兵站(へいたん Logistics)とは一般に戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また実施する活動を指す用語であり、例えば兵站には物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。兵站の字義は「軍の中継点」(Wiktionary 「站」)であり、世界中で広範に使用される英語での「logistics」は、ギリシア語で「計算を基礎にした活動」ないしは「計算の熟練者」を意味する「logistikos」、またはラテン語で「古代ローマ軍あるいはビサンチンの行政官・管理者」を意味する「logisticus」に由来する(Wikipediaより)坂の上の雲ではこんな事を描いている。
- 日本陸軍は遺伝的に「兵站」に対する感覚が鈍かった。
- ドイツから招いたメッケル少佐が、当時の陸軍大学校で「兵站のプランを考え、実施する」という演習をした。生徒は「梅干しを多めに用意しておけば良かろう。」とその通りにして、大変な勢いでどやしつけられた。。というエピソードがある。
- 内戦しか戦った事が無い日本民族は、戦は基本的に「現地調達(略奪ばかりでは無かったが、行った先でもらって食べる等)」で物資を長距離運ぶという感覚が判りにくかった。(例外的に豊臣秀吉は違ったとも書いている)
- その悪癖は昭和に入っても治らなかった。それは兵站部を蔑視する感覚に由来した。
- 海軍は兵器あっての組織で、陸軍に比べると、兵站の準備に抜かりが無かった。
私はこの内容がもの凄く印象に残った。と同時に、「分かる分かる!」と膝を打ちたいばかりに、ニヤニヤしながら読んでしまった。
そう、未だに日本の固陋な組織は「兵站」をばかにする風潮が抜けていないのだ。前線で華々しく活躍する兵隊(例えばメーカーではエンジニアとか商品企画部門)が主役で、円滑に進める為の、縁の下の力持ちは「居て当たり前、ま、適当にやっといて。」の感覚が抜け切っていない。表向きは「助かってます。」とは言うけれど、心底重要性を理解していない事が透けて見えるのだ。
そして、私がもの凄く共感してしまったのは、家庭生活も基本的に「兵站」だと判ったからだ。
毎日食材が冷蔵庫に満たされているのはなぜか?具合が悪くなった時、怪我をした時、どこからともなく薬や、絆創膏が出て来るのはなぜか?消耗品が補充され、ゴミがいつの間にか無くなっているのは何故か?
適正な「入り」と「出」を掌握して、調整するのは組織が健全に動く為に必要不可欠な機能で、家庭生活はその塊なのだ(そしてくつろぎ、育む場でもある)。
NHKの土曜ドラマで「神様の女房」が放映されている。(今日がきっと二回目)松下幸之助の夫人「むめのさん」を主人公に据えたドラマなのだが、第一回目を見て
「ああ、この人は兵站が判っていた人だったんだ。だから松下幸之助がここまで成ったんだ。」
と判った。
彼女の実家は、淡路島で手広く海運業を営む商家で、沢山の姉弟の中の次女として育った。むめのの父(津川雅彦演じる)は、幸之助との結婚には良い顔をせず、祝言の席で娘の事を褒めちぎる。
「動くのが好きで、気働きが出来、料理裁縫どれをやらせても器用で上手く、そつが無い。おまけに身体が丈夫と来ている。男であれば優秀な船乗りになれる所を、 実に惜しい。」
常磐貴子さんが演じているので、どうしても「可憐」な人に見えてしまうが、実際の写真を探してみると、どっしりとした「肝っ玉母さん」で「そうよ、そうでなくっちゃ!」という感じである。
「よく居る、しっかり物のお母さんだよね。」
と思ってしまう男性諸氏は認識が甘い。この様な人達にもっと権限を与えていますか?今の社会は?と問いたい。
さて、なぜむめのさんが凄く「兵站」感覚を持っているなぁと思ったのが、新婚時代の話。家計を預かって、最初に予算を組んでいる。
いや、わかっちゃいるけど、これはなかなか難しい。私の母なぞ、ついぞ予算なんか組んだ事は無く、いつも「感」で家計をやりくりしていた。だから私も働くまで(いや、働いてしばらくしても)「予算を組む」というのがどういう事なのか、しばらくピンと来なかった。欲しいなと思う物があっても、その時お金が無かったら「諦める」という選択肢ばかり。。あったら、あっただけ使う、、という感じは、世の家計を預かる人にありがちな事では無いだろうか。
単に、予算を組むと言っても、家計の基礎代謝量を把握しないで予算編成すれば「無謀な切り詰めで弱体化を招く」という事も、むめのさんはすぐに気が付く。
自分の夫の月給は日割制で、病欠すれば給与額は減ってしまう。当時、幸之助氏は大阪電燈(現、関西電力)の配線技師の仕事をしており、身体を使う職種だった。
予算を組んでその通りに、やりくりしようとしたものの、予算内に収めようとすると内容に響き始める。
「週に一度はお肉を食べましょう。」
身体がもとでの仕事には、必要な栄養素は確保しなければならない。でもそれにはコストがかかった。
ここで彼女はこっそりと、縫い物の下請けを始める。実家がかなり裕福なのだから「支援」を要請すれば手っ取り早いであろうに、そう思わない所が肝が座っている。(易きに流れたら、今の松下グループは無いでしょうな。)
しかも、父親が誉めるだけあって、相当腕が良かったのだろう。夫が夜学に行って不在の間、せっせとこなした下請け賃料が積もり積もって40円。後に、幸之助氏が大阪電燈を独立起業する為に退職した時の退職金を上回ったというのだから、なかなかに痛快である。
現状を把握する、合理化を追求する、必要な時にはリソース投入は惜しまない、そして、強みを生かしてインカムを増やす。その見識の確かさは、起業家の妻として、これ以上望みようが無いですな。
さて、日本を代表する世界企業の創業期のお話、時代の違いはあっても、なかなか面白く今振り返ると何か気付きもありそうで、続きを注目しております。