2011年7月18日月曜日

「コクリコ坂から」を観た

ジブリ作品は「もののけ姫」以来、ほぼ欠かさず劇場上映を観て来た。(「ハウル」だけは長男が小さ過ぎて断念)毎回、公開後すぐ観て来たので、今回も連休最終日に観る。

いやぁ、吾郎さん腕上げたなと思う。去年の「借りぐらしのアリエッティ」監督の米林氏でも思ったけれど、よくこれだけ個性の強い大御所の元、作品を作れるもんだと、それだけで感心してしまう。これまで、ジブリは何度も後継者不安が取り沙汰されて来たけれど、次世代の在り方が見えたなと思う。

実は、「コクリコ」も「アリエッティ」も 、同じ事を感じた。

「なんて、良質なリアリティなんだろう。」

床下に住む小人達の話で、リアリティも何も無いけれど、そんな意味では無く、あれは間違い無く「武蔵野の初夏」で、それを空気と匂いまで感じ取れそうなリアリティで見てる側に届けた。どの一瞬を取っても完璧と言って良いと思う。

コクリコにも、その完璧なリアリティはきっちり継承されている。横浜育ち(かなり山奥だけど)で1968年生まれが見たから、かなりバイアスがかかっているが、ある一定以上の年齢にはたまらない仕上がりである事は間違い無い。
ネタバレになるので、ストーリーには触れないけれど、話は淡々と進んで行って、山場らしい山場はそんなに無い。(主人公達の出生の秘密ぐらいだろうか)日常の所作が克明に描かれていて、世界のジブリの仕事である。(さすが)
でも、観終わった後、ずっと反芻してしまう良質な鑑賞感は、アリエッティと共通している。

実は私は勝手に「高畑系譜」と読んでいるのだが、一連のジブリ作品の中で
  • 天空の城ラピュタ
  • ほたるの墓
  • 平成たぬき合戦ぽんぽこ
  • 思ひ出ぽろぽろ
  • となりの山田くん
の高畑色が強く出ている作品は、非常に考えさせる作品が多い。初見ではあまり印象が無かったり、宮崎ファンには物足りなかったりするのだが(ラピュタを除く)二度目に見ると全く違う感想を持つ。それだけ構造が重厚に考えられているのだ。
(「ぽんぽこ」なんて、娘と数年ぶりに見て初めて「ああ、これは学生運動の内ゲバぶりを皮肉っているんだ!」とやっと気が付く始末。。。)

「耳をすませば」もそうだったけれど(この作品の監督だった近藤さんは本当に惜しい。若くして亡くなられてしまった。。)「宮崎駿」以外の監督は、たぶん、この路線にこれからを見いだして行くのではあるまいか。。。

宮崎アニメで飛行シーンが無かったらブーイングものだろう。あのいかにも出来そうで出来無い飛翔感は、名人芸(もちろん、忠実に再現出来る作画チームがおられる訳ですが)であり、もやはここまで来ると、お約束だ。だから、他の人があれをやりにくい。又、人を高揚させるツボを生来心得ているのも、駿監督なのだろう。

吾郎監督とは同性代、米林監督は弟世代 、何となく親近感が湧くので勝手に想像してしまうのだが、恐らくは
「首題だって自分達で見つけられる。」
と思っているのではなかろうか。

アリエッティもコクリコも、企画は「親父達」から、「これにしたら。」と渡されている。それを素直に受け取るのが、我々世代の特徴なのだが、結果、何とも言えない違うタッチが生まれているように私は感じる。

最後にちょっとだけ、映画のネタバレエッセンス。。
主人公の海ちゃんも素敵だけれど、対するヒーローの俊君と海ちゃんのお父さんの若かりし頃が、むっちゃカッコイイです。もう「ドキッ」とします。
宮崎アニメは「男子」が本当におざなりで、一癖二癖ありそうな輩ばかりですが、久々に「正当バンカラ」ヒーローです。(アシタカ以来かな)吾郎監督で二度目の岡田准一君の声が良くマッチしていました。ほんのちょっぴりしか、カッコイイ姿を見せない所が、また心憎い。

「俺、最後寝ちまったよーー、で、どうだったの?」
と後ろを歩いていた、二十代前半とおぼしきグループで、こんな会話がなされていましたが、ま、彼らにはまだ早いですかね。大人にはおすすめです。

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