視聴していない方の為に、簡単にアウトラインをご紹介すると。
- 日本軍も諜報活動はしていてマリアナ諸島から飛び立つB29の動きはある程度把握出来ていた。(昭和20年の春から終戦までの数ヶ月間)
- 交信の詳細は暗号化されて解読出来なかったものの、軍の部隊が規則性を持って組まれている事から予想して、これまでと違う特殊部隊が編成されている事まで掴んでいた。
- 広島のケースから考えて、九州地方にもまた同じ新型爆弾が落とされる、という報告が軍上層部まで上がっていた。
- 日本でも「原子爆弾」の研究を理化学研究所で行っていた。が、、資金力、組織力の面で到底扱い切れず、「開発は不可能」という事で断念。「アメリカもきっと開発は不可能である」と理由付けをして中止をする。 (アメリカは20億ドルという予算を注ぎ込んで開発していた。東条英樹ですらアメリカでは開発が進んでいるという認識でいた。)
まただなぁ、、。そもそも、一滴の石油も出ない国が全面禁油という制裁を受けながら、物量戦になっている二十世紀の戦争で、冷静に考えたら勝ち目は無いのにそれを見て見ないふりをして、空気に同調してしまう。カラ元気を鼓舞するかの様に、相手を過小評価する癖は、今の社会でも殆ど変わっていないじゃないか、、そう思わずにはいられない。
番組の後半、九州の大村湾に駐屯していた飛行部隊のパイロットだった本田さんの話が非常に印象的だった。氏は「紫電改」という日本に数少ない高度一万メートルを飛行出来る戦闘機のパイロットで、偶然、広島に原爆が投下された瞬間を上空で目撃したそうだ。
重い紫電改が爆風に煽られてしばらく舵が効かず、やっと体制を建て直したその瞬間、今まであった広島の街が一瞬にして消えて無くなっており、目の前に赤黒いキノコ雲を見たそうだ。
長崎へまた同じ特殊任務機が飛び立っている情報を、原爆投下5時間前に諜報部から大本営に情報が伝わっていたにも関わらず、何の出撃命令も出されなかった。本田さんは、その事実を66年経った今知って、愕然としておられた。
「B29は決して落とせない飛行機では無い。非常に難しいけれども、自分は落した事もあった。」
と語る。もし、あの原爆を搭載したB29に対峙していたら、この人の命は無かったかも知れない。。そう思うと、それはそれで居たたまれないが「何か出来たはずだ。」と心から悔しがる姿に、この88歳の老パイロットに、現代の人には見られない気迫を感じる。
番組の中で証言していた人々は、どの人も高齢だったが、みな頭脳明晰で当時の事をしっかりと順序だてて話をしている。
「現場は優秀で、指揮官は無能」
日本の典型的組織を揶揄した、悲しい諺を思い出す。日本人は先天的に「情報を判断して戦略を立てる」事が出来無いのではないか、、、そう思えて仕方無い。
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