2012年4月7日土曜日

アゴラ読書塾Part2第1回「現代語訳:福翁自伝」福沢諭吉(斎藤孝:編訳)

噂のSkype。初めて使ってみて技術を実感。
「読書塾Part2は無理なので、、おしんは教室の外で、、。」
などと、未練たらしいブログを書いていたら、特別に遠隔授業の措置をアゴラ塾が取って下さった!春の「お別れ」シーズンなので遠隔地へ転勤しなければならないメンバーもあり、離れた場所からでも、東京開催の読書塾を受講出来たら、、という声に答えてくれたのだ。

東京の会場でカメラや接続のセッティングをして下さったメンバーには本当に頭が下がる。ニコ生やUstream等、個人がどんどんブロードキャストする時代になっているが、小さなグループ単位で時間を共有し合う事を、実際に体験出来たのは非常に大きい。

今日のエントリーは、そんな新しい体験も含めて感想を書いてみたい。

一万円札のご仁は破天荒な日本初の流行作家
「日本人とは何か」を人物から探るPart2。第1回目は誰もが知ってる「福沢諭吉」---。
最晩年に書かれた、口語体の自伝を「日本語であそぼ」で有名な斎藤孝先生が、現代語に訳してくれている。これは本当に読み易くて、あっという間に読めてしまった。

痛快な青春活劇で、これまで勝手にイメージしていた「福沢諭吉像」が少し変わった感じだ。慶応義塾の創立者で、もっとスノッブな人なのかと思っていたが、さにあらず。
「こだわり(価値観)」からものごとを峻別するのでは無く、あくまで自分が見聞きし、感じた事を徹底的に学ぶ「旺盛な意欲」に依って立つ人物だったと判る。
池田先生は
「これが、慶応義塾が追求している『実証主義』なのだ。」
と言う。価値観に惑溺(わくでき:ある事に夢中になり本心を奪われること)し、自分で自分の身を縛る危うさを、当時誰よりも切実に感じていた人物なのだ。

歴史の授業で必ず習う「学問のススメ」は何と300万部を売る大ベストセラーだった。推定総人口3400万人程度の当時で、この売れ方は確かに凄い!(約10人に1人が読んだ勘定)
 幕末動乱期に、外国語の能力を買われ、幕府外国方(外務省)に雇われるが、瓦解の現場に居合わせる事になって、本書に無いエピソードを読んだ事がある。
若い福沢諭吉が外国方として江戸城の詰め所に登城していた時、新政府軍が「明日にも江戸に攻め入ろうか」と思われる情勢になった。 開明派が多い外国方においても、一同意気消沈する愁嘆場なのだが、そんな中「いつ江戸城は攻め込まれますか?判ったら早く知らせて欲しい。(自分はさっさと逃げるつもりなので)」と、福沢諭吉は言ってのけたらしい。
今風に言えば「空気を全く読まない男」だ。当時の価値基準からは、大きく逸脱した、異能の人物だった事がよくわかる。

大阪が育んだ「商人魂」
ずっと、福沢諭吉について疑問に思っていた事がある。
「なぜ、こんなに有名なのか。」
という事だ。
明治初年と言えば「政治の時代」だと思っていて、表舞台に立つのは権力の座に居た人々なのに、福沢諭吉はどうしてここまで有名なのだろうか。未だ一万円札に顔を刷られ続けている。。。

昨夜の読書塾では、池田先生は敬愛を込めて
「日本初の『売文業』を成り立たせた人物である。」
と語る。 大久保利道から新政府への招聘の話が来ても断ったりして、何だかカッコイイのだが、
「やはり、幕臣だった事から佐幕派と思われ、薩長から疎まれていたのだろう。この自伝も全て鵜呑みにするのは、まあね、、。」
と、大人な解釈だ。生涯、権力の中枢へは着かないものの、強い影響力を及ぼせたのは
「ビジネスとして、売文業や私学塾を成り立たせた手腕。」
に、大きな要因がありそうである。昨夜の会場からも「大阪で育った」点が指摘され、なかなか目の付け所が良いと思う。
大阪育ちの司馬遼太郎さんは、
「街を歩いても殆ど侍に出会わない大阪(人口に占める侍の割合が極端に低い)と、諸藩の藩邸がひしめき合い、侍(知識階層)の要求を満たす為に形成された街(江戸)とでは、自ずと気風が違って来る。」
とよく語る。
殿様は「コスト度外視のクオリティ」を求め、職人達はそれに答える為に技を磨くから、技術の醸成が進む。一方、物流のメッカだった大阪では「商売の機微」が共有され「なんぼのもん」という意識が高いのだろう。

今回の「福翁自伝」でも若い時から、ギリギリの所できちんと収支勘定をしているエピソードがあったりして「さすがだな。」と思う。得意の翻訳で少しでもレートの良いアルバイトはどれか、、という情報に敏感に反応したり、「金儲けは卑しい。」という固定観念にも縛られていない。
慶応義塾が、日本で初めて「授業料」というものを取り、ビジネスとしてきちんと成功しているのは、この「商人魂」が創立当初からきっちりDNAに埋め込まれているからかも知れない。

目的無しの勉強--好奇心がモチベーションのエンジン
本書を読んで、一番印象に残ったのが「目的なしの勉強」という一節だ。
これをやったら将来何になるとか、メリットがあるとか、そんな事を考えずに、無鉄砲に学びたい事を、競い合うように学び倒した「適塾(緒方洪庵の塾)」時代を称して、語っているのだが、この姿勢がとても強く印象に残って新鮮だった。
 そしてこの「旺盛な好奇心」と「きっちり収支を考える商人魂」が幸運な出会いをしたのが福沢諭吉なのかなとおぼろげに思う。
 池田先生も
「こんなに異能の人が、きちんと認められた生涯を送れるとは、世界的に見ても珍しい。かのマルクスは亡くなった時に11人しか参列者が来なかった。」
とその特異さを指摘する。

適塾は本来「お医者さん(緒方洪庵)」が主宰した私塾で、解剖やら薬品実験やら、理数系の事もよく学んでいるのだが、福沢諭吉が「経済」や「社会統治システム」の方に関心を寄せていった事を思うと、今のように「○○系」と学びの分野を細かく分けていない、黎明期ならではの豪快さが育んだ才能なのだと思う。

この事から現代に目を転じると、学問が密に積上った結果の「細分化」の淋しさを、私は少し感じる。専門領域が深く先鋭化してしまうと、どうしても「共感/認識出来るメンバー」が少なく限られてしまう傾向があって、「いつものお仲間」になってしまうのはどの分野でも同じでは無いだろうか。。

不可能だと諦めない淡々としたしぶとさ
今回、遠隔授業を体験してみて、これまでの固定観念がかなり破られた感じである。知識としては「テレビ会議」とか「テレワーク」とか、知ってもいたし、実現する技術がある事も判っていたが、リアルに顔を合わせて話し合う以上の役割が果たせるのかと、やや懐疑的でもあった。それに日本の会社はとても臆病で
  • セキュリティ面で心配がある
  • 勤務状態を管理出来ない
  • チームワークが醸成出来ない
等々、出来無い理由を沢山並べて一向に踏み出そうという気配が無い。
子どもが小さくて病気ばかりする冬場は、自宅で仕事をすれば「みなし出勤」にならないかと夢見たりもしたが、家に居たら居たで、ON/OFFの気持ちを切り替えるのが難しく「外に出てしまった方が簡単にスイッチ切り替えが出来る。」のも確かだ。
でも、やらざる終えない状況に追い込まれたら、変わる部分が絶対にあるんだと認識出来たのはとても収穫だった。

こども達は、慌ててSkypeの支度をする私の様子を不思議に思い、何をしてるのかとしきりに尋ねた。事情を説明すれば理解する年齢になっているし、そのうちもっと大きくなったら、彼等にとって、場所や時間が特定されないのは当たり前になっているかも知れない。

そう思と、ますます情報を伝達する時のオプションを多く身につける事がとても重要なのだとつくづく感じた。

今回はパート1の読書塾を受けていたので、塾のメンバーを知っていたし、雰囲気も判るから、割と気持ちの敷居が低く「やってみよう」と思えた。
ただ、これが全く知らない人々相手に踏み切れるかと言うと、今の私には判らない。(特に、日本人はネットでは触れ幅が大き過ぎて。。。あちこち傷付ける事例が目立ってますからね、、、)

だが、言葉を磨き、言葉を補完する情報(画像/映像/音声)をどう組み合わせると効果的に伝わるか、その能力を日々磨く集団がきっと現れて来るように思う。

「一度も顔を合わせた事は無いけれど、大仕事をやってのけた。」
という事例がそのうち多発するだろう。たぶん「アラブの春」はその先駆けかもしれないし、彼等が駆使したネット技術はもうかなりの所まで来ている。

「リアル」と「ネット」の両方を上手にハイブリットする集団が、出て来ていると改めて自覚した出来事だった。

さて、次週は夏目漱石の「こころ」。
大変な事に、遠隔からレポートを志願する事に。漱石はとても気になる人だったので、どんな考察が飛び出すか、やっぱり楽しみである。

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