2013年8月18日日曜日

NHK BSプレミアム「零戦 〜搭乗員達が見つめた太平洋戦争〜」

ラバウルの沖合に沈む零戦(NHKオンデマンドより)
NHKは毎年しっかり取材した終戦特集を組んでいる。去年は「戦艦大和」だったが、今年は「零戦」。「永遠の0」や「風立ちぬ」の公開もあってのことだと思うが、この夏は太平洋戦争関連の映画が多く、これまでと少し違う印象を受けている。

この番組で証言して下さった搭乗員の多くは80歳以上。17〜18歳で従軍しているのだから、いよいよ実体験を語れる最後の世代も少なくなっているのを実感してしまう内容だった。

日本がどの国と戦争をしたのか知らない高校生
今朝(2013/08/18)日経の「春秋」で、「ももクロ(現役高校生)は現代史を殆ど知らない」というコラムが載っていた。年号も戦争相手も無茶苦茶な回答ぶりに絶句してしまうが、周囲に実体験した人もおらず、歴史の授業でも、まともに教えてもらった事が無ければ仕方がないかも知れない。本人に興味が無ければそのまま大人になっても、何ら支障の無い世の中なのだろう。(世界に出すにはちょっと恥ずかしいけど。。)
この番組のように、良質な記録を残すのはそれだけでも意味があるが、これだけ他に面白い事が溢れている現代では、番組に気が付かずにスルーしてしまう人が殆どなのだろうなと思う。
我が家でも私だけがオンデマンドでこの番組を見たのは失敗かなと反省している。親が観ている番組を、つられて子どもも観るという経験をすれば、興味があれば自然に自分からもっと知ろうと思っただろう、、、。各自が端末の画面を見つめる「個別化」時代は、いつまでも「お気に入りの好きなコンテンツ」だけを見続け「背伸び」をする機会を奪っているのかも知れない。

零戦搭乗員の最後を見つめた角田さん
番組で、何人かの証言者が登場していたが、最も印象に残ったのは角田和男さんだ。(94歳)特攻隊を目的地までエスコートし、その最後を見届けた人で、小説「永遠の0」の主人公、宮部も物語後半には特攻の教官を務めながら、同じ役割をしていた。角田さんご本人も最後は特攻出撃命令を受けていたが、出撃前に終戦を迎えている。

二つの杖をつきながらも、頭脳明晰、記憶も鮮明で、ある17歳の特攻隊員の飛行機が敵艦の、どの部分へどう突っ込んで行ったのかとはっきりと話されていた。
最も辛い役割を負わされた人間の、静かで重い祈りが伝わって来るようだった。戦後は遺族を尋ねて自分が見届けた最後を話し、南洋の島々へ慰霊の旅へと向う人生を送られたそうだ。
「見届けた人150人の名前と念仏を唱えながら寝るんですが、最近は途中で寝てしまう事が多いんです。ラバウルからずっと続けて来ていたのですが。」
「明日出撃という前の晩。搭乗員達の宿舎を見張る当直の仲間に聴いたのですが、皆、眠りもせずギラギラと目ばかりが爛々と光りながらまんじりともしないで、じっと黙って座っているんだそうです。翌日、飛行機に向う時は本当に朗らかな様子を見せているんですが、どの組も、前夜はそんな様子だったと言うんです。」
角田さんは、今年(2013年)の2月に亡くなられたそうだ。最後の最後まで、自分の負った使命と向き合われた人生だったのだと思うと、深い敬意と哀悼の念を思わずにいられない。

過去から何を学ぶのか
毎年の特集を見て思うが、これを単に「過去の過ち」と思って受け止めるだけでいいのかとつくづく思う。この膨大な犠牲の元に戦後の復興があった訳だけれど、根底に流れる「変わらない日本人の思考癖」を思い知らねばならない。
  • 「軍神」と崇め奉ったかと思えば、戦後手のひらを返した様に右へならえしてしまう群衆達の「考えの無さ」
  • 「擦り合わせの名人芸」で図抜けたアウトプット(今回は零戦)を出せるだけの能力はあるものの、中長期的な戦略とそれを軌道修正する柔軟さの欠如。(思考オプションを自ら狭めてしまう。)
  • 4000人近い若者を飛行機もろとも突っ込ませる、そんな外道な戦法を年端も行かない者に押っつけてしまう「甘え」の構造。(それを目の当たりにする前線の同僚や上官達が精神的に追い詰められる重圧はいかばかりかと思う)

この国は、責任の所在を明確にしたがらず、曖昧なまま「何となく」ものごとを先に進めてしまう癖がある。「現場の兵士は最高、将官クラスは最低」とはよく言われる事だが、いつまで「現場に甘え」ているつもりなのかと思わずにいられない。