BSプレミアム「巨大戦艦 大和」
俳優:瀬戸康史氏がレポーター |
太平洋戦争末期に「特攻出撃」を命じられた巨艦大和から、奇跡の生還を遂げた乗組員への丹念なインタビューと、再現映像/再現ドラマで構成されている。
大和には約3300人の乗組員が乗船していたが、生還出来たのはわずかに300名に足らない。死亡率9割とは恐るべき数字であるが、「同じ船に乗る」とはそれだけ「戸板一枚下は地獄」の世界なのだと改めて痛感する。
漢字カナ混じりの漢文調だがすぐに慣れてしまう。 |
番組もほぼこの手記に沿った形で構成されていたが、改めて実際に起きた事を細かに知ると、「国をあげて物狂いしたように突き進んでしまったのはなぜなのか。」と考えてしまう。
戦艦大和に関して、これまで言われている事を乱暴に挙げてみると。
- 航空戦闘機と空母が主役の時代にあって一世代前の「艦隊決戦」思想から抜け出られなかった海軍の時代錯誤の産物。
- 「大和ホテル/武蔵旅館」と言われ、出来上がっても出撃命令は無く、いつも見送り役ばかりで、他の巡洋艦/駆逐艦の乗組員から揶揄されていた。
- 巨額の血税をして建造されたのは周知の事実で、その事が上層部の思考に「足枷」となった。
- 殆ど無意味と分かっている「沖縄奪還特攻任務」に最後は「巨艦が無傷で残っていては海軍のメンツに関わる。」という情緒的理由で、帰還を期待されない「死すべし」の特攻命令になってしまった。
恐るべき成功体験
二度読んだがもう一度読みたい良書 |
これまで、戦争がもたらす悲惨な状況はそれなりに多く見聞きして来たつもりだが、この著作によって、一つ「蒙が開かれた」体験をした。
現役の東大教授(加藤陽子教授)が高校生(栄光学園の歴史部!)に対して行った5日間の特別授業がベースになっているのだが、その内容の高度さと、分析の的確さ、講義に際し見事について行けている参加した高校生達のレベルの高さには本当に圧倒される。
この加藤教授は、海軍の「艦隊決戦思考」について、別の著書でも以下のように主張をされている。
- 日露戦争の「日本海海戦」の成功が『栄光の海軍』の捉われになってしまった。
- 真珠湾攻撃で自ら、航空戦闘機の威力を示してたにも関わらず、太平洋各所に設けた拠点を「飛行場」として整備する発想に乏しく、あくまで「艦隊給油港」としか認識していなかった。
- この当時の陸海軍の中枢を担った世代は、物心つく頃に日露戦争の戦果に高揚した世代である。
この中で、若い世代(尉官クラス)は早くから「大和は無用の長物」に気が付いており、もっと時代に即した内容にリソースを割かなければならないと主張するが、ボス世代(将官クラス)は
「艦隊決戦という我が方に有利な状況に持って行けばいい。」
「ここまで金を掛けて、使いませんでしたでは海軍の威信に関わる。」
と自分達の都合が良い方向に思考をむけたがる傾向がよくわかる。
このやり取り、75年前のものであるが、現代でもそのままではないかと思うのは私だけだろうか?
壮絶な死線を越えて帰還した人々の悲哀
大和は沖縄に到達する事無く、米軍の日本側暗号文の正確な解読によって、十分に準備された包囲網に飛び込んでしまった。
その時の様子を生存者達は語る。
「水平線上にぐるりと360度取り囲まれて、びっしり敵艦の姿が見えた。」
「母艦から飛び立つグラマン機が銀色に輝いていて、まるでおカイコのようだと思った。」
「大和自慢の46サンチ砲はとうとう最後まで、発射する事は無かった。照準を定めようと測距するも、すぐに飛行機が雲に隠れてしまって、そこから急降下するのだ。」
大和一艦の所を袋だたきにしているようなものだから、この証言は凄まじい。いよいよ舵が効かなくなり、浮沈艦と言われた「バラストシステム」では対応しきれず、大きく傾きだした所で「全員退避」の命令が下る。
3300人が一斉に艦上に出られる訳も無く、多くは艦もろとも沈んでしまったが、生き残った人々は、水中に吸い込まれた後、大和の弾薬庫の大爆発で水面に一気に押し出されたと証言している。海面に流れ出た重油でドロドロになりながら、辛うじて救護にやってきた巡洋艦に収容された。それでも、まだ波間には多くの人が助け求めていたが、それを置き去りにしたと言う。
証言者の多くは80歳以上の高齢で、当時は10代後半から20代半ばの若い徴用兵ばかりだ。自ら望んで軍隊に入ったのでは無く、兵役検査で入隊を強要されるのだが、それを「誉れ」とすべき重圧があったと言う。
「何度脱走したいと思ったか知れないが、それをすると郷里の両親が生きていけない。」この絶句すべき証言に考え込んでしまう。日本人は「同調圧力」が強いと言われているが、我が国固有の特徴なのだろうか?
「国の為に死ねるのは名誉な事である。と言わなければならない空気。」
「自分と兄と同じ大和に乗っていたが、自分だけ助かって兄は戦死してしまった。だが、もし兄も生きて揃って帰還してしまったら、それはそれで問題だったろう。一緒に入隊した同じ村の仲間は、みんな戦死しているのに、我が家だけ兄弟揃って生きて帰っては申し訳無い。」
過激な応酬が繰り返される中東では「聖戦士」は名誉な事として、周囲から賞賛され母親達は息子が自爆テロで亡くなっても嘆く事を許されない。(ハマスの女達より)一方、ソウル・サバイバー・ポリシーと言って、兄弟を同じ部隊に配属させてはいけない、という規定を持つアメリカ(映画:プラベート・ライアンのストーリーの根拠となった規定)。
まだまだ不勉強なので、結論めいた事は書けないが、同国人を思いやる社会的な認識はどうしたら醸成されるのかと思わずにはいられない。
終戦記念日に読むべき代表作
終戦の聖断に至る経緯がよく判る |
「もっと早く終戦の決断が出来ていれば。」
とは、ずっと言われて来ている事だが、歴史はそうでなかった事を教えてくれており、なぜ出来無かったのかも、控えめに語っている。最後に、加藤陽子教授のあとがきから引用して終わりにしたい。
私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行ない、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。
そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことだと私は思います。(それでも日本人は「戦争」を選んだ あとがきより)