トレードマークのポーズ。戦後大衆が生んだ政治家。 |
子どもだったから「あの人は悪い人なんだな。」とラベリングして、それっきり考えた事も無い。
「あれ?」と思い直すきっかけは、去年、茂木健一氏がTwitterで「角栄」という連続ツイートを書いていたのを読んでからだ。
茂木氏は「角栄さんは、私たち日本人にとって、一つの「宿題」なのだ。」
今一度読み返すともっと理解で来そうな気がする。 |
どちらも「反田中」でも「角栄礼賛」でも無い、バランスの取れた内容で、あの時代の角栄を比較的リアルに描き、なぜ彼が登場したのか時代背景を考える良い材料だ。
オールリセットの焼け跡が生み出した政治家
「俺たちは絶対に国家に殺されない。死んでたまるか。」
田中角栄という人の本質をずっと掘り下げて行くと、きっとこの言葉に行き当たる。
保阪氏の序章を読んで、これまで理解出来なかった角栄という人の根っこにパッと光が当った感じがした。
そうなのだ、これが分からないと角栄は「単なる金に汚い土建屋のオヤジ」としか理解出来ない。この要の記述を冒頭に持って来る所が、保阪氏の老練さだ。
田中角栄は大正七年生まれ。最も戦争で「殺された」世代だ。最終学歴は小学校のまま、東京に出て働いていた所を、徴兵された。
その後の軍歴は「渡満→病気発症の為戦線離脱→除隊」となっているが、保坂氏は遠回しながらこの事に「疑惑」の目を向ける。ーー「陰で言い伝えられていた『軍隊』抜けの手の込んだ仮病」で難を逃れたのではないかと暗に示唆しているのだ。(若い山崎氏はもっと素直に、角栄は重い病気で生死の境を彷徨った挙げ句、運良く回復したとしている。)
角栄が所属した部隊は、後にノモンハン事件で派遣され、装備に勝るソ連軍と対峙して死傷率7割という壊滅的打撃を受けた。角栄はギリギリの所ですり抜け、生き延びたとも言える。これを「運が良かった」とせず「したたかに自分で仕向けた」と保阪氏は解釈する。
入隊前から既に世間の風に吹かれ、世の中の「本音と建前」を知り、女性経験も持った「権力は無いが生命力旺盛な男達」の代表が角栄だったのだ。
この点、次回取り上げるの「ダイエー創始者の中内功(大正11年生まれ)」や「山本七平(大正10年生まれ)」世代はもっと痛々しい。学業の途中で強制的に軍隊に取られ、史上最悪の戦略無き杜撰な作戦で、大量に犠牲を強いられたからだ。
若さ故の「純真無垢」に国家が付け入ったとも言える。「逃げよう」という知恵も回らず、「死して護国の鬼になる」と信じ込まされた悔しさはいかばかりだろう。
戦後「自分達は騙された」と想うのはもっともだ。その強い想いが強烈なドライブとなって、爆発的なクリエイティビティを生んだのだ。
角栄がどこか「あっけらかん」と汚職をするのに比べ、次回の中内の印象は「どこまでも薄暗い洞穴」が続いている。それは、昭和という時代の二面性を端的に表しているのかも知れない。
定見無きベンチャー政治家
保阪氏は、田中角栄には「定見が無い」という。「親米派」でも無く、かと言って「左がかった思想家」でも無い。言うなれば、
直近の問題を、最速最短で解決するにはどうしたらいいのか。、、と、これだけを考えていた政治家とも言える。
- 金がそこにあるのならどんどん使えばいいじゃないか(郵政大臣で初入閣した時に郵便貯金という大きなお財布を発見!!これを使おう!)
- ルールが無いなら作ればいいじゃないか(議員立法100本以上、この記録は未だ塗り替えられず!とにかく作る作る!)
- 困った人がいるならば救済すればいいじゃないか。(目白の田中邸には陳情受付の特別スペースがあって凄い早さで処理されていた!)
「角栄が高度経済成長を潰した」 とは、「高度経済成長は復活出来る(増田悦佐著)」の見解だが、池田信夫氏は
「角栄がああやって都市に集中した富を地方に分配した結果、高度経済成長は止まってしまったが、都市のスラム化は防げた。急速な発達は激しい格差を生んで、都市にスラム街を抱えてしまいがちになる。東京は驚く程、世界の中でもスラム街が無い。」という。確かに。。。これが物事を立体的に見るという事なのだろう。また同氏は「角栄は政治家のベンチャーだった。」とも言われた。
政治家の本流は、前々回の岸信介や福田赳夫、中曽根康弘(つまり官僚系)で、角栄はどうしても「傍流」の域から出られない。
傍流の悲しさで「金はある」「定見は無い」「何となく民衆の味方っぽい感じでちょっと左?」が特徴だが「肝心な情報を押さえる」という点で、本流に及ばなかった。そこを突かれて最後はロッキード事件にはまり込んでしまった、、、という解釈はさすが元NHK報道局ディスクの経歴を持つ池田氏の話は面白い。
資本主義は3%の無鉄砲で支えられている
池田氏は、角栄政権後半に起きたオイルショックは不運な巡り合わせだったという。
「角福戦争と言われて、辛くも角栄が首相になったが、順序が逆だったなら良かったかも知れない。福田赳夫はデフレ的抑制政策をするタイプで、角栄はその逆。オイルショックのような外的要因が襲いかかった時、角栄のインフレ政策が却って狂乱物価を招いてしまった。」世界的に見ても、サッチャー、レーガンと財政再建を主とした抑制政策に舵を切った時代であり、日本はちぐはぐな事をしてしまった。
そこへ週刊文春の「立花隆レポート」が角栄の汚職疑惑をあばく形で掲載され、ロッキード事件が始まる。本書はロッキード事件にはあまりボリュームを割いてておらず、池田氏も
「汚職が良いとは言えないが、ではCIAから金をもらっていた岸はどうなのかとなる。それまで官邸記者クラブでは『公然の秘密』で、みな知っていたのを、無名のルポライターだった立花隆が、怖いもの知らずで書いてしまった。今なら「名誉毀損」で裁判で訴えられたら負けただろう。あれはノンフィクション・ルポの始まりで、その衝撃の強さに報道も加熱し、以後どうも『ロッキード事件の田中』という所に目が行ってしまいがちになる。もう少し視線を引いて、彼の存在の意味を考えてみるべきだろう。」「資本主義は3%の無鉄砲で支えられている」とはミルトン・フリードマンの言葉だそうだ。角栄は「アニマル・スピリッツ」の塊のような人で、戦後の焼け野原にはこんなバイタリティーが必要だったと、池田氏は言う。
「あー、うー」とあだ名された、かの大平正芳元首相は大変な読書家で有名だった。この大平と角栄が昵懇だったことを考えると、角栄にはどこか憎めない「人望」があったのだろう。本書にこんな印象的な一節がある
田中は、大平の話す内容は精緻であり、その論旨も明快なのに、なぜ人の心を打たないのだろう、といつも気にかかっていた。(中略)田中はその事を何度も大平に忠告したという。保阪氏は「田中角栄のスピーチは文字起こしすると、殆ど内容を成さない。」と手厳しい。 角栄政権での最大の功績と言える、日中国交正常化の背景には、外務大臣だった大平の意向が大きく影響していた。この一見、水と油ほどに違いそうなキャラクターの二人が歩調を合わせた事も興味深い。角栄から帝王学を直伝された直系の小沢一郎氏とこんな所に「格の違い」が出るのかも知れない。
「お前さんの話の内容を記録に残すと、誰もが感動するような重みがあることがわかる。しかし、なぜ同じ言葉で説得しても人が動かないのか。お前の喋りは眠たくなってしまう。まずは<間>をとるように気を使わなければだめだ。」
大平は、「だからお前にいつもごまかされてしまうのかな。」と苦笑したという。( p139)
いろいろな点から考えて角栄は、大衆が望み、大衆が生んだ政治家だったんだと味わい深く認識している。