2013年7月7日日曜日

NHK大河ドラマ 八重の桜 第26回「八重、決戦のとき」 〜多様性を考える〜

綾瀬はるかさんの迫真の演技が光る!
一週前の話になりますが、大河ドラマ「八重の桜」が前半のクライマックスです。激烈を極めた会津戦争。征討軍として攻め込む新政府軍に、装備は旧式、あるのは「会津魂」のみの会津藩は次々と領内に攻め込まれて、いよいよ会津城下も戦場に。。。

綾瀬はるかさんの迫真の演技に、思わずこちらも感情移入。特にこの回の台詞がふるっていました。

「今、この時にそんな昔ながらの考えでなじょしますか。これは男だけの戦いでは無い。(中略)私の腕はお役に立つ、それを使わないなら戦いを放棄したと同じ事。私は山本覚馬の妹だ。鉄砲の腕なら誰にも負けねぇ。」(女子どもと老人しか残らない会津城内で自分が鉄砲隊を指揮すると申し出た時)

カッコイイとかそんな薄っぺらな言葉では到底評価しきれない、底震いしたくなる言葉です。(実際に涙しました。)

非常時に開花した才能
別番組でも紹介されていましたが、新島八重(この当時は川崎八重)が会津城に立てこもって、鉄砲、砲弾の指揮を取り、板垣退助や大山巌が率いる新政府軍を散々悩ませたのは史実だそうです。大山はこの時八重の撃った弾に当たって負傷。(ドラマの通り)BS歴史館に登場していた鈴木由紀子氏(八重の事を小説に書いている作家さん)は
「本当にこんな女性が日本に居たんだと、調べて感動した。」
といつもクールな鈴木女史がいつになく興奮した様子で語っていました。 ドラマでも、八重は非常に合理的な判断を的確に下して、その実力を十分に発揮しています。
  • 未熟な者は決して前線に連れて来てはならない
  • 自分達の武器は劣る、だからよく引きつけてから撃て(やたらに無駄弾を射つな)
  • 何処を撃てば最も効率良く相手の勢力を削げるか考えろ(旗頭の下の侍大将を狙え)
八重は明治末期まで生き、晩年この「会津戦争」について語っているらしく当時を思い出してその時の装束を再現した有名な写真も残っています。 (左図)
後の夫、新島襄は「彼女は決して美人ではないが、ハンサムな女(ひと)だ。」と語っています。判る人には彼女の持つ内なる輝きが判ったのでしょう。

この回では、様々に八重の考えに対して周囲が異を唱えます。
「戦場に出て行くおなごにかける言葉を知らない。」
「女子に戦は出来無い。」
「おなごの出る幕ではない。」
男どもは勿論の事、身内からも、同性からも理解はされない。。けれど、八重は怯まず主張し、先の名台詞が出る訳ですが、この言葉を吐くに足りる「揺るぎない実力と確信」が彼女の言葉の迫力の源になっているのは、誰の眼にも明らかでしょう。
「○○なら誰にも負けない。」
依って立つ何かを持っている人は土壇場に強い。あらためて奮い立つ言葉でした。


多様性に眼をつむる者
この回では、八重の奮闘の裏で「白虎隊の悲劇」「藩士家族の婦女子の悲劇」も描かれています。いずれも「敵の手に落ちて辱めを受けるなら」と自ら自刃してしまうのですが、このマインドは恐ろしくも、第二次大戦の「戦陣訓」にまで継承されています。(生きて虜囚の恥ずかしめを受けず)八重が最後の最後まで諦めず考え抜く姿勢とは実に対称的です。

歴史を後から眺める私達が、後知恵でもの申すのは甚だ不遜ですが、敢えて言うなら、殺し合いを伴う内戦ほど不毛なものはありません。少し視点を上げれば、それが自国の繁栄にいかに不利かはすぐに判る事です。
もし、白虎隊にもう少し年長者が入っていれば(16〜18歳の今で言えば高校生)集団自決という早まった判断を止められたのではないか。幼気な女児まで手にかけて自刃する必要があったのか、、。これらの悲劇を考える時
「思考オプションの少なさ」
を考えずにはいられません。
「日新館で教わった」(会津藩士の子が通う藩校)
「そうしなさいと教えられた」(武家の子女の心得として)
人々の生きる世界は「会津」と言う郷土の範囲しかなく、その外側がどうなっているのかというところまで考えが至らない。情報の極端に少ない江戸末期である事を考えれば致し方なしですが、ちょっと今風に言うと
フレーム(会津藩)という枠に捉われ過ぎて、その外側がどうなっているのか、フレームはあくまで「基点」でしか無いのに、その内側、外側に考えを切り替える事を忘れてしまっている。
と思えてなりませんでした。
その後の歴史を見ると、明治新政府は官軍/賊軍の隔たり無く、特に能力を必要とする官僚の要職には人材を抜擢しています。(八重の兄の覚馬がその良い例)欧米列強の脅威を考えると、唯一の「知識階級」だった武士層は貴重なはずで、一人でも無駄にはしたく無いのに、そこまでのグランドプランを持っている人は、当時の日本にごく少数だった。。200年以上(それどころかその前の時代にも)小さな藩単位で世界を閉じ、上手に「擦り合わせ文化」を発達させて来た日本は「大きな戦略」や「異質な物を排除せず、いずれそれに救われる保険になるかも知れない」という多様性に対する本質的理解が、どうも鈍いのではないか。。と考えさせられる回でした。

奇しくも、敬愛する濱口氏(Zibaの戦略ディレクター)が今日のツイッターでこんな事をつぶやいておられます。
多様性は必要なのではなく、多様性は前提なのです。(
そもそも、世界は「多様」なのだから、それを前提に考えない方が愚かしい。そう言わんとしているのだと思います。

安倍首相は成長戦略に「女性の活用」を提唱し、IMFレポートには明確に「日本の女性は能力を活かしていない」書かれてしまった昨今。綾瀬はるかさん扮する八重のように
「鉄砲なら誰にも負けねぇ。」
と言い放つだけの、実力を備えなければと、気持ちを新たにしました。

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