2019年11月4日月曜日

十二国記「白銀の墟 玄の月」(一)(二) ネタバレまとめ

18年ぶりに「十二国記」の新刊が出て、ファンの間では「続きが待ち遠しい!」と話題の「白銀の墟 玄の月」ですが、いよいよ続きの三巻、四巻の発売が今週末に迫って参りました。
今回は『続編発売直前・おさらいまとめ』として、ネタバレ全開で一巻、二巻の出来事を可視化してまとめてみました。加えて、気になった「チェックポイント」もメモしています。
ネタバレ全開ですので、新刊未読の方はここから先は各自のご判断でどうぞ。又、「十二国記」を読んだ事が無い方にはサッパリ判らない内容ですので悪しからず。

メモを取りながらの二度読み
一度読んだだけでは詳細が頭に入らないので、メモを取りながら再読。メモは7ページにも及んでしまった!
 「十二国記」読者なら「あるある」だと思うけれど、このシリーズはとにかく「難しい漢字の固有名詞」のオンパレードである。頻繁にルビをふってくれているものの、途中で「???何て読むんだったっけ???」と戸惑う、人物名やら、地名やらが出て来て、それに悶えて悩むのも「十二国記の楽しみ」の一つである。

 けれど、今回の新作はこれまで以上に、登場人物が多く、地域を移動する描写がかなり混み入っていて、私なぞは途中から「李斎達は今何処に居るんだっけ?」と、場面設定が曖昧になってしまった。
 「これでも相当に内容を削った」と、最新インタビューで小野主上(!)は証言されていたが、今以上に緻密だったのかと思うと、小野不由美氏の構想力の高さには本当に脱帽する。

 漢字の「よみがな」やら、起こった出来事やらを書きながら再読したら、メモが7ページにもなってしまったので、折角だからその内容を可視化してみた。

 以下、続巻を読む時の参考になるかも知れないので。。


地図に足取りと出来事をプロット
 職業柄、情報を可視化する事が多いので、今回、自分用にメモした内容を、少し整えて物語の地図に落とし込んでみた。
 各巻の巻頭に掲載されている「十二国記」の地図を、独自にトレースして、自分好みに加工した上に
  • 登場人物の足取り
  • 里廬別の出来事
  • 驍宗の目撃証言
の3つを、それぞれにプロットしてある。 ちょっと高めの解像度で書き出しているので、スマホでは拡大表示したり、或いは、画像だけプリントアウトして読書中の「栞」替わりに使って頂いても便利かも知れない。

泰麒と李斎が戴へ帰って来てからの足取りと、順次加わっていく「旅の仲間」の名前を整理。最初に読んだ時は「鄷都」が加わったあたりから、人物の区別が段々つかなくなって苦労した。

里廬別に、重要と感じた出来事と登場人物のみを整理。文州に入ってからの動きを時系列に矢印で地図に落とすと、見た目が煩雑になって分かりにくくなってしまったので断念。

切れ切れに集まって来る、驍宗に関する情報を場所別に整理。「轍囲へ抜ける山道を丘の上から見下ろしていた兄弟の証言」の位置が、地図に落としてみるまで勘違いしていた。
実在しない場所の地図を、ここまで作らなくてもいいだろうと、自分でも苦笑しつつ、文章で読んでいるだけだと、今ひとつイメージが湧かなかった「文州周辺」の話が、地名を頼りに落として行くことで、互いの里廬の位置関係が見えて来た。
 恐らく、小野不由美氏も最初に地図を作ったはずで、そこから物語を紡いでいる様子が垣間見えて、堪らなく面白い。

 例えば、嘉橋から轍囲へ行くのに
「街道を使えば6日かかるが、山道を使えば3日で行ける、途中山道で一泊しなければならないが、その方が早いので轍囲の人間はよく使うんだ。」
という証言の箇所など、最初に読んだ時は「ふーん」と流してしまったが、地図作業をしてみると「おお!こっちの道だったのか〜!」」という発見があって、それだけでも「描いてみて良かった。」と思ったりする。


三、四巻へ向けてのチェックポイント
 既に読み終えた読者諸氏におかれては、いろいろと「ここポイントだろう!」と数々に散りばめられた「伏線」を巡って、あれやこれやと推理する楽しさの真っ最中ではなかろうか。
 私も御多分に洩れずなので「気になったポイント」を以下にまとめてみたいと思う。
  • 十二国記初「宗教団体」の存在
    • これまでの十二国記では「民の暮らし」は詳細に描かれてはいるものの、宗教に関して言及されている話は無かった。
    • ところが、今回、阿選を「王位の簒奪者」として糾弾した、瑞雲観(道教)の存在が大きい。政府とは別に「組織だった団体がある」という設定は、十二国記読者にとって、なかなか新鮮な感覚では無かろうか?
    • しかも、「瑞雲観」と「石林観」という宗派で、確執があるという設定が、なかなかリアルで、これまでは、王の『徳の優劣』に翻弄される『か弱き民』、という割とシンプルな直接関係しか無かった世界に「イデオロギー」が介在し始めているのかな?と思うと、往年のファンにとっては、この進化もたまらなく面白い。
  • 驍宗腹心の部下達の安否や如何に?
    •  逃走して行方不明の人物:英章、霜元、臥信、芭墨、花影
    • 白圭宮に居ると思われる人物:琅燦、巌趙(下僕に降格?)、正頼(監禁?)
    • 「黄昏の岸 暁の天」でもお馴染みの、驍宗政権の中枢メンバーは、琅燦以外、とうとう一、二巻では登場しなかったが、琅燦と阿選の「不思議な支配関係」は続編でも必ずや重要要素になると思われる。
    • 一見「裏切ったか琅燦!?」と思える振る舞いをしている彼女であるが、作中の彼女は、阿選は「呼び捨て」、驍宗を「様」付けで呼んでいる所に、彼女の真意があるのではと思える。博覧強記の才女であるから、深謀遠慮の末の行動なのでは??と期待もしている。(^ ^)
  • 新世代の主役達
    • 女私兵「耶利」と、驍宗を看取ったとされる「回生」が、若き新世代の主役達になるのは、ほぼ確実。(たぶん)
    • ファン心情としては「二巻の結末」は「いやいや、これでお終いじゃないでしょう!」と誰も信じていない状況ではあるが、果たしてここから、どう「理屈」を付けて話が進んで行くのか、小野主上の「ストーリーテリング」の手腕に、ただただ期待をしたい。
    • 因みに、、耶利の「主人」は琅燦ではないか?と私は睨んでいる。
  • 阿選は何を語るのか?
    • ネットですっかり有名になってしまった「鳩の鳴き声」が、阿選を取り巻く環境に蔓延する「何事にもやる気を失う」どんよりとした空気の誘発剤になっていそうなのは確かであるが、、一体あの正体は「何」なのだろう?
    • 悪事ですら「やる気がなくなる」とは、なかなか斬新な設定で「そう来たか!」と思っているが、「感染する人、しない人の間にある違い」も含めて非常に気になる。
    • そして、阿選は十二国記の中で、これまでまともに語った事が無く、一体何を考えているのか、内面が掴みにくいキャラクターなので、そこの部分にも言及があるのではないか?
  • 無名の人々は一体誰なのか?
    • 伏線として、数多くの「無名の人々」の描写が挿入されているが、特に気になったのが。。
    • 姉が飢え死にをしてしまった、貧しい三姉弟妹(函養山に向かって毎月供養をしていた)
    • 卵果が落ちて割れてしまったのを悲しんでいた若い閭胥。

 これ以外でも「あれは何?」「あの人は誰?」と謎が尽きない訳であるが、語り出したらきりが無いので、今回はこの辺で。。


 続巻発売後、答え合わせ的に「最終まとめ」も書かなくちゃならないだろうなぁ。。。
ともあれ、残りの数日を一日千秋の思いで、絶賛待機中である。

2019年10月12日土曜日

十二国記を待ちわびる 〜18年ぶりの新刊に寄せた雑感〜

小野不由美「十二国記」公式アカウント投稿より。
「十二国記新刊発売」の報を聞いて、何か書き残しておきたくて。。
十二国記を読んだ事がある方向けの、ネタバレ全開の内容です。未読の方には悪しからず。

十二国記を読み返す
「驍宗はどうなってしまったのか?角を失った泰麒、隻腕の李斎、何の力も持たない二人で戴国へ旅立ってその先一体何が待ち受けているのか。。。」

、、で途切れてしまって、早18年。私は10年待ちだから「初期のファン」に比べたら半分しか待っていない若輩者だが、それにしても「この続きが未完だなんて。。」と、一人で小さく叫んでしまったのを今でも覚えている。

「十二国記」を誰かに勧めるのはとても難しい。。実際「どこから読み始めるか」で「月の影〜」ルートと「魔性の子」ルートがあって、ファンの間でも意見が別れるところらしい。(私は「月の影」からルート)

物語の設定を「王様が居て、麒麟が居て、十二の国があって。。」と箇条書き的に羅列すると「ああ、よくある異世界ファンタジーね。」で片付けられて「そうじゃないんだ、もっと深い話じゃないんだ!」と力説して一人空回りする「悲しいループ」に入ったりもする。(涙)

因みに、私は普段そんなにファンタジーは読まないので、「きっと〇〇みたいな作品だね。」と言われても、〇〇を読んだ事が無いから比較検討の上「いや違う!」って反論が出来ず、悶々とする事がとても多い。(^_^;)

そんな事もあるけれど、どう言われてもファンである事に揺るぎは無いので、新刊が出るにあたり、急いで既刊本の読み返しを始めている。講談社文庫時代に二度、新潮社から完全版が出た時にもう一度読んで、今回で四回目の「通し読み」を現在進行中だ。

既に知ってる内容ばかりだけれど、待ち続けた10年を経て読むと、以前読んだ時とは違う印象を受けるから物語は面白い。

大好きな驪媚(りび)〜その他市井の女性たち〜
この長い物語で大好きな人物は多いが「東の海神 西の蒼海」に登場する驪媚は特に印象的で心に残る。

彼女は、自分が最も危険な立場に追い込まれる役職であるのを承知の上で、尚隆からの任命を受け、自分の命を差し出す事で、考えの浅かった六太を諭す。
渾身の迫力で「尚隆の考えていること」を六太に説明するくだりは、何度読んでも唸って痺れる。そして結末を思うと、より一層切なくもなる。

私がもし驪媚だったら、あの様に自分の命と引き換えに役目を果たす勇気があるだろうか?そんな事も考えるし、彼女の聡明さを見抜いて「すまぬ」と謝りながら死地へ赴かせた尚隆とのやり取りを読むと、上司と部下と言う関係を越えた、堅い信頼の上で「何としても国を興す」というそれぞれの決意に凄く心打たれる。

この巻には他にも「意を決した女性達」が複数いて、赤ん坊を抱きながら「徴兵に志願しに来た若い母親」や、六太を牢獄から逃した罪に問われて「妖魔に食い殺される女官」など、市井の名もなき民でありながら「この国を揺るがせにしてなるものか。」という、彼女らの必死の想いが、新しく王として立った尚隆を支えている。そして、その想い一つ一つを「我が身」と称して想いやる尚隆は、やはり優しくて器が大きい。

「東の海神〜」はその尚隆の「戦略判断」が、小気味いいほど安定していて「大逆転の勧善懲悪」なカタルシスがある。テンポ良く、ハラハラと物語は進むけれど、実は一番安定した娯楽性の高いエピソードだなと私は思っている。
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2019年10月12日(土) いよいよ、待望の新刊発売日なのに、超弩級の大型台風19号が接近中で、どうやら初日に新刊を手に出来る人は少なさそうだ。
十二国ファンは「蝕だ」と言ってネットで騒いでいるが、今回の台風で甚大な被害が出ないよう、祈るばかり。
そろそろ、新刊を手にした第一陣の「ネタバレ感想」が出て来始めるから、ハッシュダグ検索は控えるようにしないと。。
待ちに待った愛読者の心の中にも「王が御渡りになる蝕」が起きることになるだろう。

2015年5月5日火曜日

静脈瘤を治療してみました。

久々のエントリーですが、これは特に宣伝もシェアもするつもりが無く、ひっそりと備忘録的に。

実は同じ悩みを持っていて、なんと無くどうしようかなぁって考えている人が、もし検索した時の参考になればと思います。

私は三人の子の母親なのですが、最初の妊娠時に、足の静脈の弁が壊れてしまったらしく、静脈瘤が出来てしまいました。静脈瘤ってのは女性がよくなる病気、、というか症状で、静脈の所々にある「弁」が壊れてしまって、古い血液が上手く心臓に戻ら無くて、足がボコボコと醜くなってしまう症状です。

最初は、小さいボコボコだったのですが、これって一度なってしまうと自然に治る事は無く、最初は気にしてなかったけれど、何回か出産を重ねるうちに、かなり「目立って」来てしまいました。
もう「生足」を出す年齢でも無いんで、ずっとパンツスタイルで誤魔化して来たのですが、徐々に「熱」を持つようになって、少しでも「圧」のかかるストッキングを履いたりすると、物凄く痒くなって、夏場はかなり大変でした。

最初に気づいた時に、ネットで色々検索したのですが、「血管を取り除く手術しか完治の方法は無い。」って書かれていて、かなり二の足を踏みました。
まぁ、足を出さなきゃ良い話しでもあるので。そのままなし崩し。。

でも、毎夏痒くなるのやら、本当に「醜い足」を見るのも悲しくなるのと、医療関係の友人が
「瘤って名がつくのは放置しない方がいいよ。」
 って言ってくれたのをキッカケに、今年の初めに診察の予約をとりました。

私がお世話になったクリニックはこちら。

湘南メディカルクリニック

日帰り手術も可能だし、保険適用も可でした。

大きな流れとしては
「診察」→「手術前検査」→「日帰り手術」→「翌日検診」→一ヶ月の圧迫ストッキング着用→「術後一ヶ月検査」
という感じ。実際は三回の通院だけで済んでしまいました。

私の場合、両足に静脈瘤が出ていたので、両方を「血管をレーザーで焼き塞ぐ」手技でした。新しく入ったレーザーが保険適用だったのがラッキーでそれまでは自費治療機械と同じスペックで、保険適用の手術が出来ました。(費用は8万程度を自己負担)

全身麻酔では無いのですが、半分意識が残った状態の「局所麻酔的」でもぼーっとする感じの麻酔で、カテーテルを二ヶ所から入れて、徐々にそれを後退させて血管から抜きながら「道を閉鎖」していくというイメージと思って頂ければ。

面白いのが、血管は塞いでしまったら、そのうち体の中で「別のバイパス」を作るそうですね。そのままにしていいもんかと思ったのですが

「ろくに排水しない排水管に、汚水が溜まった状態を放置してるのが、この症状だから、埋めて使え無くしてしまう方がよっぽどいい。」

のだそうです。この先生の説明に酷く納得してしまいました。

一ヶ月の圧迫ストッキング着用が、夏場だと辛いかもしれないので、治療は冬場がオススメです。

最後に、術前術後の写真を。(恥ずかしいですが)
足の前面にまだ静脈瘤が残っていますが、これも一年程度で無くなるそうです。後ろのふくらはぎは、だいぶ綺麗になりました。

もし、悩んでいて治療を考えている方にはおすすめです。
術前(左足向こう脛)一番大きくて目立つ

術前(右足ふくらはぎ)酷い時はもっとボコボコ

術後2ヶ月(左足向こう脛)少し残っているもののかなり減りました

術後2ヶ月 (右足ふくらはぎ)殆ど消えてます

2015年2月1日日曜日

ジャーナリスト後藤健二さんを偲んで

ずっと経緯を固唾をのむ思いで見守って来たけれど、最も悲しく最悪の結果になってしまった。
怒りもあるし、情けなさもある、 僅かながら自分で出来る事は無いかと自問自答もしているけれど、今日はプロとして生きた後藤さんに最大の敬意を示したいと思う。
あちこちに流れている彼の写真の中で、一番素敵な笑顔だと思った写真を元に、、、。彼の撮ったシリアの子ども達の写真も胸をうちます。何も信じられないと思いたくなる時に、少しでも写真の持つ力を信じたくなる一枚です。
心からのご冥福を祈って。

2014年1月10日金曜日

映画「永遠の0」謎に解釈を加えてみる

こんな気の利いたオリジナル画像が公式サイトで作れる!
映画「永遠の0」を観た。これから観る方や、小説をまだ読んでいない方は、以下ネタバレなのでご了承下さい。
昨年この小説を読んで書いたエントリー(魂をわしづかみ「永遠の0」百田直樹著)の続編というか、解釈編。。。

女子目線での解釈
小説を読んで、真っ先に浮かんだ思いは
「なぜ、教え子に生還の切符を譲って宮部は死んだのか?
、、だってそうである。きっとそう思った読者も多いと思う。いかに夫が「こいつなら」と見込んだ若き大学生とは言え、それはそれ、これはこれである。
「なぜ、あんたが生き残らない!」となじりたくなるのが女心だ。
(おまけに、映画では岡田君である!どんな理屈を並べられても納得出来無いだろう!いや染谷君もいいんですけどね。。)
この物語の最初から設定されている命題な訳だが、明快な答えは小説でも映画でも語られない。観る者が各自考えなさい、、と言う事なのだろうが、この小説を読んでからずっと考えて二通りの解釈をしてみた。


最後の大博打を打つ
小説でも、映画でも宮部のたぐいまれな判断力は観客を魅了する。
彼が囲碁の達人である事が大きな伏線になっているのだが、映画ではあまりそこが強調されていなかった。

鹿児島の特攻基地で旧友と再会した時に、すっかり憔悴し切って座り込む宮部の手前にチラッと、碁盤が映っていた。監督はキチンと原作の意を汲んでいたのはあきらかだが、尺的に「宮部の囲碁の腕は名人級」というエピソードは割愛しなければならなかったのだろう。

先日、囲碁が好きな友人がこんな事を話していた。
「囲碁はとても女性的で将棋と全然違う。守りながら攻めるんだ。」
奇しくも彼が語った、この特徴が主人公宮部のキャラクターを端的に言い表している。
最初に小説を読んだ私は結末に納得出来なくて、もう一度読み返し、以下の仮説を立てた。そうでもしないと、自分を納得させられなかったからだ。(それだけ、主人公宮部の深謀遠慮はかっこいい!)

最初の仮説
「この大学生を生かして妻子の元へ差し向けた方が、戦争が終わった後、きっと家族はもっと良い暮らしが出来る。自分が帰るよりも。。」と咄嗟に判断して、出撃前に機体を交換し、置き手紙をした。

去年のエントリーに、この論拠を遠回しに書いてみたのだが、作者の百田氏は小説で巧妙に舞台装置を作り上げている。

宮部の証言をする老人達は
  1. 貧しい借家住まいの片手を失った老人(宮部を戦争初期の同僚として語る)
  2. 末期ガンで死の床に伏している老人(宮部を上官として語る)
  3. やくざの親分(宮部を戦争末期の同僚として語る)
  4. 会社役員の老人(宮部を教官として語る)
と、戦局を時系列にリレーする形で語り継いでいる。注目すべきは証言者の今置かれている生活状況だ。偏屈で被害者意識の強い最初の老人から、最後は会社役員。。大きく明暗を分けている、3と4の間には「士官」というラインが引かれている。要は高等教育を受けたか否かで引かれるラインだが、作者は偶然にこの描写をしたわけは無いだろう。

私は、太平洋戦争関連書籍をかなり読んで来たが、学徒動員で兵隊に取られた学生のうち、生き残って帰れた者は再び学業に戻っている。そして「学」の無いまま戦後に放り出された復員軍人は、なかなか辛い戦後を過ごしたらしい。

今はあまり語られなくなったが、「特攻あがり」とという陰口を父からきいた事がある。「特攻で生き残って帰ったものの、職が無くてしかたなく先生になった人がいたが、ろくな教師では無かった。」
何か物騒な事があると「復員軍人」が疑われた事を思うと戦後の治安の悪さが伺い知れる。横溝正史の小説では最初の容疑者はたいてい「復員軍人」だ。
古今東西、帰還兵士の社会復帰は大きなテーマである。通常の生活に戻れないまま、生活苦に陥ったり、荒んだ生活を余儀なくされた人も多いのではないか。百田氏はそのあたりの描写に抜かりは無く、また容赦も無い。 

このことを考えると、宮部がなぜ飛行技術が未熟な学生にエンジン不調の機体を譲ったのか。その深意が少しわかった気がする。
「この無謀な戦争には絶対に負ける。ここまで壊滅的に追い込まれたら日本はどうなってしまうのか。」
小説でも映画でも、宮部は大石(染谷)に「戦後どうしたいのか?」と、問いかけていたし、教え子達になかなか合格を出さなかったのも、自分は行きたくても、経済的に叶わなかった大学の重要性がよくわかっていたからだ。
現代とは比べ物にならない程、知的レベルの高い人々だった、、、と以前のエントリーにも書いた。至宝と言える人材を無謀な特攻作戦に送り出す事に、宮部はどうしても納得が行かなかっただろう。昭和恐慌が無ければ自分もきっと学校へ行けたという忸怩たる思いもあったのかも知れない。(小説ではこの下りが囲碁のエピソードと一緒に語られてますね)

とは言え、リスクは高い。結局、大石も不時着し損ねて死んでしまう可能性もある。一方、機体を譲らなければ、宮部は生き残って帰る可能性は非常に高い。戦後の自分には悲惨な生活が待っているとしても、生きて帰る方が、妻子を路頭に迷わせる確率は格段に低くなる。。と凡人なら考えると思うのだが、それでも彼は、戦後の事を考えて最後の「大博打」に出た。。のか。。



やはり透明に0リセットで考えた
、、、と小説を読んだ後は、こう自分を納得させたのだが、映画を見て改めて「ちょっと違うかな」と感じた。

最初の解釈は、歴史がどうなるか知ってる視点からの(しかも死なないで欲しいと思う女子目線)の解釈で、宮部はそこまで千里眼に先を見越していただろうか?大石君をまるで利用するような思考の持ち主だろうか???もしそうだとしたら、計算高すぎて嫌な人間だ。

否、絶対にそうではない。多分、真実はこうである。

戦争は破滅的な局面で、精神を病んでしまいそうに狂っている。特攻の命が下った時、宮部は自暴自棄になるギリギリまで追い詰められたが、エンジン不調を見抜いた瞬間に持ち前の「最後まで生きる努力」の粘り思考が回転したのだろう。全員が死んでしまうこの状況下に、たった一つのチャンスを見つけた。
この場合生き残りの切符を持つに相応しいのは誰か、、、心根が真っ直ぐで自分と価値観の近い、しかも上手く生き残れば、よっぽど社会に役立てる学歴を持つ若者が優先されるべきだ。よしんば、学生が死んでしまったらそれまでだが、自分が乗って生き残ったとしても、また特攻へと駆り出されるだけだろう。(そして、大石は今譲らなければ確実に死ぬ、しかも敵艦に届かないまま。)若い彼なら、不時着の怪我で後方へ送られて、また生き延びる可能性もある。
きっと終わると思える戦争も、いつ終わるかまだこの時点では判らないのだから、全体最適と「(日本という社会が少しでもまともな形で)生き残れる為の努力」をした上での、冷徹な判断だったのではないか。
ここまで決めて「さて、妻との約束を反故にしてしまう。」という最後の問題を考えて、託す思いでメモを書いた。。。(結果、戦後危うい所を宮部の築いた縁が松乃や清子を救ったわけだが。)
とにかく男性思考が苦手で「どうして妻子がいつも責務の後回し?!」とカリカリ来てしまう私にしては、なかなかいい線を突いたインサイトではと思う。

だから、百田氏はこの小説を「愛の小説だ」と語ったのかも知れない。

橋爪功が味のある演技で
「小隊長さんは本当につえ〜方だったんです。」
と語った台詞が、敵艦の弾雨を見事な技でかわしながら突っ込んで行くエンディングに重なる。映画を一緒に観ていた息子に
「どうして、弾が当たらないかわかる?水面近くだと、戦艦から打ちにくいからだよ。」と教えてやったら、「そうなの?」と目を輝かせて興味スイッチが入ったのがわかった。
本当に、男脳は悲しい程に「目的思考で余計な事を関連付けて考えられないせつない脳」だ。去年の夏に書いたエントリー(NHK BSプレミアム「零戦 〜搭乗員達が見つめた太平洋戦争〜」) を思うと改めて、最後の解釈の方が真実に近いのだと思う。

根源的な男女の愛、その外側を包むようにある、もう少し広い社会的な愛。日本人が紐帯とするものはそんな形なのかも知れない。

2013年8月18日日曜日

NHK BSプレミアム「零戦 〜搭乗員達が見つめた太平洋戦争〜」

ラバウルの沖合に沈む零戦(NHKオンデマンドより)
NHKは毎年しっかり取材した終戦特集を組んでいる。去年は「戦艦大和」だったが、今年は「零戦」。「永遠の0」や「風立ちぬ」の公開もあってのことだと思うが、この夏は太平洋戦争関連の映画が多く、これまでと少し違う印象を受けている。

この番組で証言して下さった搭乗員の多くは80歳以上。17〜18歳で従軍しているのだから、いよいよ実体験を語れる最後の世代も少なくなっているのを実感してしまう内容だった。

日本がどの国と戦争をしたのか知らない高校生
今朝(2013/08/18)日経の「春秋」で、「ももクロ(現役高校生)は現代史を殆ど知らない」というコラムが載っていた。年号も戦争相手も無茶苦茶な回答ぶりに絶句してしまうが、周囲に実体験した人もおらず、歴史の授業でも、まともに教えてもらった事が無ければ仕方がないかも知れない。本人に興味が無ければそのまま大人になっても、何ら支障の無い世の中なのだろう。(世界に出すにはちょっと恥ずかしいけど。。)
この番組のように、良質な記録を残すのはそれだけでも意味があるが、これだけ他に面白い事が溢れている現代では、番組に気が付かずにスルーしてしまう人が殆どなのだろうなと思う。
我が家でも私だけがオンデマンドでこの番組を見たのは失敗かなと反省している。親が観ている番組を、つられて子どもも観るという経験をすれば、興味があれば自然に自分からもっと知ろうと思っただろう、、、。各自が端末の画面を見つめる「個別化」時代は、いつまでも「お気に入りの好きなコンテンツ」だけを見続け「背伸び」をする機会を奪っているのかも知れない。

零戦搭乗員の最後を見つめた角田さん
番組で、何人かの証言者が登場していたが、最も印象に残ったのは角田和男さんだ。(94歳)特攻隊を目的地までエスコートし、その最後を見届けた人で、小説「永遠の0」の主人公、宮部も物語後半には特攻の教官を務めながら、同じ役割をしていた。角田さんご本人も最後は特攻出撃命令を受けていたが、出撃前に終戦を迎えている。

二つの杖をつきながらも、頭脳明晰、記憶も鮮明で、ある17歳の特攻隊員の飛行機が敵艦の、どの部分へどう突っ込んで行ったのかとはっきりと話されていた。
最も辛い役割を負わされた人間の、静かで重い祈りが伝わって来るようだった。戦後は遺族を尋ねて自分が見届けた最後を話し、南洋の島々へ慰霊の旅へと向う人生を送られたそうだ。
「見届けた人150人の名前と念仏を唱えながら寝るんですが、最近は途中で寝てしまう事が多いんです。ラバウルからずっと続けて来ていたのですが。」
「明日出撃という前の晩。搭乗員達の宿舎を見張る当直の仲間に聴いたのですが、皆、眠りもせずギラギラと目ばかりが爛々と光りながらまんじりともしないで、じっと黙って座っているんだそうです。翌日、飛行機に向う時は本当に朗らかな様子を見せているんですが、どの組も、前夜はそんな様子だったと言うんです。」
角田さんは、今年(2013年)の2月に亡くなられたそうだ。最後の最後まで、自分の負った使命と向き合われた人生だったのだと思うと、深い敬意と哀悼の念を思わずにいられない。

過去から何を学ぶのか
毎年の特集を見て思うが、これを単に「過去の過ち」と思って受け止めるだけでいいのかとつくづく思う。この膨大な犠牲の元に戦後の復興があった訳だけれど、根底に流れる「変わらない日本人の思考癖」を思い知らねばならない。
  • 「軍神」と崇め奉ったかと思えば、戦後手のひらを返した様に右へならえしてしまう群衆達の「考えの無さ」
  • 「擦り合わせの名人芸」で図抜けたアウトプット(今回は零戦)を出せるだけの能力はあるものの、中長期的な戦略とそれを軌道修正する柔軟さの欠如。(思考オプションを自ら狭めてしまう。)
  • 4000人近い若者を飛行機もろとも突っ込ませる、そんな外道な戦法を年端も行かない者に押っつけてしまう「甘え」の構造。(それを目の当たりにする前線の同僚や上官達が精神的に追い詰められる重圧はいかばかりかと思う)

この国は、責任の所在を明確にしたがらず、曖昧なまま「何となく」ものごとを先に進めてしまう癖がある。「現場の兵士は最高、将官クラスは最低」とはよく言われる事だが、いつまで「現場に甘え」ているつもりなのかと思わずにいられない。

2013年7月28日日曜日

「リーン・イン」シェリル・サンドバーグ(現FacebookCOO)著 〜席に着く勇気〜

笑顔がとてもチャーミング

IMFのラガルドさんに続き、パワフルな女性からまたメッセージか!と思いきや、意外に親近感の湧く内容でとても読み易かった。著者であるシェリルは恐らく私と同じ(1〜2歳差)バブルの申し子で「ウーマンリブは既に完了し、世の中平等になったんだ。」と信じて成人した世代だ。


実体験と綿密な裏付け情報(巻末に山と引用文献の索引が付いている!)で、今の「気持ち」を懸命に表した感じがとても好印象な本だった。
「きっとアメリカはもっと進んでいるに違いない。」
と思っていた私には、意外に日本と変わらないんだと判って、それが新鮮でもあった。


問題が無いふり
年収ラボより
一年前に見つけて、忘れられないショッキングなグラフがある。働いている人を男女別に10歳ごとに区切った平均年収のグラフだ。
見ての通り、日本の働く女性は、全年代に渡り、平均年収が300万を越えない。男性と急激に差がつきはじめるのが30代以降。これは女性の就労人口がM字型(出産適齢期になると離職して、育児が一段落した頃にまた働き始める)である事と密接に関わっている。一時お休みして再就労しても平均年収が男性の半分にしか満たない、、、即ち、ある一定の権限を持てる所までキャリアを進められていない事を物語っている。
「今さら」
と思わなくも無いが、事実を可視化されると、やはりインパクトがある。これまでは「女性が家事/育児/介護を担い、そこにかかるコストを男性が外で仕事をして稼ぐ。」が一般的なモデルだったのだから、グラフがこんな形になるのも当然で、倍以上ある男性の平均年収の半分は「妻」の物でもあるのだろう。(夫婦間での話ね)

でも、、と、どうしても思ってしまう。自らが稼いだという実感が無く「所有権」だけを主張する「お金」とはどんなものなのだろうか。。
私は、日本の多くの女性が「何かを学び損ねている。」のではないかと、最近強く思わずにいられない。その何かとは「社会性」とか「市場感覚」とか「権利と義務とのバランス感覚」とかそんなものかも知れないのだが、端的に言えば「真の大人になる」事なのだろう。
周囲からも、そして自らも率先して「幼い無垢」なままで眠っていたいと、頭から布団を被っている(被らざる終えない)ように思えてならないのだ。


テーブルに着こう
シェリルは、そんな女性の心理を時に鋭く、時に「自分もそんなに強く無いのだ。」と正直に心情を吐露しながら、語りかける。
特に、アメリカの「仕事が出来る男」は超肉食系なのか、ガンガン自己主張するのに比べ、どうしても女性達は能力は十分にあるのに自ら「一歩前へ踏み出す」事をためらいがちであると言う。
ルールをキチンと守り、自己研鑽を怠らず、周囲へ気遣いをして、与えられた以上の仕事をしても、それを「交渉ネタ」にディールするという積極性を出しにくい。
そんなに出しゃばると男性に「モテ」ない。
洋の東西を問わず、女心は変わらないんだなぁと、少し微笑ましくも思った。いや、むしろ「マッチョ」の総本山である欧米の方が、よりこの心理が強く働くのかも知れない。
日本の場合は
「母ちゃんの尻に敷かれてさ」とか「うちは女子が元気良くて」等と「かかあ天下」よろしく適当に祭り上げておいてその実、肝心な所を「カッさらう」
のが常套手段で、一途で懸命に働く女性達はしばしば、縁の下からなかなか出る事が出来無い。まして、子どもを産んでそれでも働き続けようと思うと、相当に頑張らないと「自分一人の努力ではいかんともしがたいハンデ(子どもが体調を崩すのを100%防げる母親はこの地球上に存在しないだろう)」を、「いつ突かれるか」とビクビクしながら懸命に職務を遂行するのが精一杯で、とても「ディールしよう」とまで思え無いのが現状だ。

でも、そこを「一歩踏み込んでテーブルに着こう」とシェリルはナッジ(肩をそっと押す)してくれる。周囲へも「彼女達をナッジしてあげて。」と理解を促すと同時に、女性達にも「勇気を持って積極性を出してみよう。」と語りかける。

  • キャリアは梯子でなくてジャングルジム
  • ティアラ症候群(真面目にキチンと仕事をしていたらいつか誰かがそれを認めて王冠を頭に被せてくれると期待する)
  • 自分を引き上げてくれるメンターを探し続けるのは「王子様」を探すのと同じだ 。(郡から引き上げてくれるメンターを探すのでは無く、自力で郡から抜け出られた時にメンターに出会えるのだ。)
 本当に耳が痛く、且つ鋭い指摘をしている。


対話を続けよう
この著書のいい所は、この一文で終わっている所だ。何か結論めいた事を言い切るのでは無く「これはきっかけに過ぎない、対話を続けよう。」と行動を促している。
さすが、そこはFacebookである。きちんとコミュニティが出来ている。
Lean Inコミュニティ
日本版があったらもっといいのにと思うけれど、きっとじきに出来るだろう。
数年後、「あれからどうなったかな。」とまた本書を振り返って読むだろうなと予感している。「ああ、こんな時代もあったね。」と思えるように、ほんの一ミリでもいいから努力しなくてはと思う。