2011年10月9日日曜日

「神様の女房」を観て兵站ってとっても身近で重要な事だと再認識した

実は、「坂の上の雲」を読むまで、私は「兵站(へいたん)」という言葉を知らなかった。
 兵站(へいたん Logistics)とは一般に戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また実施する活動を指す用語であり、例えば兵站には物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。兵站の字義は「の中継点」(Wiktionary 「」)であり、世界中で広範に使用される英語での「logistics」は、ギリシア語で「計算を基礎にした活動」ないしは「計算の熟練者」を意味する「logistikos」、またはラテン語で「古代ローマ軍あるいはビサンチンの行政官・管理者」を意味する「logisticus」に由来する(Wikipediaより)
 坂の上の雲ではこんな事を描いている。
  •  日本陸軍は遺伝的に「兵站」に対する感覚が鈍かった。
  • ドイツから招いたメッケル少佐が、当時の陸軍大学校で「兵站のプランを考え、実施する」という演習をした。生徒は「梅干しを多めに用意しておけば良かろう。」とその通りにして、大変な勢いでどやしつけられた。。というエピソードがある。
  • 内戦しか戦った事が無い日本民族は、戦は基本的に「現地調達(略奪ばかりでは無かったが、行った先でもらって食べる等)」で物資を長距離運ぶという感覚が判りにくかった。(例外的に豊臣秀吉は違ったとも書いている)
  • その悪癖は昭和に入っても治らなかった。それは兵站部を蔑視する感覚に由来した。
  • 海軍は兵器あっての組織で、陸軍に比べると、兵站の準備に抜かりが無かった。

私はこの内容がもの凄く印象に残った。と同時に、「分かる分かる!」と膝を打ちたいばかりに、ニヤニヤしながら読んでしまった。
そう、未だに日本の固陋な組織は「兵站」をばかにする風潮が抜けていないのだ。前線で華々しく活躍する兵隊(例えばメーカーではエンジニアとか商品企画部門)が主役で、円滑に進める為の、縁の下の力持ちは「居て当たり前、ま、適当にやっといて。」の感覚が抜け切っていない。表向きは「助かってます。」とは言うけれど、心底重要性を理解していない事が透けて見えるのだ。

そして、私がもの凄く共感してしまったのは、家庭生活も基本的に「兵站」だと判ったからだ。

毎日食材が冷蔵庫に満たされているのはなぜか?具合が悪くなった時、怪我をした時、どこからともなく薬や、絆創膏が出て来るのはなぜか?消耗品が補充され、ゴミがいつの間にか無くなっているのは何故か?

適正な「入り」と「出」を掌握して、調整するのは組織が健全に動く為に必要不可欠な機能で、家庭生活はその塊なのだ(そしてくつろぎ、育む場でもある)。

NHKの土曜ドラマで「神様の女房」が放映されている。(今日がきっと二回目)松下幸之助の夫人「むめのさん」を主人公に据えたドラマなのだが、第一回目を見て
「ああ、この人は兵站が判っていた人だったんだ。だから松下幸之助がここまで成ったんだ。」
と判った。
彼女の実家は、淡路島で手広く海運業を営む商家で、沢山の姉弟の中の次女として育った。むめのの父(津川雅彦演じる)は、幸之助との結婚には良い顔をせず、祝言の席で娘の事を褒めちぎる。

「動くのが好きで、気働きが出来、料理裁縫どれをやらせても器用で上手く、そつが無い。おまけに身体が丈夫と来ている。男であれば優秀な船乗りになれる所を、 実に惜しい。」

常磐貴子さんが演じているので、どうしても「可憐」な人に見えてしまうが、実際の写真を探してみると、どっしりとした「肝っ玉母さん」で「そうよ、そうでなくっちゃ!」という感じである。
「よく居る、しっかり物のお母さんだよね。」
と思ってしまう男性諸氏は認識が甘い。この様な人達にもっと権限を与えていますか?今の社会は?と問いたい。

さて、なぜむめのさんが凄く「兵站」感覚を持っているなぁと思ったのが、新婚時代の話。家計を預かって、最初に予算を組んでいる。
いや、わかっちゃいるけど、これはなかなか難しい。私の母なぞ、ついぞ予算なんか組んだ事は無く、いつも「感」で家計をやりくりしていた。だから私も働くまで(いや、働いてしばらくしても)「予算を組む」というのがどういう事なのか、しばらくピンと来なかった。欲しいなと思う物があっても、その時お金が無かったら「諦める」という選択肢ばかり。。あったら、あっただけ使う、、という感じは、世の家計を預かる人にありがちな事では無いだろうか。

単に、予算を組むと言っても、家計の基礎代謝量を把握しないで予算編成すれば「無謀な切り詰めで弱体化を招く」という事も、むめのさんはすぐに気が付く。
自分の夫の月給は日割制で、病欠すれば給与額は減ってしまう。当時、幸之助氏は大阪電燈(現、関西電力)の配線技師の仕事をしており、身体を使う職種だった。
予算を組んでその通りに、やりくりしようとしたものの、予算内に収めようとすると内容に響き始める。
「週に一度はお肉を食べましょう。」
身体がもとでの仕事には、必要な栄養素は確保しなければならない。でもそれにはコストがかかった。
ここで彼女はこっそりと、縫い物の下請けを始める。実家がかなり裕福なのだから「支援」を要請すれば手っ取り早いであろうに、そう思わない所が肝が座っている。(易きに流れたら、今の松下グループは無いでしょうな。)

しかも、父親が誉めるだけあって、相当腕が良かったのだろう。夫が夜学に行って不在の間、せっせとこなした下請け賃料が積もり積もって40円。後に、幸之助氏が大阪電燈を独立起業する為に退職した時の退職金を上回ったというのだから、なかなかに痛快である。

現状を把握する、合理化を追求する、必要な時にはリソース投入は惜しまない、そして、強みを生かしてインカムを増やす。その見識の確かさは、起業家の妻として、これ以上望みようが無いですな。
さて、日本を代表する世界企業の創業期のお話、時代の違いはあっても、なかなか面白く今振り返ると何か気付きもありそうで、続きを注目しております。

2011年10月7日金曜日

同時代人を失う事、歴史を見る眼差し〜加藤陽子先生の著作が教えてくれたもの

昨日の大ニュース で、すっかり動揺してしまった。そして、ハタと気が付く。

「この悲しみは、同時代人を失った悲しみなんだ。」

2011.10.5まで、スティーブ・ジョブスは歴史の人では無く「今の人」だった。だから意識もしないし、居て当たり前だった。今を生き、Appleの次の製品発表は何かなぁと漠然と期待し、「歴史」を趣味として他人事のように安穏と眺めるだけで良かった。

でも、今は違う。
同時代が足元から「歴史」という保管庫に入っているという事実。頭では「歴史は今の地続き」と判っているつもりでも、どこかで見て見ぬふりをしている。
「そうでは無いのだ、おまえも歴史の一部なのだ。」
と現実を目の当たりされて、うろたえている。

歴史の潮目は緩やかに変化し、ずっと眺めていると、かえって判らない。毎日顔を合わせる家族の成長や老いに鈍感になるのと同じだ。ちょっとしたきっかけで時間の経過に唖然とする。

もう、あんなに人をワクワクさせてくれる人物は二度と出て来ないのでは無いか。 この先つまらない世界しか無いんじゃないか。どうしたらいいのか。。。
そこまで考えて、ふと思う。

「そうか、加藤先生が言いたかった事はこれか。」

おぼろげながら、最近読んだ本が言わんとしている事が理解出来た気がした。

加藤陽子先生は、東大文学部で近代史を専門に教鞭を取っておられる。
「大学で、こんな先生に師事してみたかった。」と思ってしまう。とても考え方が立体的で素晴らしい。
歴史好きでなくとも、加藤陽子先生の著書は一度は読まれる事をおすすめする。(現役東大文学部一年生よ。諸君らの幸運を心すべし!)

先生の調べは緻密で、しかも視点が広い。私的に残された日記、メモ、各国の公文書館で公開され始めた機密書類、諜報情報と、鳥の目、蟻の目と視点が自在に動く事で、歴史が立体的に浮かび上がる。
一般的に語られていた事をそのまま掘り下げて、デティールを追うのでは無く、経済、外交、世界情勢と言った世の中を形成するに不可欠なジャンルからも歴史を眺める。そしてその時
「自分がその当事者だったらどう判断し、振る舞うのか。」
と問う。
すると、全く違ったリアリティある歴史が浮かび上がる。

加 藤先生の著作は、丹念に小さなファクト(事実)を積み重ねる。それでいて、堅苦しい 訳でも無く、冷たい訳でも無い。むしろ、滲み出る優しさがある。それは、過去に生きた人であろうとも、無邪気に批判の鞭(無知とも言える)を加える事を 良しとしない、「引受ける姿勢」に貫かれているからだ。

著書のあとがきの一文が非常に良いので引用したい。
私たち日々の時間を生きながら、自分の身の回りで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また、現在の社会状況に対する、評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例から類推を行い、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。 そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積され、ファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと、私は思います。(「それでも日本人は「戦争」を選んだ」あとがきより)
これは歴史を見る視点だが、レッテル貼りをせず、一見遠い関係に見えそうな事柄を結びつける行為は、画期的発明(イノベーション)が生まれるのに必要な素地と同じではないかと思ったのだ。(ジョブスの演説で言う所の、「点と点をつなげる」)

未来を予測するのは超人的な才能だけでは無い。無意識下に蓄積された過去の事例の多寡も、きっと、いや、かなり影響するのではないか。
ジョブスが凄かったのは、その点同士をアレンジする力であり、完成型のビジョンが見えた途端、精緻に根気強く投げ出さないで積み上げてゆく粘り強さだ。

今後、沢山の逸話や伝記、エピソードが出て来るだろう。

「あんなの、どれをとっても普通の技術なのさ、何一つ目新しい事は無い。GUIだってジョブスが生み出した訳では無いんだ。」

そんな声も聞いた事がある。そう言い出す人も増えるだろう。

だが、と思う。一つ一つはそうかも知れない、でも「適切な時に適切な結びつき」が出来るかどうかは、深い美意識に裏付けられなければならない。
浅知恵のアッセンブリーからは残念ながら生まれないのだ。人の世を深く理解するには、様々な知性を総動員しなければ、その一旦を掴む事すら難しい。そんな事を思った。

昨夜公開されたクローズアップ現代の
2001年に行われたジョブスの貴重なインタビュー
今から10年前と思うと、非常に深い内容である。
「もっとコンピューティングは、人間的でエモーショナルな表現が出来るはずだ、それを手助けしたいんだ。」
インタビュー後半5分に語られるビジョンを、その後の10年で着実に実行して行ったジョブス。奇しくも国谷キャスターが
「10年後はどうなっていると思いますか?」
という問いは、歴史的問いだったと思う。

2011年10月6日木曜日

スティーブ・ジョブスがいつも背中を押してくれた

四歳の娘が、iPad2で映画を観ている。ドックに挿したiPhone3GSからiTunesで買った曲が流れている。そして今日のエントリーも iMacで書いている。今日という日にこのエントリーは書かねばなるまい。

スティーブ・ジョブスの早過ぎる急逝に、世界が泣いている。そして、自分でもびっくりするぐらい、ショックを受けている。会った事も無いし、名物の基調講演も熱心に聞く程「信者」では無いけれど、成人として世間に出る頃から、ジョブスの生み出す製品に恩恵を受けてここまで来たと、認識を新たにしている。

グラフィック・デザイン界にMacが無かったら、、、恐らく、私は身体を壊して一線を退いていただろう。大袈裟でなく、結婚も、出産して子どもを産む事も、叶わなかったかも知れない。それほど、グラフィックデザインの末端現場はキツく、3 K職場であった。(まあ、今でもその傾向はあるが)Macの登場とその内容と質の高さは衝撃的だった。
「版下の誤植をこれで切り貼りしなくていい!」喉から手が出る程、みんな欲しがった。今や業界の伝説である。

「Macはセンスがある。」デザイナーでは無く、エンジニアである夫はこう言った。さして共通の趣味が無い私たちが、もう十年以上夫婦で居られるのも、Macの先進性と、とてつもない凄さを一発で理解し合えているからだと思う。結婚以来、我が家の敷居をWindowsマシンが跨いだ事は無い。

「Apple倒産するかも知れないな。」
夫がこう言ったのは、確か1998年頃だったと思う。仕事に欠かせないMacが無くなったらどうしようと戦慄したからよく覚えている。

奇妙な事に、私はNeXT版のIllustraterを使った事もある。これはかなり希少な経験者では無いだろうか。1995年頃だから、まだジョブスはAppleに復帰していない。NeXT STEPは今のMacOSXの原型であるという話は有名だが、才気走ったアイデアを具現化するハードが追いついていないというのがNeXT STEPだった。そして、あの当時のAppleは迷走していた。

「Appleはジョブスを迎えて、『AppleはやはりAppleらしく先進的であろう』を合い言葉に再生します。」

とAppleジャパンの黒いTシャツを着たプレゼンテータが、何かのカンファレンスで話した事も妙に覚えている、あれは長女が既にお腹に居た時だから1998年の秋だったのではないか。それまで操業の象徴だった、虹色のリンゴマークを単色のリンゴに変えた頃である。まだiMacは出ておらず、しばらくして、あの鮮烈なCMを観た時
「ああ、この事だったか。」と合点が行った。

今日のTwitterで良いエントリーを見つけた
「まつひろのガレージライフ」
ここに書かれているジョブスの凄みは、経営者としてのジョブスの姿を表しているが
「やっぱり、独裁者で無いと良いものは作れないんだな。」
と読んでしまうのは、理解が浅い。彼は決して自分の欲望の為に「独裁者」になった訳では無い、その証拠は生み出した製品が雄弁に物語っている。私欲を満たしただけでは、これほど世に愛される訳が無いからだ。

曲がりなりにも、メーカーに務めていると、Appleは羨ましてく仕方無い会社だけれど、理想を具現化するには、技術、デザイン、交渉力、マーケティング全てに「スマートさ」と「諦めない強靭さ」が無ければ、多くの共感は得られないのだと思う。

「みんな不正がしたくて、している訳じゃない。正当な手段があればきちんと対価を払って買いたいはずだ、その方が便利だし楽しいから。」

とは、iTunesStoreを開く為に、大手音楽レーベルを口説き落した時の台詞だそうだ。Napstarをはじめとした、音楽デジタルソースの違法コピーが横行して、訴訟が起きていた当時、今思えばよくこれだけの交渉をまとめたと思う。

iPodの登場で、仕事に欠かせないメーカーから、生活に欠かせないパートナーになった。時間が極端に少ないWorkingMotherにとって、全ての楽曲を持ち歩ける魔法の箱は、片道2時間の新幹線通勤をどれだけ支えてくれたか知れない。

思い返すと、人生の節目、節目で「怯んでしまいそうだ」とか「諦めよう」とか、困難に出くわした時、楽しげに解決策を目の前に見せてくれたのが、Appleでありそれはスティーブ・ジョブスだった。

偉大なビジョナリーの命を奪った病は、癌だった。
これは勝手な私の思い込みだが、癌とストレスには因果関係があると聞いた事がある。ステーブ・ジョブスは、人々がどうしたら喜ぶのか、それを察知する感度が異常に高いのだと思う。ビル・ゲイツは
「ジョブスのセンスを買う事が出来るのなら、いくらでも出す。」
と言ったそうだ。
感度の高いセンスは、ストレスとの背中合わせだ。

操業したAppleを建て直すと決心した時から、彼は身を削って来たのかも知れない。そして、その意思とセンスは、誰かにそっくり受け継がれる事は無いけれど、少しづつ、彼と彼の製品を愛した人達の中に、根付いていると信じている。

心からご冥福を祈ると共に、感謝の念と、大事なバトンを受け取ったつもりで、微力ながら己を精進したいと思う。

Stay hungry stay foolish