オランダからの客人と週一回ミーティングをする機会があった。折角のご縁なのだから、彼の国はどんな国なのか、最低でも基礎知識を入れておこうと大慌てで「オランダ紀行」を読む。
オランダへは旅行で一度行った事がある。両親がベルギーのアントワープに三年程住んでいた時に、隣国へ気軽に遊びに行く感覚でアムステルダムを訪れた。ベネルクス三国と言われているけれど、国境を越えると両国の違いがすぐに判る。まず、道路の舗装レベルがオランダは格段にいい。
「ベルギーは貧しいからね。インフラに手が回らないんだよ。走っていてすぐに判る。」
と父が話していた。もう15年以上前の話で通貨統合前だから、今はどうか判らない。スキーポール空港はヨーロッパでも一番立派な空港だとも言われていた。小国ながらいろいろ立派だけど、料理には無頓着でベルギーの方が何を食べても美味しく、フランス系ラテン文化の薫りがした。オランダはどちらかと言うとイギリスに通ずる所が強く(アントワープの前にロンドンにも両親は赴任していたので)今回「オランダ紀行」を読んでその理由が少し判った。
最強国の条件(A・チェア著)
オランダ紀行を読みながら、「この内容どこかで読んだな。」と既読感を覚えた。暫くわからなかったが、やっと去年読んだ「最強国の条件」(A・チェア著)の中にオランダが取り上げられていた事を思い出す。この著書は、以前輿那覇先生に薦められた本で、古代ペルシャ帝国から現代のアメリカ、果ては、最近注目の中国、インドまでを「最強国になった要因」と言う視点で読み解いている面白い著書だった。
チェア女史は「最強国(HighPower)」をこう定義している。
「最強国」は単なる帝国や超大国よりも「珍しい」存在で、軍事的経済的な優位が突出しているあまり、世界を事実上支配するにいたった社会、国家のことである。(本文p3)そして、歴史上の最強国に見られる法則性を
最強国が世界支配にいたる上昇過程では「多元主義的」且つ「寛容」で、それが衰退期に入る時は 「不寛容」「排外主義」宗教的、民族的に「純粋さ」を求め出す時に始まっている。と説いている。アメリカの著書らしく、冒頭数ページでズバリ要点を書いてしまっている所が、何とも明快だが、各章は便覧的だけれど世界史を「国家の成り立ち」という点で俯瞰するのには非常に面白い。
- 古代ペルシャ帝国
- ローマ帝国
- 唐
- 大モンゴル帝国
- 中世スペイン
- オスマン帝国
- ムガール帝国
- 大英帝国
- アメリカ
- ナチス・ドイツ
- 大日本帝国
- 現代の中国、インド、EU
不利な条件からアイデア一つで成り上がった国
ここからは「最強国の条件」と「オランダ紀行」両方で読んだ事を織り交ぜながら、私なりの感想を。。
チェア女史も、司馬さんも、オランダが17世紀に「輝けるグローバル帝国」になり得たのは、「宗教/民族に対する一切の差別をしない=寛容政策」によるものだとしている。
低湿地帯で地理的に恵まれたとは言えないこの地域は、各地が「公国」単位で割拠し、沿岸部は海洋民族として生きていた。「海の乞食(ゴイセン)」と呼ばれていた彼等は、直接自分達が食べられる「農」では無く、何かに「付加価値」を付けて売って利益を得る「商」に生きなければならなかったとしている。司馬さんはよく
「商売とは、物の「量」と「質」を正確にはかることだ。」と語る。そうでなければ商売は出来無いと。
17世紀は「宗教改革」の嵐が吹き荒れ、血で血を洗う争いに明け暮れ、その先頭に立ったのがスペインであるが、オランダは80年かけて、このスペインからの独立を勝ち取り、宗教や民族の違いから迫害を受けた人々(ユダヤ教やプロテスタント)が資本と技術を持って次々とオランダにやって来た。この起業心溢れる「資本とアイデア」とそれを支える「労働力(プロテスタント)」が僅か数十年にして「近代市民国家の小サンプル」を作ったと言えるらしい。
「自由」商売重視になれば、当然「拝金主義」にもなるし、汚職、賄賂が頻発し「まず『官』が腐った」とも司馬さんは表現する。有名な「チューリップバブル」も世界で初めて金融システムが出来上がったオランダでの出来事だったし、「オランダ東インド会社(VOC)」は世界初の「株式会社」だった事は有名で、鎖国していた江戸期の日本と取引をしていたのが、このオランダ東インド会社である事を考えると、当時のオランダの「商魂逞しさ」を窺い知る事が出来る。
というのは、後世の東洋人が恍惚となるほどには、高邁なものではなかった。ただひたすらに実利的だった。
十六世紀末、この国の市民達が懸命にもがいて領有国のスペインから独立したのも、自由のためだった。どんな思想をもってもよく、何を信仰してもいい、という社会でなければ生きられないし、商売もできないし、はるかな遠洋にも出てゆけないのである。
たとえば、カトリックならば船上に神父がいないと死ぬ場合に天国にもゆけなくなるが、プロテスタントならば聖書一冊あればいい。
「なぜオランダは繁栄したか、それは、自由があったからだ」
とこの繁栄の時代(十七世紀)に生きたスピノザが痛切に言っているのである。(「オランダ紀行」p89)
「オランダのビジネスモデル」をそっくり継承したイギリス
チェア女史は、短時間で勃興したオランダが「名誉革命」を契機に、そっくりイギリスに移ってしまったと指摘する。
野心家だったオランダの執政官ウィレムが、従姉妹でイギリスの王位継承権を持つメアリー・スチュワートと結婚し、イギリス議会を味方につけて自分がイギリス王になってしまった(名誉革命/無血革命)時点で、オランダにあった一切(寛容政策、資本、有能な人材、ビジネスモデルetc)をイギリスはそっくり恩恵として受け取ったのだという。
チェア女史は、オランダの章の最後に鋭い指摘をしている。
イギリスはオランダがついに解決出来無かった問題まで継承する事になる。オランダにとって、寛容さは主として内政問題だった。オランダの国境の中で実現した宗教的寛容さは特筆すべきものだったが、海外の通商基地における人種的・民族的寛容に繋がったわけではない。(中略)奴隷制、人種隔離、文化破壊と典型的な植民地支配を実行したのである。(中略)オランダ人はインドネシア人やセイロン人を、大オランダ帝国の忠実な臣民に作り変える事に一度たりとも成功しなかった。(そもそもそんなつもりも無かった)啓蒙主義の諸原則、白人中心主義、ローマ流の帝国建設という三つの、互いに異質な原則を組み合わせる努力は、次代の主役であるイギリス人が支払うことになるであろう。(「最強国の条件」p230)「台湾紀行」(司馬遼太郎著)を読んだ時、オランダが台湾南部に海運の為の基地を開いた記述があったが、その中でも
「宗主国としてその土地 に『何かをもたらそう』(例えばインフラとか)というつもりはまるでなく、自分らの都合優先で、取れるものだけその土地から吸い上げて(例えば資源や労働力)後は知らないとばかりに、海岸線に張り付く形の城で(ゼーランディア城)統治と言えないような統治をしていた、、、と表現していた。
美術史の中のオランダとゴッホ
「馬鈴薯を食べる人々」ゴッホ |
一応、画学生だったので美術史は詳しいつもりだが、美大の悪い所は「井の中の蛙」でそれが、当時の社会とどう関わったのかという解釈がいつもスッポリ抜け落ちている。
技法と流派とそれの時代が補足的に語られるだけで、その意味や意義までは思考を深めない。。。
司馬さんは作家デビューをする前の新聞記者時代に美術欄を担当していた時期があるそうだが「もっとありのままの絵画を楽しめば良かった。」と色々な所で後悔しておられる。でも、その圧倒的「下調べ」に依って立つ解説はもの凄く面白かった。
オランダが生んだレンブラントとアントワープを代表するルーベンスの違い(プロテスタントとカソリックの違いにも見える)もさる事ながら、ゴッホに関する文章はとっても秀逸でこんな解釈これまで読んだ事が無かった。
「存命中は評価されなかった孤高の画家、自分の耳を切り落とす狂気の狭間に生きた炎の画家」等と表現されるが、司馬さんは「ゴッホは狂人でも変人でも無い」と言う。死の直前まで弟テオと取り交わした往復書簡を読み込み、最後にこう書いている。
ゴッホは精神を絵画にした。期せずして、これまで自分が抱えて来た命題に、一つの見方を示してくれたように思った。そうか、写真機は大変な「イノベーション」だったんだ。。
このことそのものが、異様であった、
それ以前の、たとえば宗教絵画でいえば荘厳さとか神秘的光景、または聖母の慈愛、あるいは神にたいする敬虔といった心理的情景は絵画によって描写できた。それも、一種の『説明』だった。
そういう、『説明』からいえば、ゴッホはいわば無茶だった。かれは自分の精神を、絵画で表現しようとした。自己の皮膚を剥ぎ、自己そのものを画面にひろげてみせたのである。
半ば冗談で(むろん半ば本気で)いうと、ゴッホがもし十七世紀に生をうけていれば、とてもレンブラントのような画家にはなれなかったにちがいない。レンブラントの場合、対象を再表現するために --説明するために-- 稀代の写実力をもっていたのである。
ゴッホのころ、すでに写真機が出現していた。
画家たちは写実力の上で寝そべっているわけにはいかなくなり、ゴッホのように精神へ向うか、もしくは同世代のセザンヌ(1839〜1906)のように、自然がもつ形を抽象して(自然を円筒状、球状、円錐状に分析して)それらを絵画のなかで再結合させるか、どちらかしかなかった。(「オランダ紀行」p388)
「絵画」は今日では文学的な所に近いと思われがちだけれど、そもそもの成り立ちはもっと科学技術に近い技能だったのだ。(司馬遼太郎)この記述にもハッとする。ああ、やっぱり読書って面白い。
オランダからの客人と、こんな事をベースに話し合う事が出来そうだ、、(悲しいかな語学力が伴わないけれど。。。)
ゴッホの最後の絵と言われている「カラスの群れ飛ぶムギ畑」 |
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