。
何て事を言っていたら、発売日に下巻が届いた。
読みたいような、少し寂しいような。ギリシャ悲劇のオイディプスの観客の様に、我々は迎える結末を知っている。それでも、読まずにいられない魅力が、この人物の人生にはあった。