読めば読む程、東條英機は誰の中にも居ると思う。 |
単行本の上下巻を一冊にまとめた文庫版なのでとても分厚いが、前々回の「地ひらく」(福田和也著)と同時代を、東條を中心に描いているので、昭和初期の重層で複雑な状況がよく判る。(今回の読書塾はボリュームの多い物が続くので、咀嚼力が鍛えられる!)
レポーターの阿部氏はいみじくも、東條の『作られた時代』『利用された時代』『捨てられた時代』」と表現した。
彼はまさに時代に翻弄されてしまった人物で、この浩瀚(こうかん)な書物はそれを浮かび上がらせている。
偉大な父を持つ息子
本書は、東條家の成り立ちから始まる。盛岡藩に請われて東北へ能楽師として赴いた東條英機の曾祖父の代から同家の苦悩は始まる。支援者である当主の失脚や、維新の煽りを受けて没落した家から、英機の父である英教(ひでのり)は活路を見いだそうと、18歳で単身東京へ出て来る。(明治6年)
当時出来たばかりの「陸軍教導団歩兵科」に入って、一軍曹から軍歴を積み上げた叩き上げの人である。
明治と言えば「薩長閥」の時代。賊軍側とされた東北藩出身者は栄達の道は厳しく、英教が学んだ教導団は「士官学校」や「兵学校・兵学寮」よりも低く見られていた。
後に創設される「陸大(高級指揮官養成目的の大学)」の第一期生に教導団出身者からたった1人選ばれ(陸大一期生は総勢14名)卒業時には「成績一番」、軍人としての能力が最優秀であると証明する「参謀職務適任証書」の第一号という輝かしい「不滅の金字塔」を手にした人物だった。
この英教が、山縣閥が牛耳る陸軍内で、順調に出世を重ねるのは難しかった。実力一つでのし上がった彼は、あろう事か山縣に面と向かって、陸軍の人材登用の長閥偏重傾向に苦言を呈して左遷人事の憂き目に合う。
それでも、英教の才能を愛する先達や後進もそれなりにいて、冷や飯を食いながら、そのルサンチマンを息子の英機に注ぎ込んだ。東條にとって、父は物心つく頃から眼前に立ちはだかる偉大な岩だったのだろう。
東條は、両親にとって三番目に生まれた男の子で、上二人の兄は一歳の誕生日を迎える前に夭折している。石原莞爾の時も思ったが、明治期の乳幼児の死亡率の高さには驚かされる。生まれた子どもの半数以上が5歳前に死んでしまう(出典:「歴史人口学で見た日本」清水融著)のだから、現代とは随分死生観が違うだろうと思う。山縣有朋の子ども達も、成人出来た娘が一人というのだから、親の貧富に関係無さそうだ。
父親が果たせなかった思い、夭折した兄達の代わり、その重たい想いを生真面目に受けて育った東条英機に、痛々しさを感じるのは私だけでは無いと思う。
学校ではそれほど成績優秀で無く、ただただ「暗記」する事で何とか期待に答えようと必死に努力した。同時代の石原莞爾が「楽勝」で通過していく痛快さと比べると、後に満州で「上官(東条英機)」「副官(石原莞爾)」という微妙な関係で、互いに蛇蝎の如く嫌い合うのもしかたないと思えて来る。
「努力の人」vs「天才肌」は古今東西「上手く行かない組み合わせ」の典型で、小さな組織の中でやり合っている分には、周囲に格好の「酒の肴」を提供して他愛も無いが、影響が大きくなると笑い事では済まされない。
そもそも、東條英機と日本の不幸は
「このような、努力型で定見の無い凡庸な人が、軍人になるしか道が無かった。」
というオプションの無さにある。
「凡人がトップに立ててしまう日本の制度設計の欠陥」
が本書の最も訴えたい事であり、今回の読書会のテーマでもあった。
もし仮に、東條英機が軍人にならなかったとしても「第二の東條」が同じようにトップに押し出されてしまったであろう。
日本的組織の構造は、そんな性格をはらんでいる。歴史はそれを教えてくれていて、単に「戦争は悲惨だから止めましょう。」と表面的な事をなぞっていては本質を理解出来ない。
「戦争から学べるものは、意思決定の在り方なのだ。」池田信夫氏の言葉は重い。
投げ出された権力の空白
東条英機は日米開戦時の首相であったが、彼は自発的に戦争を望み、権力の中枢にありたいと、のし上がったわけでは無かった。 言わば「たまたま」そこにハマってしまった感が強く、前政権の近衛文麿がもう少ししっかりと、国の舵取りをしていれば、、とか、陸軍のエース永田鉄山が惨殺されていなければ、、とか、数々の不運が重なった上に「危険な賭け」として「東條陸相を内閣総理大臣へ」というカードが切られた。
当時の大日本帝国憲法下では、総理大臣への指名は表向き天皇からの「大命」という形で下され、誰にすべきかは「明治の元勲(元老)」達の推挙によって決められて来た。
最後の元老、西園寺公望亡き後は、内大臣を務める人間が「何となく」その任に当たっている。そもそも「内大臣」は明治政府が発足した時に、功労者であった三条実美(お公家さん)の処遇に困って作られた「後付け的ポスト」で「天皇の相談役」という曖昧な役割だった。
それがいつしか「天皇への取り次ぎ」という性格を帯び、明文化された権限を持た無いのに、重要な役割を担って来る。
「東條の首相指名」に動いたのは、当時の内大臣木戸幸一(明治の元勲、木戸孝允の係累)が深く関与している。
東條は天皇への忠誠心が篤く彼が首相になれば、何かと「陸相現役制(陸軍大臣は現役武官が務めなければならない制度)」を盾に辞任をちらつかせて倒閣をほのめかす陸軍を牽制出来ると考えた。(昭和天皇はこの策を「虎穴に入らずんば虎児をえずだね。」と微妙な言い回しで誉める)木戸は終世「自分が考えて天皇に進言した。」と繰り返していたが、作者の保阪氏はこの証言の裏に「昭和天皇の強い関与」があったのだろうと推測している。 池田信夫氏も「昭和天皇独白録」は非常にはっきりと関係者への好悪が語られていて、面白いと語る。
理系で生真面目な昭和天皇は、これまた事細かに報告をし、数字を諳んじる東條の事を信頼していた節がある。それまでの、陸相はいい加減に言い繕ったり、前に報告した事と辻褄が合わなかったりで、天皇は陸軍に対し不信感を持っていたが「東條なれば」とやや期待していたのかも知れない。その期待を震える思いで受けた東條は、その後、目も当てられない振る舞いへと転げ落ちて行く。
そもそも「与えられた仕事を正確にこなす」だけが得意な人間が、自分の能力を越えた権力を無自覚に握ってしまうと恐ろしい。
憲兵隊を手足のように使い、自分への不満分子がどこに居るのか猜疑心の塊になって探し出し、片っ端から検挙したり左遷したり、潰してまわる人事を断行し始める。
物資の枯渇が目に見えているのに、無謀に始めた戦争を「精神論」「英霊に申し訳ない論」で、ただただ時間を空費して最悪な状況へと押し流してしまう。
戦争が上手く行かないのは「作戦本部の怠慢」と、果ては参謀総長まで自分が兼任すると言い、強引に通してしまう。1人が多くの役を兼任しだす組織は末期的だ。
酷いエピソードは枚挙にいとまがないが、結局周囲に不満が蔓延し「東條外し」が画策され、東條は辞任へと追い込まれる。
詳細に見て行くと、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニとは随分違う。確かに、最悪期は非人道的な独裁者の感も否めないが、「確固たる思想(一歩間違うと危険な)」があって行動しているというよりは、ねずみが袋に入り込んで「わけが分からなく」なっている印象が強い。それを周囲は判っていながら、誰も何も出来無くなる。東條の向こう側に透けて見えるのは
- 優秀な人材を潰しにかかる(主君押込)
- 小利口な人間は中心からすっと身を引く(強い中間集団)
- 中心あるいは頂点を「空」にしておいて、責任の所在を不明確にする
自分が受けて来た教育を振り返っても、この本質を学んだ記憶が無い。。。最も社会生活を営んだ事が無い学生時分に聞いても、実感を伴わないから、右から左へと忘れてしまっただろう。つくづく思うが、現役真っ最中に内省する事の大切さを最近強く感じる。
東条英機と石原莞爾の共通点
、、、などと言うものは無さそうに思うが、二人の伝記を読んで一つだけ、気になったのが、共に兵士に対する愛情の注ぎ方である。この場合、軍人として専門教育を受けた将校達では無く、徴兵された一般兵卒の事だ。
石原莞爾は晩年「兵は神だ」という深淵な言葉を残している。人の命を預かる将校は、これを心しなければならないと言いたかったようだ。
自分の連隊を持った時、微に入り細に入り、兵士の生活に心を配る姿は、東條にも見受けられる。最も、東條は石原ほど崇高な考えがある訳では無く、もっと素朴でプリミティブな感情に突き動かされていたようだ。
水と油ほどに違う二人が、共に心を砕いた「兵士=一般の人々」の存在はどんな意味があるのだろう。
二・二六を起こした青年将校達もそうであったが、日本人は「他者の感情」と「自分の感情」との隔てが薄皮一枚しか無い。
ヒリヒリと痛みや喜びを、センシィティブに感じ過ぎてしまうのは、この目まぐるしく変化する気候が育んだものなのだろうか?(山本七平曰く)
日本人は「いつものおなじみさん」が顔付き合わせて永く暮らして来たからか、 集団が大きくなり過ぎると、どうして良いのか判らず、結局「村の寄り合い」方式が通用する範囲に集団を小分けにして、それらが強い自律性を持ちはじめる。
この特性を理解しないと、どんな借り物のシステムを移植しようと思っても、結局根付かないのではないかと、最近気が付いた。
村落からこぼれ落ちてしまった労働力を、大正期の工業化が吸い込んで、安い大量の労働力として、戦中/戦後の復興期を支えた。(兵隊として、工場労働者として)
そこで使われたシステムは、軍隊でも工場でも、案外村落の共同体で育まれた意識とさほど代わりは無さそうだ。
そう思うと、最早「安い労働力」では海外の生産拠点に太刀打ち出来ない昨今、日本の産業構造はどうやって生まれ変わったらいいのか、改めて問題の難しさに立ちすくむ思いがする。
歴史のIF
「歴史に『もし』は許されない。」のだが、最後に少しだけ歴史の ifを夢想してみた。
東條英機がもし軍人にならなかったら、、、今ならさしずめ、メーカーの工場長だったろう。現にご子息は戦後、三菱重工業でYS11の設計プロジェクトを率いたエンジニアだ。緻密で手続き主義で、コツコツと精緻に積み上げる資質は、工業の世界でこそ遺憾無く発揮出来る。このタイプは、メーカーの「生産ライン設計管理」とか「品質保証管理」とかがぴったりで、間違っても総務や法令部門に行かない方が良いと思う。(総理大臣に座った時の東條の資質が出てしまい、社内は疲弊しまくり!!)
結局、戦争は回避出来なかったとしても、彼はもっと有意義な人生を送れたのではないかと思えてしまうのは、それだけ「東條英機」の中に我々自身を見いだしてしまうからだろう。
もう一つのifは、永田鉄山の暗殺が阻止出来たら、、だ。永田の事はまだよく勉強していないので、何とも言えないが、池田信夫氏も
「誰がどうみても次期陸軍大臣。」
と目された人物が、派閥抗争の末に惨殺されるというのは尋常では無い。
それだけ、時勢が不穏だった事を意味しているのだが、彼がどんな事を考え、存命だったらどう舵取りをしたのか、NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向ったのか」でも
「永田さんが生きていたら、あんな事にはならなかった。」
としみじみ証言者が語るのを聞くと、一時じっくり読んでみたいと思う。
さて次回は「高橋是清」
またまた、レポーターの役を仰せつかったので、大急ぎで読まなくては。経済音痴の私としては、どうしてもこの人は理解したい人なのである。来週を乞うご期待!
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