田原総一郎責任編集の「ホリエモンの最後の言葉」を読む。(死んじゃった訳じゃ無いのに、最後の言葉って、、)堀江氏の対談本、著作はここ数ヶ月良く読んだけど、田原さんってやっぱり凄いジャーナリストだとつくづく思う。
話しの核心を突くとはこの事だ。スパッスパッと切れ味鋭い刃物の如き短い言葉で話しを切り分けて行く様は、剣豪の試合を見ているようだ。
朝生を見てた頃は、何でこんなに人の話しを遮るのかと思ったけど、あの遮りは名人芸だそうで、あれが無いと議論がグダグダになってしまう。同じ話しをダラダラと話し出したら止まらない人を、さっとばかりに止める才能は、議事進行に欠かせない。
でも、田原氏の真の才能は、人の本音を引き出す為に、「己を抑える」上手さだ。自分語りが過ぎてはインタビュアーとして本末転倒、さりとて、無色透明にただ相手の話しを聴いているだけでは良い話しは引き出せない。
本当はすごく深く考え、洞察力も鋭いのに、対面した相手には時に知らないふりをして、対話を進める。
本書は、堀江氏の対談本の中でも、一番ではないか。興味深い内容に出くわすと、私は何度か文章を反芻して読み返す癖があるのだか、いつも、半日で読んでしまう堀江本の中で、今回は二日かかった。それだけ丁寧に読み進めた結果である。
インタビューは縦横無尽に展開されるが、唯一、二人の考えが違った箇所が、人と人とのコミュニケーションのこれからにらついて。
堀江氏は、次には脳内チップで頭の中から直接情報をやり取りするテレパシーの時代が来ると予言し、田原氏は「やっぱり、直接会って得られる情報は、何事か違う感じがする」と言う。永年のジャーナリストとしての経験なのだろう。
私は、どちらも有るだろうなと思う。スマフォの登場で音楽を聴いている最中に電話が取れる様になった、会議中でも家族からの緊急連絡を直メールで受けれるようになった。もし、この様を、100年前の人が見たら、魔法かテレパシーかと思うだろう。電車内でイヤフォンしている人に向って直接車内放送を割り込みで聞かせる事だってそのうち出来るようになると思う。一方、相変わらず、人はお腹が空せば食事をするし、自分の足で移動出来る距離はたかがしれている。相変わらず、、の部分を抱えて限られた時間をジタバタと生きて行く、そこを捉えてるのが田原氏なんだと思う。
田原氏は、堀江氏の事を「日本の宝だ」と絶賛する。
「彼はとてもおおらかだ。」
と評したのがとても印象的で、ホリエモンをこんな風に言う人ってこれまで居なかったんじゃないかと思う。そんな田原氏もとても優しいと私は思う。
ズバズバ歯に衣着せぬ鋭い指摘で、ご本人は満身創痍だろうが、その根底にある真実を追求する勇気は、人に対して諦めの無い優しさがあるからだと思う。
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2011年7月27日水曜日
2011年7月23日土曜日
配電盤の漏電(「この国のかたち)より」
今読んでいるこの国のかたちの中で、心に残る章があった。
配電盤の漏電
「東大は文明の配電盤の役割を果していた。」
と司馬さんは度々語っている。
法外な待遇でお抱え外国人を雇い入れ、その間、優秀な若者達を官費留学させて、本場の学問を輸入させ、いずれお雇い外国人達の代わりとして、彼らは次々と母校東大の教壇に立った。(夏目漱石が有名ですね)
こうして、最新の近代学問を全国津々浦々まで配電したわけだが、東大から程近い神田はそんな官立大学が漏電して出来た私学のメッカなのだそうだ。
全く知らなかったが、東京理科大とは、東大理学部物理学科のOBたちが寄付でもって創立した学校なのだそうだ。トップクラスのエリートばかりで無く、現場で役立つ中間層のエンジニアが不足していて、それを育成する事が目的だった。
先生は全てこのOB達が昼間の仕事を終えてから務め、この為の給与は取らなかったとか!だから、創立当時は夜学だったそうだ。
理学部は実験器具等の設備が必要で、寄付で成り立つ理科大にはそれを買う余裕が無い。何と東大で使った機具を夜になると、人足が神田まで運び、また翌日東大の授業が始まる前にそれを戻す、、という事を毎日繰り返したそうだ。
今なら、それはそれはやかましくて、こんな事は絶対に許されないのだろうが、 明治の心意気と、皆が必死で「坂を登った」様子が手に取るように判る挿話で、読んでいてとても気分が良くなった。
司馬さんは、こんな清々しい、スカッと見晴らすような話が好きなのだと思う。「漏電」とは上手い事言うなと思ったが、自分達は、貧乏国家がナケナシの予算をはたいて育ててくれている事を、骨の随から知っていたのだろう。
脳科学者の茂木健一郎さんは、母校東大が時代遅れだ!と手厳しい。100年前の創立時代と今とでは、当然違っているのだろうが、それでも僅かな香りや気風は何処かにあるんじゃないかと、門外漢ながら期待している。資源の無い狭い国土の日本には、人しか資源は無いのだから。。
配電盤の漏電
「東大は文明の配電盤の役割を果していた。」
と司馬さんは度々語っている。
法外な待遇でお抱え外国人を雇い入れ、その間、優秀な若者達を官費留学させて、本場の学問を輸入させ、いずれお雇い外国人達の代わりとして、彼らは次々と母校東大の教壇に立った。(夏目漱石が有名ですね)
こうして、最新の近代学問を全国津々浦々まで配電したわけだが、東大から程近い神田はそんな官立大学が漏電して出来た私学のメッカなのだそうだ。
全く知らなかったが、東京理科大とは、東大理学部物理学科のOBたちが寄付でもって創立した学校なのだそうだ。トップクラスのエリートばかりで無く、現場で役立つ中間層のエンジニアが不足していて、それを育成する事が目的だった。
先生は全てこのOB達が昼間の仕事を終えてから務め、この為の給与は取らなかったとか!だから、創立当時は夜学だったそうだ。
理学部は実験器具等の設備が必要で、寄付で成り立つ理科大にはそれを買う余裕が無い。何と東大で使った機具を夜になると、人足が神田まで運び、また翌日東大の授業が始まる前にそれを戻す、、という事を毎日繰り返したそうだ。
今なら、それはそれはやかましくて、こんな事は絶対に許されないのだろうが、 明治の心意気と、皆が必死で「坂を登った」様子が手に取るように判る挿話で、読んでいてとても気分が良くなった。
司馬さんは、こんな清々しい、スカッと見晴らすような話が好きなのだと思う。「漏電」とは上手い事言うなと思ったが、自分達は、貧乏国家がナケナシの予算をはたいて育ててくれている事を、骨の随から知っていたのだろう。
脳科学者の茂木健一郎さんは、母校東大が時代遅れだ!と手厳しい。100年前の創立時代と今とでは、当然違っているのだろうが、それでも僅かな香りや気風は何処かにあるんじゃないかと、門外漢ながら期待している。資源の無い狭い国土の日本には、人しか資源は無いのだから。。
2011年7月18日月曜日
「コクリコ坂から」を観た
ジブリ作品は「もののけ姫」以来、ほぼ欠かさず劇場上映を観て来た。(「ハウル」だけは長男が小さ過ぎて断念)毎回、公開後すぐ観て来たので、今回も連休最終日に観る。
いやぁ、吾郎さん腕上げたなと思う。去年の「借りぐらしのアリエッティ」監督の米林氏でも思ったけれど、よくこれだけ個性の強い大御所の元、作品を作れるもんだと、それだけで感心してしまう。これまで、ジブリは何度も後継者不安が取り沙汰されて来たけれど、次世代の在り方が見えたなと思う。
実は、「コクリコ」も「アリエッティ」も 、同じ事を感じた。
「なんて、良質なリアリティなんだろう。」
床下に住む小人達の話で、リアリティも何も無いけれど、そんな意味では無く、あれは間違い無く「武蔵野の初夏」で、それを空気と匂いまで感じ取れそうなリアリティで見てる側に届けた。どの一瞬を取っても完璧と言って良いと思う。
コクリコにも、その完璧なリアリティはきっちり継承されている。横浜育ち(かなり山奥だけど)で1968年生まれが見たから、かなりバイアスがかかっているが、ある一定以上の年齢にはたまらない仕上がりである事は間違い無い。
ネタバレになるので、ストーリーには触れないけれど、話は淡々と進んで行って、山場らしい山場はそんなに無い。(主人公達の出生の秘密ぐらいだろうか)日常の所作が克明に描かれていて、世界のジブリの仕事である。(さすが)
でも、観終わった後、ずっと反芻してしまう良質な鑑賞感は、アリエッティと共通している。
実は私は勝手に「高畑系譜」と読んでいるのだが、一連のジブリ作品の中で
(「ぽんぽこ」なんて、娘と数年ぶりに見て初めて「ああ、これは学生運動の内ゲバぶりを皮肉っているんだ!」とやっと気が付く始末。。。)
「耳をすませば」もそうだったけれど(この作品の監督だった近藤さんは本当に惜しい。若くして亡くなられてしまった。。)「宮崎駿」以外の監督は、たぶん、この路線にこれからを見いだして行くのではあるまいか。。。
宮崎アニメで飛行シーンが無かったらブーイングものだろう。あのいかにも出来そうで出来無い飛翔感は、名人芸(もちろん、忠実に再現出来る作画チームがおられる訳ですが)であり、もやはここまで来ると、お約束だ。だから、他の人があれをやりにくい。又、人を高揚させるツボを生来心得ているのも、駿監督なのだろう。
吾郎監督とは同性代、米林監督は弟世代 、何となく親近感が湧くので勝手に想像してしまうのだが、恐らくは
「首題だって自分達で見つけられる。」
と思っているのではなかろうか。
アリエッティもコクリコも、企画は「親父達」から、「これにしたら。」と渡されている。それを素直に受け取るのが、我々世代の特徴なのだが、結果、何とも言えない違うタッチが生まれているように私は感じる。
最後にちょっとだけ、映画のネタバレエッセンス。。
主人公の海ちゃんも素敵だけれど、対するヒーローの俊君と海ちゃんのお父さんの若かりし頃が、むっちゃカッコイイです。もう「ドキッ」とします。
宮崎アニメは「男子」が本当におざなりで、一癖二癖ありそうな輩ばかりですが、久々に「正当バンカラ」ヒーローです。(アシタカ以来かな)吾郎監督で二度目の岡田准一君の声が良くマッチしていました。ほんのちょっぴりしか、カッコイイ姿を見せない所が、また心憎い。
「俺、最後寝ちまったよーー、で、どうだったの?」
と後ろを歩いていた、二十代前半とおぼしきグループで、こんな会話がなされていましたが、ま、彼らにはまだ早いですかね。大人にはおすすめです。
いやぁ、吾郎さん腕上げたなと思う。去年の「借りぐらしのアリエッティ」監督の米林氏でも思ったけれど、よくこれだけ個性の強い大御所の元、作品を作れるもんだと、それだけで感心してしまう。これまで、ジブリは何度も後継者不安が取り沙汰されて来たけれど、次世代の在り方が見えたなと思う。
実は、「コクリコ」も「アリエッティ」も 、同じ事を感じた。
「なんて、良質なリアリティなんだろう。」
床下に住む小人達の話で、リアリティも何も無いけれど、そんな意味では無く、あれは間違い無く「武蔵野の初夏」で、それを空気と匂いまで感じ取れそうなリアリティで見てる側に届けた。どの一瞬を取っても完璧と言って良いと思う。
コクリコにも、その完璧なリアリティはきっちり継承されている。横浜育ち(かなり山奥だけど)で1968年生まれが見たから、かなりバイアスがかかっているが、ある一定以上の年齢にはたまらない仕上がりである事は間違い無い。
ネタバレになるので、ストーリーには触れないけれど、話は淡々と進んで行って、山場らしい山場はそんなに無い。(主人公達の出生の秘密ぐらいだろうか)日常の所作が克明に描かれていて、世界のジブリの仕事である。(さすが)
でも、観終わった後、ずっと反芻してしまう良質な鑑賞感は、アリエッティと共通している。
実は私は勝手に「高畑系譜」と読んでいるのだが、一連のジブリ作品の中で
- 天空の城ラピュタ
- ほたるの墓
- 平成たぬき合戦ぽんぽこ
- 思ひ出ぽろぽろ
- となりの山田くん
(「ぽんぽこ」なんて、娘と数年ぶりに見て初めて「ああ、これは学生運動の内ゲバぶりを皮肉っているんだ!」とやっと気が付く始末。。。)
「耳をすませば」もそうだったけれど(この作品の監督だった近藤さんは本当に惜しい。若くして亡くなられてしまった。。)「宮崎駿」以外の監督は、たぶん、この路線にこれからを見いだして行くのではあるまいか。。。
宮崎アニメで飛行シーンが無かったらブーイングものだろう。あのいかにも出来そうで出来無い飛翔感は、名人芸(もちろん、忠実に再現出来る作画チームがおられる訳ですが)であり、もやはここまで来ると、お約束だ。だから、他の人があれをやりにくい。又、人を高揚させるツボを生来心得ているのも、駿監督なのだろう。
吾郎監督とは同性代、米林監督は弟世代 、何となく親近感が湧くので勝手に想像してしまうのだが、恐らくは
「首題だって自分達で見つけられる。」
と思っているのではなかろうか。
アリエッティもコクリコも、企画は「親父達」から、「これにしたら。」と渡されている。それを素直に受け取るのが、我々世代の特徴なのだが、結果、何とも言えない違うタッチが生まれているように私は感じる。
最後にちょっとだけ、映画のネタバレエッセンス。。
主人公の海ちゃんも素敵だけれど、対するヒーローの俊君と海ちゃんのお父さんの若かりし頃が、むっちゃカッコイイです。もう「ドキッ」とします。
宮崎アニメは「男子」が本当におざなりで、一癖二癖ありそうな輩ばかりですが、久々に「正当バンカラ」ヒーローです。(アシタカ以来かな)吾郎監督で二度目の岡田准一君の声が良くマッチしていました。ほんのちょっぴりしか、カッコイイ姿を見せない所が、また心憎い。
「俺、最後寝ちまったよーー、で、どうだったの?」
と後ろを歩いていた、二十代前半とおぼしきグループで、こんな会話がなされていましたが、ま、彼らにはまだ早いですかね。大人にはおすすめです。
2011年7月17日日曜日
さかのぼり日本史 明治”官僚国家”への道 第1回「帝国憲法・権力の源泉」第2回「十四年の政変・近代化の分岐点」
今月は「官僚」がテーマ。政党の成り立ちを考えたら、次はやっぱり官僚でしょう。この番組の組立ては非常に良い。改めて思ったけれど、我が国は議員よりも先に「官僚」が居た国なんですねぇ。。第1回と第2回の分をまとめて感想。
第1回「帝国憲法・権力の源泉」
歴史で習ったけど、明治憲法(大日本帝国憲法)が発布されたのは明治22年。維新成立から実に22年もたってからなんだと思うとちょっとびっくりである。だって平成元年から現在位までの期間!議会も無く、憲法も無く、どうやって国家を舵取りしてたのだろう?
まぁ、戊辰戦争ありの、西南戦争ありので、いわゆる「内戦」状態だった訳だけど、維新のリーダー達が臨時政府と言う感じで舵取りをしていたのだろう。(早く「翔ぶが如く」読まなくちゃ)
さて、今回はこの発布された真新しい憲法内で官僚の権限が保障された事が番組の主題。議会を通さずに、官僚主導で法案を通せる(つまり、天皇の勅令というルートを残しておく)又、天皇の保護下に置いて、政治家が官僚人事を云々出来ないよう守った事もかなり重要である。これは議会に対して政府が優位に立てる事を意味する。こうして生まれた法案の一つが「小学校令」で、憲法発布の翌年に制定されている。
以後、教育/軍事は議会を通さない勅令が慣例となる。いつの時代も「天皇」は利用され続けたというのが、日本という国の本質を表しているようで興味深い。
さて、この憲法制定に「伊藤博文」の存在は欠かせない。いわば彼の意思が強烈に帝国憲法に反映されているのだが、彼がこの様に考えるに至ったきっかけが、明治18年の欧州留学である。そこで伊藤は、お手本にしようとしたドイツで、強過ぎる議会に法案が何も通らない実態を目の当たりにする。ドイツの後に訪れたウィーンで政治学者のシュタインに学んで、行政が最終責任を負うのだから行政府を強く組織する事が先決と決心。それまでの古い「太政官制度」から「近代的内閣制」に変更する。
東京大学は「帝国大学」へを名を改め、有能な行政官を多数量産する為の機関と性格付けられ(今でもそうでしょうが)この頃から官僚の「超然主義」なる考え方が横行し始める、
。。と、ここまで書いてまぁ、「エリート主義」だとか「国会/国民を軽視する考え方だ」と言えなくも無いが、テクノクラートである彼らが、若干そんな気分になっても仕方ないかなぁと思う。別に官僚さん達の肩を持つ訳じゃないけど。運営は相当に専門知識を身につけなければやって行けない、やっぱり、甘い理念だけでは国家は回らないよなぁ。。と今の政治情勢を見て思う。バランスが難しいですね。このあたり。
第2回「十四年の政変・近代化の分岐点」
今回は再び「大隈重信」さん。先月で「初の政党内閣の時の総理大臣」になった人だけれど、今回は詰め腹を切らされて内閣参議から外される事件にスポットを当てている。
当時、自由民権運動の高まりが激しくこれは、司馬さんが解説している通り「地主層が騒いで」いる訳である。
政府は当初これを冷ややかに静観しているだけれど(田舎者に何が判るかってな所でしょうか。)参議のメンバーである「大隈重信」さんが自由民権運動に理解を示し始める。
大隈さんという人はどんな人だったんでしょうね。番組開設の佐々木克先生は
「大隈は穏健論者だった。」
とおっしゃっている。早稲田大学を作った人、、程度にしか知らなかったけれど、仲が悪いと思っていた、福沢諭吉も、丁度その頃「自由民権運動」を援護する発言をしている。
これが、二人に共通する資質というものなのでしょうかね。教育者になる人はやはりギリギリの所で、実利ばかりを言わない人物でなければ務まらないのかも。
ただ、政府メンバー内から擁護論が出てしまうのを、非常にニガニガしく思った伊藤博文はこれに苦言を呈する。
そして、丁度その時、北海道の政府官有施設を北海道開拓使が友人の実業家に破格の安値で払い下げようという事件が起きる。世論は紛糾、国会開設の機運が高まる。(そりゃそうですよね、特権階級ばかりで勝手に決めるな!でしょう。)
ここからが、やっぱり伊藤博文。「まずい!」と思って懐柔する策を打ちつつ、大隈をパージする。大隈が出張で不在中に、素早く内閣を召集して
・官有施設の払い下げ禁止
・国会開設/憲法発布の約束
・合わせて「大隈に詰め腹を切らせる」(大隈下野)
を決めてしまう。伊藤にとっては目障りな存在だったんですね、、大隈は。
ワイワイ無し崩しに、憲法やら議会やらが形成されるくらいなら、政府主動で作ろうと、相手が望む提案を先に出す。
かつての師匠である吉田松陰が、伊藤博文の事を「斡旋が上手い」という意味の評伝をしたそうですが(伊藤はこの評価を嫌がったようだけど)この政治感覚はよくも悪くも伊藤博文らしい。
結局、後の10年で大急ぎで各種法案を整備し、憲法発布にこぎ着けるのだが、これは官僚達の成果と言える。この時代くらいまでは、民がまだまだ官に甘えているのかなぁと思わなくも無い。生まれたての国家で優秀な頭脳と才能が運営する側に沢山投入されていた時代なのだろう。
さていよいよ次回は、官僚を考える上で絶対避けて通れない「大久保利通」が登場する。歴史に「もし」は無いけれど、もし大久保が非業の死を遂げなければ、憲法はどんな形になっていたのだろう。非常に楽しみである。
第1回「帝国憲法・権力の源泉」
歴史で習ったけど、明治憲法(大日本帝国憲法)が発布されたのは明治22年。維新成立から実に22年もたってからなんだと思うとちょっとびっくりである。だって平成元年から現在位までの期間!議会も無く、憲法も無く、どうやって国家を舵取りしてたのだろう?
まぁ、戊辰戦争ありの、西南戦争ありので、いわゆる「内戦」状態だった訳だけど、維新のリーダー達が臨時政府と言う感じで舵取りをしていたのだろう。(早く「翔ぶが如く」読まなくちゃ)
さて、今回はこの発布された真新しい憲法内で官僚の権限が保障された事が番組の主題。議会を通さずに、官僚主導で法案を通せる(つまり、天皇の勅令というルートを残しておく)又、天皇の保護下に置いて、政治家が官僚人事を云々出来ないよう守った事もかなり重要である。これは議会に対して政府が優位に立てる事を意味する。こうして生まれた法案の一つが「小学校令」で、憲法発布の翌年に制定されている。
以後、教育/軍事は議会を通さない勅令が慣例となる。いつの時代も「天皇」は利用され続けたというのが、日本という国の本質を表しているようで興味深い。
さて、この憲法制定に「伊藤博文」の存在は欠かせない。いわば彼の意思が強烈に帝国憲法に反映されているのだが、彼がこの様に考えるに至ったきっかけが、明治18年の欧州留学である。そこで伊藤は、お手本にしようとしたドイツで、強過ぎる議会に法案が何も通らない実態を目の当たりにする。ドイツの後に訪れたウィーンで政治学者のシュタインに学んで、行政が最終責任を負うのだから行政府を強く組織する事が先決と決心。それまでの古い「太政官制度」から「近代的内閣制」に変更する。
東京大学は「帝国大学」へを名を改め、有能な行政官を多数量産する為の機関と性格付けられ(今でもそうでしょうが)この頃から官僚の「超然主義」なる考え方が横行し始める、
「議会や政党に左右されず政治を行うべきで、専門知識に裏付けられた正しい法案が国家を運営するべきである。」
。。と、ここまで書いてまぁ、「エリート主義」だとか「国会/国民を軽視する考え方だ」と言えなくも無いが、テクノクラートである彼らが、若干そんな気分になっても仕方ないかなぁと思う。別に官僚さん達の肩を持つ訳じゃないけど。運営は相当に専門知識を身につけなければやって行けない、やっぱり、甘い理念だけでは国家は回らないよなぁ。。と今の政治情勢を見て思う。バランスが難しいですね。このあたり。
第2回「十四年の政変・近代化の分岐点」
今回は再び「大隈重信」さん。先月で「初の政党内閣の時の総理大臣」になった人だけれど、今回は詰め腹を切らされて内閣参議から外される事件にスポットを当てている。
当時、自由民権運動の高まりが激しくこれは、司馬さんが解説している通り「地主層が騒いで」いる訳である。
政府は当初これを冷ややかに静観しているだけれど(田舎者に何が判るかってな所でしょうか。)参議のメンバーである「大隈重信」さんが自由民権運動に理解を示し始める。
大隈さんという人はどんな人だったんでしょうね。番組開設の佐々木克先生は
「大隈は穏健論者だった。」
とおっしゃっている。早稲田大学を作った人、、程度にしか知らなかったけれど、仲が悪いと思っていた、福沢諭吉も、丁度その頃「自由民権運動」を援護する発言をしている。
これが、二人に共通する資質というものなのでしょうかね。教育者になる人はやはりギリギリの所で、実利ばかりを言わない人物でなければ務まらないのかも。
ただ、政府メンバー内から擁護論が出てしまうのを、非常にニガニガしく思った伊藤博文はこれに苦言を呈する。
そして、丁度その時、北海道の政府官有施設を北海道開拓使が友人の実業家に破格の安値で払い下げようという事件が起きる。世論は紛糾、国会開設の機運が高まる。(そりゃそうですよね、特権階級ばかりで勝手に決めるな!でしょう。)
ここからが、やっぱり伊藤博文。「まずい!」と思って懐柔する策を打ちつつ、大隈をパージする。大隈が出張で不在中に、素早く内閣を召集して
・官有施設の払い下げ禁止
・国会開設/憲法発布の約束
・合わせて「大隈に詰め腹を切らせる」(大隈下野)
を決めてしまう。伊藤にとっては目障りな存在だったんですね、、大隈は。
ワイワイ無し崩しに、憲法やら議会やらが形成されるくらいなら、政府主動で作ろうと、相手が望む提案を先に出す。
かつての師匠である吉田松陰が、伊藤博文の事を「斡旋が上手い」という意味の評伝をしたそうですが(伊藤はこの評価を嫌がったようだけど)この政治感覚はよくも悪くも伊藤博文らしい。
結局、後の10年で大急ぎで各種法案を整備し、憲法発布にこぎ着けるのだが、これは官僚達の成果と言える。この時代くらいまでは、民がまだまだ官に甘えているのかなぁと思わなくも無い。生まれたての国家で優秀な頭脳と才能が運営する側に沢山投入されていた時代なのだろう。
さていよいよ次回は、官僚を考える上で絶対避けて通れない「大久保利通」が登場する。歴史に「もし」は無いけれど、もし大久保が非業の死を遂げなければ、憲法はどんな形になっていたのだろう。非常に楽しみである。
2011年7月5日火曜日
さかのぼり日本史 昭和〜明治 挫折した政党政治 第4回 「理念無き政党の迷走」
政党政治って何だ?の疑問にこの番組はある程度答えてくれた
。
何だぁ悲しいなぁという結果だったけど、、
司馬さんは著書「明治という国家」の中で、
という趣旨の事を言っている。
ブルジョア階級とは地主やら庄屋と言った現金を持っていて、税金を納める事が出来る層の事で、当時の普通選挙で選挙権を持っていた人々だ。因みに、明治になってそれまでの、米本位の納税体系から、現金納税に移行した為、多くの自作農が現金を持つ庄屋に地所を売り渡して、自分達はそこを耕す小作人になるしか方法が無かった。司馬さんの言う「明治の痛み」の一面だろう。
番組の話しに戻ると、藩閥内閣に対抗して、初の政党内閣を大隈重信が組閣するが、僅か四ヶ月で瓦解してしまう。
大隈率いる「進歩党」と板垣退助率いる「自由党」が、合体して「憲政党」となり、衆議院の大多数になって、内閣が提案する議案がことごとく議会を通らなくなってしまった状態がその背景にある。
番組を観て
「さすが老練な伊藤博文」
と思ったのが、伊藤がアッサリ内閣を大隈達に渡してしまった事だ。
体制を整え切る前に「内閣」という餌に釣られて大隈は飛び付いてしまう。板垣は乗り気で無く、「政策の一致も未だなのに」と止めようとしたが結局、大隈に引きずられて内務大臣に着く。
司馬さんは「板垣はどう考えても軍人にしかなりようが無く、政治家になったのは、、」と書いているが、そこは長州薩摩出身でない亜流の哀しさだろう。(大隈は佐賀、板垣は土佐)
結局、統治能力をろくに持たず、国を背負って軍備拡張という命題に、どう財源を確保するか大隈内閣は苦慮し、支持層である地主達が嫌がる地租税は上げられないので、砂糖酒税を上げて民衆の反発を食う。
、、政党とは
「俺らに有利な政策を立案して下さいね。それなら指示するし、裏切ったら落としますよ。」という(利益誘導の)集団に担がれた物なのである。
これって、、今もちっとも変わっていないよなぁ。とかなり悲しくなった。
明治維新は
「お侍がやるもんだ、それがあの人達の役割だ。」
と他の身分の人達は思っていたし、長州の奇兵隊という例外はあるものの、何処か他人事で近代化の意味や、日本と言う国が置かれた危うい立場を、理解している人達はごく限られた人々だったと思う。
薩長はその牽引役という自負があるから、大隈如きが一朝一夕に政権交代を担える訳が無いと、先を読み切っていたのだろう。
以後、政党内閣の失脚を見て抜かり無く藩閥体制を組んだのが山県有朋で、
「政党に政権を渡したらロクなもんじゃない。」
を合言葉に、官僚、司法と隙間無く藩閥で埋めてゆく。この辺り、阿吽の呼吸で「怜悧な長州人達」である伊藤と山縣の連携とでも言おうか、、さすが、一番政治家を輩出している県である。
結局、大多数の日本人は自分達の事しか思いの及ばない甘ったれた民なのだろうか?一人一人はとっても善人で狭い範囲の事を考えるのは得意だが、大きな事になると、よく解らなくなって、取りまとめ役を引きずり下ろしてしまうのか。。
脈絡無く考えていたら、今日こんなtweetに出会った。
小黒正一さんのつぶやきと、池田信夫先生のブログがとっても的確に言い当てている。
今月から、番組は官僚の歴史だそうだ。これも楽しみ。
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。
何だぁ悲しいなぁという結果だったけど、、
司馬さんは著書「明治という国家」の中で、
明治維新は士族階級が持ち出しで担った革命で自由民権運動は「次は俺たちがイイ目を見る番だ。」とブルジョア階級が言い出したようなものだ、、
という趣旨の事を言っている。
ブルジョア階級とは地主やら庄屋と言った現金を持っていて、税金を納める事が出来る層の事で、当時の普通選挙で選挙権を持っていた人々だ。因みに、明治になってそれまでの、米本位の納税体系から、現金納税に移行した為、多くの自作農が現金を持つ庄屋に地所を売り渡して、自分達はそこを耕す小作人になるしか方法が無かった。司馬さんの言う「明治の痛み」の一面だろう。
番組の話しに戻ると、藩閥内閣に対抗して、初の政党内閣を大隈重信が組閣するが、僅か四ヶ月で瓦解してしまう。
大隈率いる「進歩党」と板垣退助率いる「自由党」が、合体して「憲政党」となり、衆議院の大多数になって、内閣が提案する議案がことごとく議会を通らなくなってしまった状態がその背景にある。
番組を観て
「さすが老練な伊藤博文」
と思ったのが、伊藤がアッサリ内閣を大隈達に渡してしまった事だ。
体制を整え切る前に「内閣」という餌に釣られて大隈は飛び付いてしまう。板垣は乗り気で無く、「政策の一致も未だなのに」と止めようとしたが結局、大隈に引きずられて内務大臣に着く。
司馬さんは「板垣はどう考えても軍人にしかなりようが無く、政治家になったのは、、」と書いているが、そこは長州薩摩出身でない亜流の哀しさだろう。(大隈は佐賀、板垣は土佐)
結局、統治能力をろくに持たず、国を背負って軍備拡張という命題に、どう財源を確保するか大隈内閣は苦慮し、支持層である地主達が嫌がる地租税は上げられないので、砂糖酒税を上げて民衆の反発を食う。
、、政党とは
「俺らに有利な政策を立案して下さいね。それなら指示するし、裏切ったら落としますよ。」という(利益誘導の)集団に担がれた物なのである。
これって、、今もちっとも変わっていないよなぁ。とかなり悲しくなった。
明治維新は
「お侍がやるもんだ、それがあの人達の役割だ。」
と他の身分の人達は思っていたし、長州の奇兵隊という例外はあるものの、何処か他人事で近代化の意味や、日本と言う国が置かれた危うい立場を、理解している人達はごく限られた人々だったと思う。
薩長はその牽引役という自負があるから、大隈如きが一朝一夕に政権交代を担える訳が無いと、先を読み切っていたのだろう。
以後、政党内閣の失脚を見て抜かり無く藩閥体制を組んだのが山県有朋で、
「政党に政権を渡したらロクなもんじゃない。」
を合言葉に、官僚、司法と隙間無く藩閥で埋めてゆく。この辺り、阿吽の呼吸で「怜悧な長州人達」である伊藤と山縣の連携とでも言おうか、、さすが、一番政治家を輩出している県である。
結局、大多数の日本人は自分達の事しか思いの及ばない甘ったれた民なのだろうか?一人一人はとっても善人で狭い範囲の事を考えるのは得意だが、大きな事になると、よく解らなくなって、取りまとめ役を引きずり下ろしてしまうのか。。
脈絡無く考えていたら、今日こんなtweetに出会った。
小黒正一さんのつぶやきと、池田信夫先生のブログがとっても的確に言い当てている。
いまの政治の惨状をみる限り、戦後日本民主主義の総決算が必要なように思う。結局、日本人にとって「国家=客体」であり、自ら参画し「公」を創りあげる対象としての「国家=主体」ではなかったという可能性が高い。http://t.co/beQ00pt
今月から、番組は官僚の歴史だそうだ。これも楽しみ。
-- iPhoneから送信
2011年7月1日金曜日
「儲けるなら科学じゃ無いの」堀江貴文/成毛眞 著
軽快な語り口の対談本。
ホリエモンと、元日本Microsoft社長の成毛氏の知識の広さは凄い。二人共ハンパ無い関心の広さと鋭い指摘なのである。
生命科学の章では、細胞のアポトーシスと個体の死に関する二人の捉え方の違いも面白い。私はどちらかと言えば、成毛さん寄りかな。でも、ホリエモンが言うと、ガンでも肥満でも、何だか克服出来ちゃいそうに思えるのが、彼の事業家としての強さである。
何故、堀江氏がロケットを上げているのか、その理由も解って面白い。
惜しむらくは、編集者が口語体をそのまま活字にしているから、やたらと「〜じゃないですか」が連発されている所。話しの解る人との会話が楽しくて、つい、頻繁に発してしまったのだろうが、読む時は辛い。文意が変わらない程度に、語尾を丸めて欲しかったな。
成尾氏の巻末「サイエンス本リスト」が本好きにはたまらない。どれか一つ読まなくちゃなぁ。しかし、在学中の学生の割合で理学生って8万人しか居ないのか。。(経済学等の社会科学系は140万人)今回の震災でよく判ったけど、理学系に進学出来る程、実力は無いとしても、もう少し「サイエンス・リテラシー」を普通の人も身につけなくちゃなと思った。(たとえ子育てに忙しい母親でもね)
ホリエモンと、元日本Microsoft社長の成毛氏の知識の広さは凄い。二人共ハンパ無い関心の広さと鋭い指摘なのである。
生命科学の章では、細胞のアポトーシスと個体の死に関する二人の捉え方の違いも面白い。私はどちらかと言えば、成毛さん寄りかな。でも、ホリエモンが言うと、ガンでも肥満でも、何だか克服出来ちゃいそうに思えるのが、彼の事業家としての強さである。
何故、堀江氏がロケットを上げているのか、その理由も解って面白い。
惜しむらくは、編集者が口語体をそのまま活字にしているから、やたらと「〜じゃないですか」が連発されている所。話しの解る人との会話が楽しくて、つい、頻繁に発してしまったのだろうが、読む時は辛い。文意が変わらない程度に、語尾を丸めて欲しかったな。
成尾氏の巻末「サイエンス本リスト」が本好きにはたまらない。どれか一つ読まなくちゃなぁ。しかし、在学中の学生の割合で理学生って8万人しか居ないのか。。(経済学等の社会科学系は140万人)今回の震災でよく判ったけど、理学系に進学出来る程、実力は無いとしても、もう少し「サイエンス・リテラシー」を普通の人も身につけなくちゃなと思った。(たとえ子育てに忙しい母親でもね)
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