「自分が少女のつもりで、下記の二人の男子のうち、どちらを自分達の仲間にしたいと思いますか?(心の距離が近いでも可)」
N君
- 自分が一番「格好いい」と見えるスタイルを知っている。(常に制服をカスタマイズし細かく丈やラインを直す)
- 国語が意外に得意。韻を踏んだ詩とかサラサラ書いてしまう。
- 喧嘩は下手。スポーツも一見上手そうに見えて、オフェンスもデォフェンスも今一つ上手く無い。
- 何よりも「情」を重んじ、青臭い事をこっそり信条にしている。
K君
- 自分が所属するスポーツチームのBクラスが下位クラスへ転落の危機。自身はAクラスだけど、志願してBクラスに降格して立て直しに奔走する。
- 高尚な趣味は無い。服装もあまり構わない。
- 人の懐にスルリと入り込む器用さがあって、いつの間にか周囲は協力してしまう。
- 「○○なんだろう?」と人の気持ちを見透かしてズバリ言い当ててしまう。
、、、あまり上手く例えられなかったかな。これ私なりに
N君→乃木希典
K君→児玉源太郎
を噛み砕いて表現したつもりなんです。というのも、この文藝春秋に
乃木希典の「詩人力」
対談:茂木健一郎 X 鹿島茂(仏文学者)
という対談があって、「無能」と言われた乃木さんの違う側面「漢詩が抜群に上手い詩人としての資質」に関して語っています。この中で
乃木さんは女性票が集まりそうだ。と、茂木さんと鹿島さんは語ります。。曰く、
女性は「直感で好き嫌い」が判断出来(これは確かに!異存ありません)自分達の仲間に入れるか否かで判断する。最近の日本は有能である事を求め過ぎていて、この理屈では無い「女性的感じ方における価値」にもっと重きを置くべきでは無いか。
とういう物なのですが、、途中まで、ほうほう!と読んでいたけれど結論に「コケ!」
、、、どうでしょう?私だったら、シンパシーを感じるのは、N君よりも断然K君の児玉源太郎君です。対談しているお二人は重要な事を忘れている。
乃木大将は軍神と崇められ、神社まである大変な「時代のアイコン」でした。一方、児玉源太郎は司馬さんが「坂の上の雲」で取り上げるまで、歴史に忘れられた人物。(早死にしてしまうし神社も無いし。)
乃木さんは、女性が放っておかないのでは無く、「男性が放っておけない」人だと私は思うのです。現に、坂の上ではこの「愚直で不器用でストイック」な乃木を児玉は放っておけません。乃木のメンツが潰れないよう腐心して、203高地を奪取した後の、凱旋視察には自分は加わらず、最後の花を友に持たせるのです。
。。。私は少し「衆道的」なものを感じます。(実際にそんな関係じゃないとしても)
女性なら(少なくとも私は)児玉の方にずっと、男らしさとシンパシーを感じます。直感の人々(仮にここでは女性陣としましょう)は直感力の優れた人を見ると、しかもそれが自分達とは違うグループに所属する人に対しては、鋭い嗅覚を持っています。そしてN君タイプにも違う意味で嗅覚が働きます。賢い女性ならN君には近づかない。ストイックに生きる人生に巻き込まれたら、自分の人生も棒に振ると野性の感で知っています。
ああ、茂木さんも鹿島さんも男性だなぁ。。。常に「戦闘態勢」を運命付けられている性別にとって、乃木的「間抜けながらも貫く人生」に、強く強く憧れる。実は身近にそんな例を多く見ているので、凄く判るなぁと思います。破滅的結果に向うと判っているのに「貫きたい」人って多いですからね。
(乃木さんが若い頃、花柳界に入りびたりだった事実がお二人の判断を曇らせたんでしょう、いくら花街で遊んでもそれがイコール女性にモテるとは限らない、、、)
司馬さんが、主人公を魅力的に描けるのは、女性が男性のどこに惚れるのか、よ〜〜〜く判っているからって事を、意外に男性は気が付かないのかも知れません。
そして、同じ本に載っている磯田先生の「私論 乃木希典」は本当に面白い!先生には是非深く掘り下げて頂きたいものです。(この件に関してはいずれ別に)
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