2011年9月7日水曜日

学童クラブの閉鎖

上の子二人がお世話になった学童保育が今年度一杯で閉鎖される事になった。開設は昭和30年代の高度成長期からで、目玉は、保育園に併設されている点。当時、保護者から強い要望があって保育園の先々代園長が、開園に踏み切ったそうだ。(今でもこんな例は稀ではないだろうか。)恐らく、親子でお世話になったケースもあったろう。

閉鎖の直接の原因は、今年度から近所に近接して開園した学童クラブに、多くの子ども達が移ってしまったからだ。運営が成り立つ定員を大きく割り込んで、このままでは厳しいと判断したそうだ。

我が家の場合、長女は小三の夏休みまで、長男は小二の春で卒業してしまって、今、丁度縁が切れてしまっていたが、まだ、末っ子も居たので残念である。
この一件から、いろいろ考えてみた。

何故、大量に子どもが移ってしまったのか
ママネットワークは強烈である。私はあまり浸かっていない方だが、それでも、漏れ聞く噂は知っている。これまでも、学童の運営方法に細かい不満が溜まって居たし、それは分からなくも無かった。
・開園時間が短い(保育園よりも早く閉まる)
・夏休み一週間閉所してしまう
・長期休みの開所時間が遅い
・宿題をさせる雰囲気が無い
・小学四年までしか在籍出来ない
・月謝が高い

でも、対抗馬の新設学童も、さして違いは無さそうである。
ほんの少し、利用し易いという程度。
本当の原因は、運用者である指導員さんと、保護者達があまり上手くコミュニケーション出来なかった事が原因では無いかと思う。
その人も、もう指導員を辞めてしまった。頑張り屋だけど、権威に弱く、杓子定規になりがちで、利用者から見ると「上ばかり見ながら仕事する」と思えたのだろう。少しでも決め事を守らないと、衣を借りて居丈高になる癖があったのかも知れない。

結果、コンフリクトを起こした当事者達は双方舞台を去り、残された、学童クラブは空中分解してしまった。

創始者の園長は、とても篤志家だったのだろう。福祉法人といして補助金がかなり入っているとは言え、人の子どもを預かる事業は割に合わない。一度始めたら性格上、行政からもアテにされ、またそれを「頼み(矜恃とも言える)」として役目を果たすつもりで、運営していたのだろう。事実、その時代を僅かに知る人は「本当に頼りになる心の拠り所の様な園だった」と言う。
だが、個人経営は難しい。篤志家の子孫が篤志家とは限らない。親族が最優先に昇進を約束されるあからさまな同族経営は、人的リソースが生命線の福祉事業では、致命的な欠陥になる。優秀で問題解決能力や、コミュニケーション能力の高い人材はドンドン流出して、一年と居つかない。最後は「居ないよりはマシ」な人材しか残らない。
競争に負けたと言えば簡単だが、これまで築き上げて来た環境を考えると、愚かだとしか言えない。資産の食い散らかしだ、、と思う。

多分、ここに至るもっと手前で幾つもの転換点があった。その小さな一つ一つの点を丁寧に拾っていれば、例え強力な
ライバルが現れても、盤石だったろう。学びと創意工夫を怠った。
早朝、夕方のスタッフが確保出来ないなら保育園と合流するとか、分単位の細切れ延長に対応するとか、、異年齢と接する事は子どもにとっても成長するチャンスなのだから、もっと自由に知恵を出し合えたらと思う。

それとも、厳しい規制があって自由にプログラムを組む事を禁止する法律でもあるのだろうか?

田舎の素晴らしき大雑把さ
都心の私鉄沿線には、働く親にとって夢の様な学童クラブがあるらしい。利用者が喜びそうな、きめ細かいメニューは、さすが、経済原理の働く都心である。しかし、値段を見て驚いた!保育園並のお高さで、くだんの学童が高いと文句を言っていた我が地区の保護者は目を回してしまうだろう。
そう、不満を解消するには、コストが必要なのだ。子育ての外注化である。
お迎え、宿題、夕飯まで食べて、ついでにお風呂に入れてくれたら最高!(これ、高度成長期のお父さん達ですね。家庭内丸投げ発注!)
おお!便利そぉ!と思わなくも無いけど、、まぁ、多分ここまでのサポートは必要無いかな、と直感的に思う。
勿論、家庭の事情は様々なので、サポートが出て来た事は喜ばしい。ただ、最近思うのは、助けてもらって楽になった…その後を考える事って必要だなと思うのだ。
特に、子どもは成長する。成長の萌芽を潰したり、枯らさない為に、別の忍耐が必要だと痛感する。

閉所してしまう学童は、四年生までしか預からない。それを不満に言う保護者も居たが、私は長女が利用し始めて直ぐにその理由がわかった。
個人差はあれど、小学生も三~四年になれば、自分でいろいろ出来る様になる。いつ迄も、親が送り迎えする学童に居続ける方が妙なものだ。長女と同級の男の子達は小二に上がったら、カバっとやめて行った。もう、囲われた環境では彼らは発散出来ないのだ。新米母だった私には、少なからずショックだったが、やや田舎な我が街の、荒っぽい良き伝統だなと理解している。
昔と違って、子どもが少ないから、徒党を組んで遊べないし、アポ無しで偶然お友達と会うのも難しい。それでも、逞しく放課後を子ども達なりに過ごしている。お稽古に自分で行く子、家で勝手に過ごす子、時に近所の駄菓子屋へ行く子、子どもの足で行ける範囲に五つも公園があるから、親が家に居ないので、誰かの家に上がり込んだり、逆に友達を上げてはいけないと言っても遊ぶ所には困らない。少しづつ自分で自分の身を処す練習が始まっているんだと思う。
我が家の場合、私の実家が近所にあるので、緩い見守り環境があるからなのだろうが、、お年寄りが日中家に居てくれる街と言うのは、ありがたいなと思う。

この地域の良さを、上手く経営に取り入れて、もう少し、ITの便利な所を勉強すれば、優良な住人を呼び込めて、今のスタイルを維持出来たのに、無理に都心スタイルのメニューにせずとも、小回りの効いたリーズナブルな学童運営が出来たのではないか、、。そんな事をツラツラ思った。

何より、後進の人達に申し訳なかったなぁと感じている。



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