2012年4月21日土曜日

アゴラ読書塾Part2第3回「北一輝」渡辺京二著 〜早熟の思想家〜

病気で片目を失った隻眼の士だった
もう、、本当に難しいお題本だった。読み易いのは出だしの序章のみ。修辞が多くて苦戦した。(読書会の皆さんもそうだったらしい。)

「北一輝(きたいっき)」と聞いて「誰でも知っている」と、、なかなか言いがたい。私も知ったのはつい数年前である。

二・二六事件を起こした青年将校達のイデオローグ(思想の論理的指導者)であるとして処刑されてしまった人物だ。

もちろん、歴史の授業で習った事は無いし、映画「226」(1989)ではキャスティングすらされていない。ここ最近、殆ど映像化された事の無い人物だと思う(wikipadiaによると60〜70年代の映画では取り上げられている。)
しかし、池田先生は「福沢諭吉に匹敵する非常に重要な思想家である」としている。
本書を読んでも、未消化な部分が多く、細部までキチンと理解していない事をお断りした上で、読書会の感想をいくつか述べたい。

青年将校達を魅了した「天皇親政」と北一輝の「国家有機体説」
二・二六事件(1936)は、政争を繰り返して「何も決まらない」政党政治(※1)への苛立ちと、「君側の奸(くんそくのかん)打つべし!」(※2)という主張(昭和維新)を掲げた皇道派の将校(※3)が「天皇親政(天皇が直接政治をとる)」を求めた結果の、軍事クーデター未遂事件である。 
※1 世界恐慌による経済の悪化、農村の疲弊、不安定化した国際社会への対応が遅れた。
※2 天皇の側近達が、天皇を外界と遮断して道を誤らせているとして責める時の標語。
※3 農村出身の兵士達を直接指揮する部隊付き将校が多かったとされる。

ところが、この「北一輝」を読むと、北は「天皇親政」とは言っていない。
この点が非常に危うくアクロバティックな理論構築で、どうやら、青年将校達も内容をキチンと理解しないで、自分達が望んでいる「天皇親政」に近い考えと思い込んでしまったのだろう、、と、著者も池田先生も言う。
そして、それをわざわざ訂正するのでは無く、利用して最終的に目指すところへの「足がかり」にしようとするところが
「北一輝の天才的資質であり、リアリストなところだ。」
というのが、北を正しく理解するポイントらしい。

北一輝が何を目指そうとしていたのか、非常に難解で一口に言うのは難しいが、最終的には「国家社会主義」を目指したと理解出来る。
明治維新を「社会主義革命の道半ば」と規定し、これから最終的な「第二革命」が起きると考えた所に一番の特徴がある。そして最後には「国家有機体論」へつながるのだろうが、、これは、どうみても「天皇親政」には思え無い。。。簡単に図式化してみた。(下図)


北に言わせれば、最終的には天皇ですら「国家」というものの下に位置し、国民(彼は「基層民」と言った)も同じく国家の下にぶら下がる形になるらしい。。
「個が矛盾無く共同的関係にある。」なんて、何だか良さそうな言葉の響きだが、具体的にどんな状態なのだ?と思うと、なかなか理解しがたい。
「今の日本で『維新だ革命だ』と言っても、この当時程にはピンと来ないだろう。社会主義的な考えに人々が傾倒してゆく背景に、『貧困/貧富の格差』という要因を考える事は欠かせない。」
という見解は先日の読書会で一致していた。

知的権威の集まる所
池田先生がしみじみと言う。
「いつも思うのだが、『この人達にはかなわない!』という知的権威が集まる所、その集団がどこに居るのかで、国の在り方と方向性が決まり、世の中を動かすのだと思う。戦前は、それが圧倒的に『軍』に集中していた。」
これから予定している「石原莞爾」あたりはその代表だし、非業の死を遂げた「永田鉄山」もこの「図抜けたエリート」なのだろう。そして、次の見解もうなずける。
「革命初期は、過激で人々を煽る言動を吐ける一流のインテリが出て来るが、はずみが付いて回りだした中期になると『空気の読める凡庸な』牽引者が取って代わってしまう。。」
多分、このパターンはいろいろな所で繰り返されていそうだ。
確かに、石原莞爾は満州事変(1931)では「やりたい放題の問題児」なのに、その後、主張の対立から次第に中央から外されてしまう。もし、永田が相沢事件(1935)で惨殺されなければ、東条が首相になる事も無かった、、と思うと、あの戦争はもっと違う結果になっていたのではと、ついつい考えてしまう。

辛亥革命と大陸浪人
本書では、北一輝が中国の革命運動に13年もの歳月を費やした事も書かれている。熊本出身の宮崎滔天(※4)らと組んで、大陸に革命を起こそうとしている孫文の支援活動に関与している。
※4 元は自由民権派。著者の渡辺氏は「西郷隆盛の意志を継ぐ西郷党の申し子」と表現している。

折しも、昨年は辛亥革命から100年で、ジャッキー・チェン監督の映画「1911」が公開されていた。(観に行けば良かった!)それに関連して、NHKでも「辛亥革命」関連番組が放映されていて、なかなか勉強になった。
あの時代「大陸浪人」と呼ばれた人々が隣国の革命運動に随分関与していたらしい。(私財を投げ打ってバックアップするとか)
「『大陸と連帯して西洋文明に対抗する!』という割と素朴な主張の滔天達に、怜悧な北が心底共感したとは考えがたいが、いずれ自分達も経験するであろう社会革命と、イメージを重ね合わせて、ケーススタディとしようとしたのかも知れない。」と著者は解釈している。(原文はかなり難しいので意訳)
しかし、そんな北も共闘しようとしていた大陸の仲間の子どもを養子として引き取り育てている。(北大輝)
この頃の歴史を考える時、中国と日本の関係を全く語らずに理解するのは難しい。その割に切れ切れにしか自分は知らないなと改めて思う。

「魔王」ぶりの北一輝
後に北と袂を分かった大川周明(思想家)は北の事をこう書いていた。
「是非善悪の物さしなどは、母親の胎内に置き去りにしてきたやう」
手段を選ばぬ生活費の調達ぶりや、説得の為には口から出放題に弁舌を弄する「魔王ぶり」にこのままでは、自分が仏(ほとけ)と対する魔物になってしまうと感じたからだそうだ。しかし、そう言った上で
「別離の根本理由は簡単明瞭である。それは当時の私が北君の体現していた宗教的境地に到達していなかったからである。」
この「宗教的境地」の意味を少し説明すると、北は晩年(処刑されたのは54歳!)
革命は人為的に起こるのでは無く「天測:天のはからい」によってやって来る。到来した時には、少数の革命家集団が、その前髪を誤たず掴まねばならない。
と考えていた事に由来するらしい。なので、組織を作る事にも殆ど熱心で無く、「党思考」の強かった大川とは合わなかった。著者の渡辺氏は
「北は、資本家から金を引き出す時に、恐喝まがいの行動をシャアシャアとしているが、私事を革命事業と関連させて粉飾するような意識からは見事に切り離されていた。(逆に大川は芸者をはべらせながら「十月事件」の謀議をこらすなど、私事を公的に粉飾(『芸者は革命の必要経費』)しなければ気のすまないレベルだ。)」(意訳)
としている。この視点の鋭さは凄い。そして
「北は革命を売ったからだめなのではない。彼の一度も売らなかった革命が彼の「大義」であったからだめなのである。「大義」はニヒリズムを要求する。「権略(その場に応じた策略)」を要求する。「忍辱の鎧」を着る自己犠牲的な革命の行者は、同時に人間をいつでも踏みにじる覚悟のある「魔王」でなければならぬ。「大義」としての革命はかならずこのようなニヒリズムを内包する。この論理の必然のおそろしさを知らぬ戦後進歩主義の極楽とんぼたちだけが、自分はそのわなを抜けられるとおめでたくも過信するのだ。北は「大義」のとらわれびとであった。(文中注は筆者)
との一文を読んで、北が刑死を受け入れた訳がわかったような気がした。この事を理解するにはかなり骨のいることである。

北一輝が先取っていたもの
難解な著作なのだが、ハッとする内容が所々に書かれてなかなかに考えさせられる。
23歳の時(1906 明治39年)に書き上げた「国体論及び純正社会主義」の中で、民主主義革命の中身をこう規定している。
  • 25歳以上の男子普通選挙権
  • 8時間労働制
  • 婦人労働の平等
  • 幼年労働の禁止
  • 孤児・扶養者を欠く老人・身体障がい者の国家扶養
  • 義務教育の10年への延長
  • 生徒への教科書・昼食の無償給付
  • 遺産均等相続  等々
これは、戦後民主主義改革の殆ど全ての項目を先取りしていると著者は言うし、池田先生は、戦後の官僚達にもその考えは継承されていると言う。(北一派の岸信介がその代表)
ただし、女性参政権だけは認めておらず、その理由に
「政治なぞは人生の活動における小さい一部分でしかない。」(であるから、女性が口舌闘争を習慣にしてしまうと、その天性に害を与えてしまう。その天分を家庭と、芸術、教育、学問などの社会的分野で発揮した方がいい、、、という一種の女性崇拝感。)(意訳)
としていたらしい。著者もこんな一言が吐ける所に、北が他の革命イデオローグと一線を画しているとやや評価している。

本当に捉えがたい人物であるし、今でもよくわからないと感じているが、少なくともこれだけ骨太の文章を読むと、何でも物事を簡単に考え、読み易く、判り易いファーストフードな情報に走りがちだった最近の自分の軟弱さを改めて痛感している。(とにかく漢文調はもう外国語なみにわからん!で玄米ご飯を食べてるよう。。)
 アゴラ読書塾は、脳の負荷トレーニングとしては最高レベルではなかろうか。

さて、来週は「山県有朋」(出ました!)本の帯コピーが振るってる。
「不人気なのに権力を保ち続けた、その秘訣とは?」
楽しみである。

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