2013年2月13日水曜日

いい男、いい女に読んでもらいたい「海賊と呼ばれた男」百田尚樹著

仕事の出来るビジネスマンは小説なんて読まへんのやろな。

確か、百田さんは二年以上前にこんな内容をつぶやいていた。仕事がデキル人ほど小説を読んで欲しい。。今回「海賊と呼ばれた男」を読んで「あの時のつぶやきの真意はこれか。」と思うと同時に、これは百田さんの「坂の上の雲」だなと思った。

どこで読んだか忘れてしまったが、司馬遼太郎が超人気作家だった高度経済成長期(1960~70年代)、サラリーマンはこぞって同氏の作品を読んだと言われている。「竜馬がゆく」は若い20~30代の現場を支える人から支持され、「坂の上の雲」は管理職クラスの必須教養だと、その短い書評では表現していた。
百田氏も「永遠の0」では「人は何を信条に生き抜くのか」を表現し、この「海賊と呼ばれた男」は「世の趨勢と、それにどう対処し判断して人を引っ張って行くのか、人を育てていくとはどんな事なのか」をリアルに目の前に描いてくれている。

内容の薄いハウツー本10冊よりも、このほぼ実話に近い小説をジックリ読む方が、よっぽど「デキルビジネスマン」には役に立つだろうと私も思う。


人が最大の財産
武田信玄の昔から「人は城、、」と言われるように、人材の大切さは叫ばれている。しかし、ギリギリの土壇場でもこの信条を守り抜ける人は少ないだろう。
「海賊と呼ばれた男」は明治の末期に一代で石油小売店を築いた国岡鐵造(くにおかてつぞう:出光興産の創始者出光佐三がモデル)が、終戦の玉音放送を聴く所から始まる。
「愚痴をやめよ、直ちに建設に取りかかれ。」
鐵造は、茫然自失の社員を終戦二日後に招集し、こう下知する。国内の石油小売各社は戦時下に軍部が指導して作った国策会社「石油配給統制会社(石統)」に入っていたが、鐵造はそれは国内の自由な商いを阻害するもので、国家にも国民にも「為にならない」として真っ向反対し、加盟しなかった。今も昔も日本にありがちな「身内いびり」が始まり、国岡商店は国内では商売できないよう同業者からイジメられていた。
やむなく、当時占領下にあった南方、台湾、韓国、満州と海外に支店を展開し、そこで外資相手に堂々と渡り合って脅威的な売り上げを計上する。それが、終戦と共に灰燼に帰してしまうのだ。建て直しには「馘首致し方無し」と周囲の幹部が進言する。すると鐵造は
「ならん、ひとりの馘首もならん。」(中略)「たしかに国岡商店の事業はすべてなくなった。残っているのは借金ばかりだ.しかしわが社には、何よりも素晴らしい財産が残っている。一千名にものぼる店員たちだ。彼らこそ、国岡商店の最高の資材であり財産である。国岡の社是である『人間尊重』の精神が今こそ発揮されるときではないか」(上巻p20)
もうここを読むだけで滂沱の涙だが、「社歴の浅い店員だけでも。。」と進言する重役に、さらに雷を落す
「馬鹿者!店員は家族と同然である。社歴の浅い深いは関係無い。君たちは家が苦しくなったから、幼い家族を切り捨てるのか」
「人育て」の真骨頂である。

私事で恐縮だが、20数年務めている今の会社で、忘れられない事がある。最初の子を妊娠した14年前、産休に入る直前に昇格試験を受ける年次に当たってしまった。既にお腹は大きく、二ヶ月後には休みに入る予定だったが、試験実施日はまだ在籍していた。当時の上司も周囲も、そして自分自身も「こんなに大きなお腹の妊婦はきっと落されるだろう。」と思っていた。論文試験をパスし、グループ面談に進んで、私が妊婦であると面接官に知れてしまったら、きっと落される。それでも、面談の時に尋ねられた「将来どんな事業を思い描くか自分はそれにどう貢献出来るか。」と問われた時に、本心から「こうしたい」と思う事を述べた。すると後日「まさか通ると思わなかった驚きだ。」と当時の上司から合格した事を告げられた。(僅か14年前でもこんな上司の方が普通でした、、今なら、パワハラ、セクハラものですな。)
あの時、あの場に居た五人の面接官にどれだけ感謝したかわからない。私の将来の可能性のみを評価してくれたのだ。当時は産休/育休を取って、そのまま会社に復帰しない女性も多かった。私がしれっと休むだけ休んで退職してしまうだろうと見られやすい世の中だった。それでも面談の内容のみを公平に評価してくれた事は
「雑音に振り回されず、評価すべき点のみを評価する」
という筋の通った態度をとったわけで、それが私に与えた影響は計り知れない。その後の社内評価は決して恵まれているとは言えないけれど、たった一時、自分を信頼してくれた人達が居た(当時の面接官はとっくに退職されてきっと今は居ないだろうし、どの部署の方かも判らない)という事にどれだけ助けられたか判らない。人は信頼される事で、苦しくとも奮い立つ事が出来るのだと身に染みて思う。だから、鐵造の言葉はどうしても涙無しには読めないのだ。

国岡商店の創業当時は、鐵造自ら講師を勤め、若い社員を社内夜学で教えたという。より高度な知識と見識を身につけるべく、懇切丁寧、辛抱強く教え、手塩にかけて育てた店員達は、簡単に置き換えの効く「人員」なぞという存在では無く、まさに国岡商店にとって、なくてはならない存在なのだ。
こんな風に丁寧な「人育て」をしていた企業は、戦前/戦後と多かったように思う。実際に知ってる例では、松下幸之助も工場の工員が学べるように夜学を開いていたし、東レもそうだったと記憶する。国全体が貧しく、不況の嵐が吹くと、働きに出なければならなかった若者達が大量に生まれた。彼、彼女らに学ぶ機会を与え、社会の一員として育て上げる、企業はそんな役割を担っていた。この一見すぐ効果が現れない地道な育成が、後の幾多の苦境を乗り越える底力となって発揮される。色々な意味で「日本の特徴」と言っていいと思う。
この主人公鐵造を中心に、登場する男達はどの人物も鐵造が繰り出す難題に「出来ません」と簡単には言わず、考え抜き、辛い仕事にも何度でも挑む、満身創痍の戦士達だ。


シレッとスマートな海軍大佐が学んだ事
最も印象的なのは、戦後「ラジオ修理事業」を国岡でやらないかとら持ちかけた海軍大佐藤本のエピソードだ。とにかく、石油が一滴も無く商いができない国岡は、社員を食わせる為にどんな事業もやった。選り好みせず、農業漁業まで取り組んだとか。。。どれも赤字で採算が合わず、糊口を凌ぐ状態だった。
ラジオ修理はGHQの指導で、広く民主主義を浸透させる為に、それを伝えるデバイスが必要でラジオを行き渡らせる必要があった。ところが当時の日本には新しくラジオを生産する力が無い。急場凌ぎに「壊れて放置されたラジオでもいいから直せ!」となったわけで、この事を知った藤本は、かつての部下達で海軍の技術畑の退役軍人達を修理に当たらせようと事業プランを考えた。国岡に話を持ち込んだ藤本は、即断即決する鐵造に舌を巻く。ところが、この後本当の「鐵造の人育て」に遭遇するあたりが面白い。
「この事業をするには五百万円用意して頂かなければなりません。」
藤本が事業プランを練って鐵造に進言するが、一言
「君はその金額を経理に用意しろと言うのかね。君に事業部長を任せた以上、一国一城の主だ。他はどうか知らんが、金の工面も事業部長の仕事だ。」
と言われてあっと気が付く。さればと銀行に融資の相談に行くが「元海軍大佐だった」と名乗った事によって
「戦艦大和の様な、大変な無駄遣いをしておきながら、、、銀行屋に言わせれば海軍は経済がわかっていない。」
と痛罵される。
「自分は真に海軍気質が抜けて居なかった、申請したらそれで金が降りると思う甘さがあった。」
と、ものの見方をガラリと転換させる。融資願いに訪ねる時に、ラジオの修理を銀行担当者の前で実演し、それまで門前払いだった銀行サイドの興味をひいて、何とか前向きな回答を得る。この気付きと、軌道修正の柔軟さはとても印象的で心に残る。

実は、この本を読む前に「戦艦大和の最後」(吉田満著)を読んだのだが、そのあとがきにこんな一節がある。
海軍の人間にはどんな雑兵に至るまで今も共通の面差しが残っている。海軍士官はシレッとした動作が身につくよう心がけた。しかし今度の戦争で、その開始から終局まで陸軍を中心とする無思慮と蛮勇に海軍が押切られる場面が多かったのは、シレッとし過ぎた結果ともいえるのではないか。いつの頃か、ネーヴィーの伝統に一種のエリート意識、みずからの手を汚すことを潔しとせぬ貴族趣味が加わり、受け入れ難い相手とトコトンまで争わずに、自分の主張、確信だけを出して事を決着する正念場から身を引くという通弊が生まれた。(「海軍という世界」『勝海舟全集』第十六巻月報より 司馬遼太郎)
ドキッとする人も多いのではないか。元々優秀で資質のある人間でも、環境によっては身を労する事をサボってしまう。自分の回りのみ身綺麗にして、やり過ごそうとする姿勢は、現代人にも、否、分業化が行く所まで進んでしまった現代だからこそ、この藤本のエピソードに、何らかの内省を感ぜずにはいられない。


生きたビジョン
鐵造は、神戸商業高校(現神戸大学)に学んだ時に、後の社是とも言える幾つかのビジョンを示す言葉に出会う。組織の長たるもの「ビジョン」無しには夜も日も明けないのが、昨今の常識だか、以下に挙げるものは、誰にもわかりやすく、且つ「お!それに自分も乗りたい」と思わせる魅力がある。ビジョンの有るべき本質を捉えていてとても秀逸に感じる。

●士魂商才
鐵造が創業時に恩師からもらった言葉で「武士のこころをもって、商いせよ」という意味。武士と商人という江戸時代の身分制度の一番上と下という組み合わせが妙だが、この相入れない役割の全く違う二つを成り立たせる為には自ずと考え続けなければならない。考え続ける体質を持った組織は強い。

●黄金の奴隷たる勿れ
神戸商業高校の学生達の間で言い交わされた言葉。第一次大戦の戦勝景気で出現した「成金」が同校で演説した時に「所詮、金儲けや!」と言い放った事に学生達は若者らしく反発してこう語り合う。若き日の「青臭い理想」はやはり大事だ。鐵造が先頭に立って喧嘩を仕掛ける時に常にこれが行動指針になっているのが、よくわかる。

●大地域小売業
中間搾取を出来るだけ抜いて生産者と消費者を繋げる流通の在り方。当時、工業化の躍進に伴って消費者が購買力を付け、需要がどんどん増して、これまでの流通方法では供給が追いつかなくなって来ていた。その時代の趨勢を読んで、創業当時から目指した商いの在り方。このアイデアの筋目の良さに真っ先に気が付いたのは、鐵造の創業時に資金援助をした日田という人物。この人が寄せた鐵造への信頼が後の国岡商店を作ったと言っても過言では無く、結局「人育て」は世代を越えるレンジで考えなければならない事がよくわかる。

鐵造の姿勢は、徹頭徹尾「店員達の能力を信じ、自らの行いが天に恥じる所は無いか常に見つめ、本当に解は無いのか考え抜く」事に貫かれている。トップとしての仕事
大勢におもねらず敢然と喧嘩を仕掛け、向かうべきビションを常に示す。
をする姿勢は、この闘将の元だったら奮い立って働くだろうと、各エピソードは物語る。

タイムカードも、労働組合も、定年も無く(注:現在の出光には有るらしい)それを知った官僚が「こんな宗教じみた会社上手く行くはずが無い。」といぶかる社風であるが、一度社員達の働きと、鐵造の寄せる信頼に触れると「これぞ!」と惚れ込んでしまう。
Amazonの書評に「今度から出光のカードを作る!」と書いている人があったが、機会があれば私も出光を選びそうだ。百田氏は
「この忘れられていた真実を小説に書いて、今の日本人に何かを思い出してもらいたい。」
と語る。どの会社にも「創業の理念」があり、それは「金儲け」ばかりで無い何かがあったのでは無いか、、、。
自分の足元からもう一度見つめたいと思わせる、味わい深い作品だ。

【追記】
少し出光興産の事をネットで調べたら、バブル期に「2兆円クラブ」(有利子負債額)という、ありがたく無いあだ名がついていたそうだ。日産、ダイエー、出光で構成された、このクラブから他社や政府の資金援助を受けずに、自力で脱出出来たのは出光のみと言う。偉大な創始者亡き後の、企業の危機と再生にも非常に興味がある。(皆さんAppleを思い浮かべるのでは?)機会があれば読んでみようか。

出光興産の自己革新

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