2012年7月16日月曜日

アゴラ読書塾Part3 第1,2回「暴力、戦争、国家」 〜中国、日本、西欧諸国を比較して考えてみる〜

2012年1月から「日本人とはなにか」というテーマで始まったアゴラ読書塾は、7月からPart3に突入した。基本的に各回ごとにブログで感想をまとめて来たが、Part3の第一、二回はPart1と内容が重なる部分もあるので、私なりにひとつにまとめて、これまで共有して来た内容を振り返ってみたい。

世界史上中国はずっと先進国だった
読書塾でも、輿那覇先生の「中国化する日本」でも、たびたび言及されて来たが、世界史の中で中国は堂々たる先進文明国だった。 四大文明のうち1900年代まで専制君主国家が続いたのは中国だけである。
輿那覇先生や本郷先生(NHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証担当)ら大学レベルの歴史学では、
中国は「皇帝」と試験(科挙)によって選抜された「官僚」達が独占的に権力を握って統一国家を作って専制するが、それは世襲では無く、必ず一定周期でリセットされ、メンバー総入れ替えになる。運用する人が変わってもこの専制システムが便利なのでずっと継承されて来た。
と認識するのが常識らしい。戦後教育では「中国は近代化に送れた国家」とされがちだが、むしろ「たかが西の辺境国が騒いでいるだけではないか。」と誇り高く、近代化を見下していたふしもある。
清朝が倒れ混乱期の後、共産党の一党独裁の現在の形になってもその本質は変わらない。
「中国は経済の自由は大昔からあったけど、言論の自由は一度も無い!」
とは池田氏の端的な表現である。 上記リンク先の「気分は江戸時代」でも輿那覇先生は
国家のイデオロギーは「儒教」でいく!と早々と決めたけれど、それを下々まで徹底して教育するつもりは無く、いわば「勝手にしてていいよ、但し国家はあなた達を何も守らないけどね。」が伝統的中国スタイルだ。共産党政権になってから、なまじか「近代国家たるもの国民に教育を施さなければ。」とギューギューと共産主義を叩き込んだもんだから、かえって息苦しい国家になってしまった。(意訳)
と説く。この理屈を知って、長年の謎が一つ解けた。

90年に起きた共産圏の崩壊の際、天安門事件をリアルタイムで見ていた人は「中国もこれで民主化だろうな。」と思っただろう。私も絶対にこの流れのまま行くと思っていた。ところが、共産党は苛烈に運動家達を攻め立て、決してそのほころびを許さなかった。その後、鄧小平が「一国二制度 富めるものから先に富む」と説いて歩いたが
「本当かいな、、なにを白々しい。」
と思っていた。ところがである、、、現在の中国の隆盛を見れば、その全てが符合する。

「クアンシー」とも言われる「宗族」は出来るだけ遠くに身内(同じ一族であれは良い)を飛ばして何かあった時はそのツテを頼りに一族もろとも頼ろうという仕組み。
中国でビジネスをした事がある人ならば、少なからず「賄賂」とか「コネ」が無いと物事が進まない経験をしたのではなかろうか。それもこれも、大昔から「国家が仕組みを作ってくれる」などと、はなから期待せず信用もしていない「信じられるのは身内だけ。」という「宗族ネットワーク」がそのベースにあるからだ。
古代から大量の人口をどうやって「食わせるのか」が大きな課題だった中国はいろいろ試行錯誤の末「勝手にやっていいよ。(システム作るのは諦めました)」に落ちついたのだ。輿那覇先生もこう語る。
「自然発生的に出来た国家を、ほおっておけば中国的な仕組みになる。」


暴力を満身創痍でぶつけ合って来た西欧諸国
今回のPart3では
社会の土台には暴力があってそれをいかに統治するかで国家の枠組みが決まったのではないか
という、最近発表されている学説に注目している。(ダグラス・ノース)

先進国であった中国は200年に一度しか内乱を起こさない基本的に平和な国家であったが、西洋諸国は小さな都市国家が乱立し、常に「戦争をしっぱなし」の状態が500年続いた。
なぜ、そうなってしまったのか理由は諸説あるようだが、地政学的に見て人口を養える地域が偏在し、ユーラシア中央部から中国にかけての様な、大河流域に巨大な灌漑設備を作って都市を構築するのが難しかったからという説もある。この厳しい状況は「制度間競争」を生み
  • 相手を負かす為には強い国家でなければならない
  • 強い国家である為には強い経済でなければならない
という論法で、西洋の近代化が発展したというのだ。
第二回のお題本「「文明:西洋が覇権を取れた6つの真因」では、「遅れた辺境国」だった西欧諸国が中国を凌駕した要因を6つ挙げている。
  1. 競争
  2. 科学
  3. 所有権
  4. 医学
  5. 消費
  6. 労動
今回は一章の「競争」のみを取り上げたが、競争はさらに3つの利点を生んだ。
  • 軍事技術の改革(技術革新)
  • 国富の増加(戦費を賄う為に交易で巧みに稼ぐ)
  • 株式会社(金融システムの発展)
 そして最終的に「法治主義」が確立される。
日本人は「法治主事」を感覚的になかなか理解出来ない。お上が決めた決まり(法律)を下々が守ると思いがちだが、そうでは無く「国家権力」が法に従うというのが、正しい「法治主義」の理解だ。( by 池田信夫)

都市は固く鎧われ、常に殺戮が繰り返された。
このファーガスン説によれば、6つの真因が西洋文明の隆盛を支え、16世紀の大航海時代でユーラシア以外の地域を発見し、そこから無尽蔵に「リソース(資源や人)」を得ながら、20世紀にまで渡って、西欧文明が世界を席巻する原動力となったとしている。


どちらにも似ていない日本
最後に我らが日本であるが、梅棹忠夫も指摘するように、この文明の衝突とも言える大きな潮流の中で日本は独自の進化を遂げている。

地理的に中国大陸の近隣でありながら、そうちょくちょくと攻め込まれる距離では無く(ドーバーは人が泳いでも渡れるが、さすがに対馬海峡は泳げない)適当に気候が温暖で、沢山の河川が急峻な流れを作って、列島の随所に流れている。
大文明の中国から必要な物を多く輸入したが、「科挙」と「宦官」だけは輸入せず独自の統治システムを構築している。

水源が至る所にある国なので、食う為の共同体がローカルに発達した

読書塾で散々議論して来た事だが、日本では「場」に属する事が最も重要で、構成メンバーの属性はあまり細かく問わず「ローカル」の存続を守る事に重きを置いた。
これは、日本の地政学と関係がありそうだ。

急峻な河川はそれぞれに小さな集団(村)を成立させ「何とか頑張れば村中で食っていける」環境をもたらした。
原初では、非常に恵まれた環境とも思えるが、このお陰で日本人は「比較優位」という概念がなかなか理解出来ないと、池田氏も輿那覇先生も言う。
「こちらではこれだけを徹底して作り、向こうではあれだけを徹底して作って、お互い交換するのがベストでしょう。」という発想が根本に無い。(「気分は江戸時代」より)
この仕組みは、そっくりそのまま「日本陸軍」や「現代の会社組織」に移植されている。(陸軍の連隊は出身地方単位で組まれていた)
戦後の高度経済成長を支えたのは、安くて大量に溢れていた「団塊の世代」の労働力で、会社という「村」組織の中で一致団結して「細かな擦り合わせ技術」をお家芸に、80年代までの経済を席巻した。あの時代日本経済が強かったのは、このお家芸と産業の発達段階が見事に相性が良かったからだと、池田氏は説く(リンク先中央の図解参照)


以上、中国/西欧諸国/日本のそれぞれの性格を簡単にまとめてみたが、3つの関係をマトリクスにまとめるとこうなる。

読書塾Part1のまとめより

産業の発達段階と、その国家や文明圏が持つスタイルとは密接に関係しているんだという事が改めて理解出来る。
相変わらず、「これから先の日本はどうしたらいいんだろう?」という問いの答えは簡単には見つからないが、大きな歴史の流れを振り返って自分でも少しスッキリした。

次回は、「宗教を生み出す本能」に挑戦の予定。

1 コメント:

Porco さんのコメント...

いつも読ませていただいています。陸軍の連隊が出身地方単位で組まれていたのは欧米も同じです。日本が取り入れただけです。

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